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雲の都―第三部 城砦―

加賀乙彦/著

2,530円(税込)

発売日:2008/03/27

  • 書籍
  • 電子書籍あり

全共闘運動に燃える東京。苦闘する若き精神科医悠太。昭和の分岐点を描く一族のドラマ。

昭和44年、東大全共闘の砦であった安田講堂が陥落、悠太が勤めるI医科大学精神科にも遂に学生が乱入する。一方、隠されていた出生をめぐる一族の秘密が明らかになり、次の世代の波瀾の幕が開く……躍動する昭和史を背景に、東京山の手の外科病院一族の運命を描いた自伝的大河小説『永遠の都』に続くシリーズ、第三弾。

目次
第一章 密室
第二章 燃える学園

書誌情報

読み仮名 クモノミヤコダイサンブジョウサイ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 488ページ
ISBN 978-4-10-330812-6
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,530円
電子書籍 価格 2,024円
電子書籍 配信開始日 2012/12/07

書評

波 2008年4月号より あゝ、季節よ、城よ、

宮内勝典

母語の海に帰ってきたばかりのころ二つの小説に揺さぶられた。一つはル・クレジオの『大洪水』で、もう一つは加賀乙彦氏の『荒地を旅する者たち』であった。書名に惹かれて買いもとめ、さらに『フランドルの冬』へと読みついでいった。寒々としたフランドル地方の病院に勤務している若い日本人精神科医の内界が記されていくのだが、病む者と治療する者が鏡合わせになって、双方から同じ光源を見つめているような共感を覚えた。
以来、加賀氏の小説に親しんできたが、三十数年過ぎたいま「雲の都」第三部『城砦』を読み終えた。果てしなく長い小説である。「永遠の都」から「雲の都」へ二十二年の歳月をかけて書きつがれ、すでに七千枚を超えていると思われる。しかも完結したわけではなく、いまも第四部が書かれつつある。完成したときは、プルーストの『失われた時を求めて』に比肩する大長編になるだろう。『城砦』を読みつづけていると自分がいま時空のどこにいるのか心もとなく、永遠の一角に宙吊りになっているような不思議な感覚が湧く。不安ではあるけれど、茫漠とひろがる時間の海にたゆたっているような喜びもある。
ネットの海には何千万というブログがあり、過剰なまでに言葉が満ちあふれている。それらの日記はかならず「今日」が冒頭にきて、昨日、一昨日は、どんどん過去へ押し流されていく。かつてトフラーは「テレビによって育まれた感性は層をなさずモザイク化していく」と指摘したが、それはブログにもあてはまるようだ。言葉の営みでありながら時間軸がなく、歴史意識も希薄で、ひたすら瞬間から瞬間へ飛び移っていく。洪水のように言葉は氾濫しているが、実のところ、言葉の力の弱まりではないかとさえ思われてくる。
この長編小説は、そうしたブログの現象と対極にある。「平和から戦争、空襲、原爆の投下、戦後の民主主義と、時代はものすごいスピードで駆けてきて」、東京オリンピック開幕の七日前から、この物語がはじまる。歴史性を刻印されていながら、生者たちは死者に呪われている。反復される不倫、出生の秘密。それは死者からの呪縛にほかならない。たとえば古代の蓮の種が発芽するように、死者の欲望からすべてが起因して、しかも現在は激流のように過ぎていく。驚くべきことにこの小説は、主人公から脇役に至るまでほとんどすべての登場人物が固有名をもって現れてくる。それぞれが主体であり、互いに見つめ、見つめられ合いながら声は多面体となっていく。そして激流のなかに、おびただしい固有名が墓碑銘のように林立する。
主人公の小暮悠太はすでに中年になり、レインの反精神医学を信奉する若い精神科医たちから糾弾される立場にある。だがかれは屈せず、犯罪を犯す異常人格者というものが厳然としてあると学会で述べる(素人であるが私もその点に同意する)。かれは若い精神科医や全共闘の学生たちから憎まれ、五寸釘を打ちつけた角棒で頭を殴打される。研究室を占拠され、長年の研究資料を焼き払われてしまう。そして自分は二度死んだと感じる。
最初は、あの八月十五日、陸軍幼年学校の少年が世界の崩壊を体験した夏の一日である。二度目は、研究資料すべてを焼かれて学者としての情熱を失った日である。
そうしてかれは本格的に小説を書きはじめる。それ以前に、ある日、学術論文の横書きの原稿用紙を「ふとそれを縦書き位置に直して小説を書きはじめ」ていたのだった。「フランドルは冬であった」という冒頭の一行から長い営みがはじまり、「永遠の都」「雲の都」へと書きつがれてきた。しかもこの物語の時間内に『フランドルの冬』『帰らざる夏』『宣告』など、多くの作品群が内包されているのだ。なんという時の豊饒だろう。『城砦』を読み耽っているとき「あゝ、季節よ、城よ、無疵なこゝろが何處にある」という懐かしい声がたえず胸で渦巻いていた。

(みやうち・かつすけ 作家)

著者プロフィール

加賀乙彦

カガ・オトヒコ

(1929-2023)1929(昭和4)年、東京生まれ。東京大学医学部卒業。1957年から1960年にかけてフランスに留学、パリ大学サンタンヌ病院と北仏サンヴナン病院に勤務した。犯罪心理学・精神医学の権威でもある。著書に『フランドルの冬』『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)、『宣告』(日本文学大賞)、『湿原』(大佛次郎賞)、『錨のない船』など多数。『永遠の都』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、続編である『雲の都』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。

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