サーカスの夜に
1,540円(税込)
発売日:2015/01/30
- 書籍
サーカスに魅せられ、綱渡り師を目指す少年の冒険と生長。心躍る物語。
インタビュー/対談/エッセイ
波 2015年2月号より [『サーカスの夜に』刊行記念インタビュー] サーカスに魅せられて
クラウン、ブランコ乗り、ジャグラー、綱渡り師……。小川糸さんの最新長編小説は、サーカスに魅せられた少年の冒険と成長を描く、心躍る物語です。本書について、たっぷりとお話をうかがいます。
――新しい長編『サーカスの夜に』は、サーカスに魅せられて、サーカス団に入る少年の物語です。書き始めるときの構想はどういうものだったのでしょう。
小川 旅をする人々の姿を書いてみようと思ったのが、発想の原点になっています。サーカスというのは、まさに旅の連続です。サーカスの人達にとって、生きることは、旅をし続けること。その中で繰り広げられる喜怒哀楽を描いてみたいと思いました。
――なぜサーカスの話を書こうと思ったんですか。
小川 サーカスというのは、自分の体だけを使って、命がけで人々を楽しませようとするもの。エンターテインメントの原点だと思いました。けれど、相手を楽しませるためには、時に自分は苦しい思いをしたり、辛い思いをしたり、決して楽ではありません。本当に、命を落としてしまうことだってありますし。その葛藤は、どんな仕事にもつながるのかもしれませんね。
――世界中のサーカスをご覧になったのですか。サーカスのいろいろな面が書かれていて、どきどきするような雰囲気も伝わってきます。
小川 主にヨーロッパが中心ですが、海外に行く度に、サーカスがやっていないかを必ず調べるようにしました。そうすると、面白いようにやっているんですね。町の公園で、小さな家族経営のサーカス団がテントを張って公演をしていたり。期待に胸を膨らませて行ったら、お客が地元の子ども数人だけだったり。全く予測のつかない出会いがあります。
カナダのバンクーバーに長期滞在した時は、ちょうどシルクドソレイユを見ることができました。トランジットのためコペンハーゲンに滞在した時は、ホテルのすぐ横に大きなテントが張られていて、そこでサーカスをやっていたこともあります。また、ベルギーのアールストという町で毎年行われているサーカスフェスティバルにも行きました。町の中心に古い教会がある典型的なヨーロッパの小さな田舎町なのですが、小学校の校庭や、はらっぱ、町の駐車場、教会の広場などいくつかの場所で、いろいろなサーカスの技を身近に見ることができるんです。何時からどこで演技をやる、というプログラムを片手に、みんなが自分の見たいサーカスを目当てに、ぞろぞろと移動します。時間が空いたら、街角のバールに入ってビールを飲みました。ベルギービールは本当においしくて、しかも料理のレベルがとても高いんですよ。フランスよりもおいしいフランス料理が食べられるという噂は、本当でした。飲んで、食べて、サーカスを見て、また飲んで、食べて、サーカスを見て、最高の二日間を過ごすことができ、幸せでした。あのような体験は、なかなか日本では味わえませんね。
――そのフェスティバルを見に、世界中から人が集まるんですか?
小川 いえいえ。フェスティバルは、観光のためではなく、地元の人達が楽しむためにやっているんです。だから、ひとつのサーカスが終わると、子ども達がぱたぱた走って、自分の家に帰ったりするんですよ。まさかアジアから見に来るなんて想像もしないようで、ホテルの支配人に、「君たちは何の技をやるんだ?」って聞かれました。私と夫を、サーカスに出演する方だと思ったみたいです。あんなに楽しい時間を過ごしたのに、一切お金を払わなくていいことに、驚きました。決して子どもだましではなく、アートとしてのサーカスを間近で見られる、またとない機会です。叶うなら、もう一度、あの夢のような時間を過ごせたらうれしいですね。
――ジャグリングや綱渡りがどのような芸なのか、かなり具体的に描かれていて、少年が体得してゆくのを体験できるように感じられました。
小川 ジャグリングにせよ、綱渡りにせよ、とてもシンプルな技です。道具も、ボールや綱さえあれば、できてしまいます。けれど、それを「芸術」の域にまで高めるには、想像を絶するような努力が必要です。そういう意味では、見かけはシンプルながら、とても奥が深いと感じました。技を高めるには、努力と、そして才能も必要なんですよね。どんな世界も一緒かもしれません。
――クリニクラウンの場面は特に心に強く残りました。
小川 体や心に傷を負った人達にこそ、サーカスが必要です。クスッと笑わせたり、一瞬でも辛い現実を忘れさせてあげたり、クラウンにできることはたくさんありますよね。相手に喜んでもらうことが、クラウンというかサーカス人間にとっては、最高の報酬であり、すべてのモチベーションにつながると思います。
――冒頭には両親が離婚した、13歳の少年の孤独感が丁寧に描かれています。かつて両親と一緒に楽しんだ思い出のサーカス団を目指して自転車で走ってゆく。小さな巡業サーカス団ですが、そこで出会う人々は、みな個性的で、魅力的です。
小川 日本だと、サーカスってちょっと怖いイメージです。見世物小屋的な要素もあるので、なんとなくおぐらいようなイメージを持っている方が多いのではないでしょうか? その感覚は日本だけなのかと思っていたら、どうやらヨーロッパの人にとっても、サーカスって、ちょっと引けてしまうようなイメージがあるみたいなんですよね。外国の友人に、サーカスの物語を書いていると話すと、だいたい一様に、「なんで?」という反応をされます。欧米では、動物に芸をさせることに抵抗を感じ、それがサーカスに対する否定的なイメージにつながっているというのも、あるみたいです。実際に、テントの中が暗いというのもあると思いますが。そういうサーカスのイメージを一変させたのが、シルクドソレイユではないでしょうか。動物は登場せず、人の力だけでサーカスを行う。私自身、シルクドソレイユを知ったことで、サーカスに対するイメージが随分と変わりました。ただただ暗いイメージだったサーカスから、演じている側のそれぞれの人間模様へと視点を移すきっかけになったんです。そういう目で改めてサーカスを見ると、「もしかして今クラウンを演じている人は、本当は違う人生を歩みたかったんじゃないか」とか、「スポーツの世界で成功したかったけれど、挫折して、サーカス人間に身を転じたのではないか」とか、いろいろなことを想像するようになりました。それぞれが、何かを背負っている。世の中のはじっこでも、ちゃんと自分の力で生きている人達の姿を描きたかったんです。
――サーカス団の人々は番外地という端っこにいながら自分たちならではの世界を築いて生きています。世の中との接し方がユニークです。
小川 住所を剥奪されてしまった番外地が、彼らの居場所です。けれど、決して世界から切り離されて生きているわけではありません。夜になると新市街に建つビルの明かりが見えますし、インターネットも繋がります。全く関わりを絶ち、自分達だけで生きていくということは、難しいのではないでしょうか。
――小さな少年が、自分にできる仕事がある、という喜びを求める気持ちは切実です。
小川 生きるためには、自分の役割というのをどうしても考えざるをえないと思うんですね。確かに少年には、ハンデがあると思いますが、だからといって何もできないかというとそうではありません。それぞれに、きっと、何かしら「使命」が与えられているように思うんです。
――体や運命という不自由を抱えた人間が、心の自由をどのように手に入れるか、ということが一つのテーマになっていますね。
小川 はい、この物語の大きなテーマは、「自由」ですね。どうやって、様々な束縛から自由になれるか。私自身も、より自由に生きたいという気持ちがあります。
――『食堂かたつむり』以来小説のなかにいつも上手に取り込まれているおいしい食べ物やお料理の話もたくさんでてきますね。コックはテントのなかで、また少年にとって、とても重要な人物です。「そいつが食った物、それがその人物のすべてって訳さ」という、コックの言葉はとても印象的です。
小川 この物語を書くにあたっては、パリを拠点に活動するロマのサーカス団に大きな影響を受けているのですが、彼らが大切にしていたのが「食」でした。それまでの私は、勝手に、逆だろうと思っていたのです。ロマだから、食べ物にもこだわりがないのではないかと。けれど、実際の彼らはものすごく食べることを大切にしていました。よく考えれば、当然ですよね。サーカス人間は、体が資本です。体を壊してしまったら、サーカスができない。つまり、生活の術を失うわけです。だから、自分の体を作る食べ物には、こだわるんですよね。自分が日々口にする食べ物から体が作られます。骨や血や内臓、脳みそ、すべてです。食べ物を大事にするということは、自分を大切に思うことかもしれません。
――野菜の切れっ端や意外な食材、いろいろなものを工夫して美味しくしてゆく料理というのもちょっとサーカスに似ていますね。
小川 ただ、食べ物にこだわると言っても、贅沢な物や高価な物を食べられるわけではありません。現実には、目の前にあるものを、何でも食べなければ生きていけない。けれど、誰かが残した物でも、工夫次第ではおいしく食べることができる。切れ端や残り物を粗末にしない、ということは、とても大切だと思います。
――少年は仕事というものをとてもまじめに考えていて、小川さんご自身が投影されていると思いますが、小説を書くときに、仕事のルールや決まった手順はありますか。
小川 作品は、自分のおなかを痛めて産む子どものような存在です。子どもなので、基本的におなかに入っている時はひとりだけ。まれに双子のようになることもありますが、基本的には常に、ひとつだけの作品に集中するようにスケジュールを組んでいます。
――最近は長く外国に滞在なさることが多いようですが、特にお気に召した場所はありますか。
小川 去年の夏も滞在していたのですが、ドイツの首都であるベルリンとは、肌が合うように思います。ベルリンの魅力を言葉でうまく説明するのはとても難しいのですが、空気感がとてもいいんですね。ベルリンに暮らしている人達のものの考え方や価値観が好きで、自分自身がその場に身を置くとものすごく自由になれるんです。ベルリンの人達は、自由ということをとても大事にします。自分の自由も、相手の自由も尊重するのです。それはおそらく、壁があったからではないでしょうか。ひとつの町が壁によって西と東に分かれた不自由な時代を知っているからこそ、自由に重きを置く。そういう意味では、今回のサーカスの物語にも、通じるのかもしれないですね。不自由な環境の中で、いかに自由になれるかが、大きなテーマになっていますので。
――新しい長編『サーカスの夜に』は、サーカスに魅せられて、サーカス団に入る少年の物語です。書き始めるときの構想はどういうものだったのでしょう。
小川 旅をする人々の姿を書いてみようと思ったのが、発想の原点になっています。サーカスというのは、まさに旅の連続です。サーカスの人達にとって、生きることは、旅をし続けること。その中で繰り広げられる喜怒哀楽を描いてみたいと思いました。
――なぜサーカスの話を書こうと思ったんですか。
小川 サーカスというのは、自分の体だけを使って、命がけで人々を楽しませようとするもの。エンターテインメントの原点だと思いました。けれど、相手を楽しませるためには、時に自分は苦しい思いをしたり、辛い思いをしたり、決して楽ではありません。本当に、命を落としてしまうことだってありますし。その葛藤は、どんな仕事にもつながるのかもしれませんね。
――世界中のサーカスをご覧になったのですか。サーカスのいろいろな面が書かれていて、どきどきするような雰囲気も伝わってきます。
小川 主にヨーロッパが中心ですが、海外に行く度に、サーカスがやっていないかを必ず調べるようにしました。そうすると、面白いようにやっているんですね。町の公園で、小さな家族経営のサーカス団がテントを張って公演をしていたり。期待に胸を膨らませて行ったら、お客が地元の子ども数人だけだったり。全く予測のつかない出会いがあります。
カナダのバンクーバーに長期滞在した時は、ちょうどシルクドソレイユを見ることができました。トランジットのためコペンハーゲンに滞在した時は、ホテルのすぐ横に大きなテントが張られていて、そこでサーカスをやっていたこともあります。また、ベルギーのアールストという町で毎年行われているサーカスフェスティバルにも行きました。町の中心に古い教会がある典型的なヨーロッパの小さな田舎町なのですが、小学校の校庭や、はらっぱ、町の駐車場、教会の広場などいくつかの場所で、いろいろなサーカスの技を身近に見ることができるんです。何時からどこで演技をやる、というプログラムを片手に、みんなが自分の見たいサーカスを目当てに、ぞろぞろと移動します。時間が空いたら、街角のバールに入ってビールを飲みました。ベルギービールは本当においしくて、しかも料理のレベルがとても高いんですよ。フランスよりもおいしいフランス料理が食べられるという噂は、本当でした。飲んで、食べて、サーカスを見て、また飲んで、食べて、サーカスを見て、最高の二日間を過ごすことができ、幸せでした。あのような体験は、なかなか日本では味わえませんね。
――そのフェスティバルを見に、世界中から人が集まるんですか?
小川 いえいえ。フェスティバルは、観光のためではなく、地元の人達が楽しむためにやっているんです。だから、ひとつのサーカスが終わると、子ども達がぱたぱた走って、自分の家に帰ったりするんですよ。まさかアジアから見に来るなんて想像もしないようで、ホテルの支配人に、「君たちは何の技をやるんだ?」って聞かれました。私と夫を、サーカスに出演する方だと思ったみたいです。あんなに楽しい時間を過ごしたのに、一切お金を払わなくていいことに、驚きました。決して子どもだましではなく、アートとしてのサーカスを間近で見られる、またとない機会です。叶うなら、もう一度、あの夢のような時間を過ごせたらうれしいですね。
――ジャグリングや綱渡りがどのような芸なのか、かなり具体的に描かれていて、少年が体得してゆくのを体験できるように感じられました。
小川 ジャグリングにせよ、綱渡りにせよ、とてもシンプルな技です。道具も、ボールや綱さえあれば、できてしまいます。けれど、それを「芸術」の域にまで高めるには、想像を絶するような努力が必要です。そういう意味では、見かけはシンプルながら、とても奥が深いと感じました。技を高めるには、努力と、そして才能も必要なんですよね。どんな世界も一緒かもしれません。
――クリニクラウンの場面は特に心に強く残りました。
小川 体や心に傷を負った人達にこそ、サーカスが必要です。クスッと笑わせたり、一瞬でも辛い現実を忘れさせてあげたり、クラウンにできることはたくさんありますよね。相手に喜んでもらうことが、クラウンというかサーカス人間にとっては、最高の報酬であり、すべてのモチベーションにつながると思います。
――冒頭には両親が離婚した、13歳の少年の孤独感が丁寧に描かれています。かつて両親と一緒に楽しんだ思い出のサーカス団を目指して自転車で走ってゆく。小さな巡業サーカス団ですが、そこで出会う人々は、みな個性的で、魅力的です。
小川 日本だと、サーカスってちょっと怖いイメージです。見世物小屋的な要素もあるので、なんとなくおぐらいようなイメージを持っている方が多いのではないでしょうか? その感覚は日本だけなのかと思っていたら、どうやらヨーロッパの人にとっても、サーカスって、ちょっと引けてしまうようなイメージがあるみたいなんですよね。外国の友人に、サーカスの物語を書いていると話すと、だいたい一様に、「なんで?」という反応をされます。欧米では、動物に芸をさせることに抵抗を感じ、それがサーカスに対する否定的なイメージにつながっているというのも、あるみたいです。実際に、テントの中が暗いというのもあると思いますが。そういうサーカスのイメージを一変させたのが、シルクドソレイユではないでしょうか。動物は登場せず、人の力だけでサーカスを行う。私自身、シルクドソレイユを知ったことで、サーカスに対するイメージが随分と変わりました。ただただ暗いイメージだったサーカスから、演じている側のそれぞれの人間模様へと視点を移すきっかけになったんです。そういう目で改めてサーカスを見ると、「もしかして今クラウンを演じている人は、本当は違う人生を歩みたかったんじゃないか」とか、「スポーツの世界で成功したかったけれど、挫折して、サーカス人間に身を転じたのではないか」とか、いろいろなことを想像するようになりました。それぞれが、何かを背負っている。世の中のはじっこでも、ちゃんと自分の力で生きている人達の姿を描きたかったんです。
――サーカス団の人々は番外地という端っこにいながら自分たちならではの世界を築いて生きています。世の中との接し方がユニークです。
小川 住所を剥奪されてしまった番外地が、彼らの居場所です。けれど、決して世界から切り離されて生きているわけではありません。夜になると新市街に建つビルの明かりが見えますし、インターネットも繋がります。全く関わりを絶ち、自分達だけで生きていくということは、難しいのではないでしょうか。
――小さな少年が、自分にできる仕事がある、という喜びを求める気持ちは切実です。
小川 生きるためには、自分の役割というのをどうしても考えざるをえないと思うんですね。確かに少年には、ハンデがあると思いますが、だからといって何もできないかというとそうではありません。それぞれに、きっと、何かしら「使命」が与えられているように思うんです。
――体や運命という不自由を抱えた人間が、心の自由をどのように手に入れるか、ということが一つのテーマになっていますね。
小川 はい、この物語の大きなテーマは、「自由」ですね。どうやって、様々な束縛から自由になれるか。私自身も、より自由に生きたいという気持ちがあります。
――『食堂かたつむり』以来小説のなかにいつも上手に取り込まれているおいしい食べ物やお料理の話もたくさんでてきますね。コックはテントのなかで、また少年にとって、とても重要な人物です。「そいつが食った物、それがその人物のすべてって訳さ」という、コックの言葉はとても印象的です。
小川 この物語を書くにあたっては、パリを拠点に活動するロマのサーカス団に大きな影響を受けているのですが、彼らが大切にしていたのが「食」でした。それまでの私は、勝手に、逆だろうと思っていたのです。ロマだから、食べ物にもこだわりがないのではないかと。けれど、実際の彼らはものすごく食べることを大切にしていました。よく考えれば、当然ですよね。サーカス人間は、体が資本です。体を壊してしまったら、サーカスができない。つまり、生活の術を失うわけです。だから、自分の体を作る食べ物には、こだわるんですよね。自分が日々口にする食べ物から体が作られます。骨や血や内臓、脳みそ、すべてです。食べ物を大事にするということは、自分を大切に思うことかもしれません。
――野菜の切れっ端や意外な食材、いろいろなものを工夫して美味しくしてゆく料理というのもちょっとサーカスに似ていますね。
小川 ただ、食べ物にこだわると言っても、贅沢な物や高価な物を食べられるわけではありません。現実には、目の前にあるものを、何でも食べなければ生きていけない。けれど、誰かが残した物でも、工夫次第ではおいしく食べることができる。切れ端や残り物を粗末にしない、ということは、とても大切だと思います。
――少年は仕事というものをとてもまじめに考えていて、小川さんご自身が投影されていると思いますが、小説を書くときに、仕事のルールや決まった手順はありますか。
小川 作品は、自分のおなかを痛めて産む子どものような存在です。子どもなので、基本的におなかに入っている時はひとりだけ。まれに双子のようになることもありますが、基本的には常に、ひとつだけの作品に集中するようにスケジュールを組んでいます。
――最近は長く外国に滞在なさることが多いようですが、特にお気に召した場所はありますか。
小川 去年の夏も滞在していたのですが、ドイツの首都であるベルリンとは、肌が合うように思います。ベルリンの魅力を言葉でうまく説明するのはとても難しいのですが、空気感がとてもいいんですね。ベルリンに暮らしている人達のものの考え方や価値観が好きで、自分自身がその場に身を置くとものすごく自由になれるんです。ベルリンの人達は、自由ということをとても大事にします。自分の自由も、相手の自由も尊重するのです。それはおそらく、壁があったからではないでしょうか。ひとつの町が壁によって西と東に分かれた不自由な時代を知っているからこそ、自由に重きを置く。そういう意味では、今回のサーカスの物語にも、通じるのかもしれないですね。不自由な環境の中で、いかに自由になれるかが、大きなテーマになっていますので。
(おがわ・いと 作家)
著者プロフィール
小川糸
オガワ・イト
1973(昭和48)年生れ。2008(平成20)年、『食堂かたつむり』でデビュー。多くの作品が英語、韓国語、中国語、フランス語、スペイン語、イタリア語などに翻訳され、様々な国で出版されている。『食堂かたつむり』は、2010年に映画化され、2011年に伊バンカレッラ賞、2013年に仏ウジェニー・ブラジエ小説賞を受賞。2012年には『つるかめ助産院』が、2017年には『ツバキ文具店』が、2021(令和3)年には『ライオンのおやつ』がNHKでテレビドラマ化。『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』『ライオンのおやつ』は「本屋大賞」にノミネートされた。他の著書に『あつあつを召し上がれ』『サーカスの夜に』『とわの庭』『ミ・ト・ン』(画・平澤まりこ)など。
判型違い(文庫)
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