
晴れの日の木馬たち
2,310円(税込)
発売日:2025/12/17
- 書籍
- 電子書籍あり
どしゃぶりの日もある。でも、雨はいつかきっとあがる。
病に倒れた最愛の父を支えるため、倉敷紡績で働く少女すてら。社長の大原孫三郎の知遇を得、贈られた雑誌〈白樺〉でゴッホの絵を見て心打たれ、「ゴッホが絵を描いたように小説を書く」と、自身の道を定める。あることをきっかけに岡山を去ることになったすてらは、東京へと向かうが……。著者がかつてない熱量で「小説」と「アート」への愛を込めた最新長篇!
第一章──一九一〇年(明治四十三年)五月 岡山・倉敷
第二章──一九一二年(大正元年)十二月 岡山
第三章──一九一五年(大正四年)四月 東京・神楽坂
第四章──一九二〇年(大正九年)三月 東京・牛込
エピローグ──一九二二年(大正十一年)十一月 パリへ
書誌情報
| 読み仮名 | ハレノヒノモクバタチ |
|---|---|
| 装幀 | ロベール・ドアノー「シャン・ド・マルスの騎馬隊、1969年9月」/カバー写真、新潮社装幀室/装幀 |
| 雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 384ページ |
| ISBN | 978-4-10-331756-2 |
| C-CODE | 0093 |
| ジャンル | 文学・評論 |
| 定価 | 2,310円 |
| 電子書籍 価格 | 2,310円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2025/12/17 |
書評
道を切り拓く女性たちの文壇小説
明治43(1910)年から大正11(1922)年までの「山中すてら」の半生を描くこの小説は、良い意味でのノスタルジックな香りを感じさせる。レトロな感覚といっても良い。
貧しい生まれのすてらは、倉敷の倉敷紡績に勤める十六歳。同年輩の少女たちとの寄宿舎での共同生活は、細井和喜蔵の『女工哀史』に倣えば、“女工情史”と言えるだろうか。もちろん、工女たちの色恋沙汰が中心ではない。厳しい工場労働のなか、寸暇を惜しんで書いた彼女の初めての小説〈回転木馬〉は、同じ部屋の少女たちに完成を祝われ、庶務室主任の小西彌太郎にも認められ、彼女はそんな彌太郎に淡い恋心を抱くのだった。彼女の書いた“作文”は、社長・大原孫三郎の目にも留まる。作中に引用され、紹介された彼女の習作がそれほど優れたものとは感じられないが、明治・大正の文壇に登場した、(当時としては)新しい「小説」の、見事なパスティシュ(文体模写)として味わい深いものがある。同様に作中に登場するすてらの〈回転木馬〉、高橋多嘉子の〈花かんむり〉、三嶋初子の〈赤い薔薇〉など、本当に書かれた小説ならば、当時の読者として一読したいという感じに襲われるのだ。
「山中すてら」という主人公の女性は、小説の登場人物として、もちろん虚構の人物だろう。しかし、この小説の他の登場人物としては、倉敷紡績の社長で、陰日向の両面で「女文士」であるすてらを応援・後援する大原孫三郎は、実在の人物だ(1880~1943)。彼は実業界(紡績業)の大立者で、故郷の倉敷に大原美術館を創設するとともに、大原社会問題研究所を設立し、芸術・文学・社会学などの発展に大きく寄与した、学芸界の重要なパトロンであり、後援者だった。また、黒田清輝などに学んだ西洋画家の児島虎次郎(1881~1929)は、そうした彼に協力し、自らの芸術制作に邁進し、モネやマティスなどのフランスの現代絵画の買い付けと蒐集に勤しむのだった(それらのコレクションは、現在、倉敷のレトロな街並みの一角にある大原美術館に収蔵されている)。
また、夏目漱石、武者小路実篤といった文学者も、山中すてらと同時代の敬愛する作家として、実名のまま登場してくる。端役としてだが、詩人の竹中郁が、本名の竹中育三郎という名前で、そして彼の同級生だった画家の小磯良平が、旧姓の岸上良平という名前で出てくるなど、現実と虚構が、境目を曖昧にして「小説空間」を作り上げるのは、知的な“遊び”として面白く感じられる(竹中も岸上も、芸術に心を向ける若者として希望と可能性に満ちていた)。
明治から大正にかけて、白樺派などの清新な文学・芸術運動が活発化すると同時に、閨秀作家、「女文士」と呼ばれる女性文学者が輩出する。作中に名前の出てくる大塚楠緒子、田村俊子などがそうである。山中すてらが「女書生」として仕える、流行作家の和田イサもそうである。彼女のもとで、山中すてらも女性の小説家として地位を占めてゆく。師であるイサが、男名前で小説を書かねばならなかった(理由は本編をお読みいただきたいが、そもそもそんな時代だったのだ)のと違って、すてらは仏語で星という意味の、その変わった本名のままで、女性作家として成功するのである。
その関係は実在の文学者の関係に比定してみれば、近代文学史上、「青鞜」の平塚雷鳥と田村俊子、「女人芸術」の長谷川時雨と林芙美子、吉屋信子と真杉静枝などの関係が思い浮かぶ。雷鳥、時雨、信子が「姉」の役割だとしたら、俊子や芙美子、静枝などは、その「姉」たちの貞淑さと比べると奔放な「妹」の立場の自由さと自らの行動力を満喫しているように思われる。イサ──山中すてら──三嶋初子という“女系作家”の関係は、この小説が日本近代の“女性文壇”の“もう一つ”の歴史を描いたことを示しているかもしれない(文壇という語も輝いていた!)。その意味で、端正で、貞淑な山中すてらの跡を嗣ぐものとして、母と娘という絶対的な関係から身を振り解こうとして苦悩する三嶋初子の「小説」は、イサや、閨秀作家という名前が最も相応しそうな山中すてらの作品を超えたところで、「女性文学」の道を切り開くものとして期待しても良いのかもしれない(イサも、すてらも和装が似合うのに、初子だけが洋装である──多嘉子もそうだった)。女流三代の文壇小説は、“新しい世代”の女性文学の登場の可能性と期待を持たせたまま、向日的に締めくくられるのである。
閨秀作家、女文士、女流作家、女性作家というように、山中すてらは、文学史のなかで衣装を着替えてゆく。その布地は綿から絹へと変わる。この小説は彼女の文学者としての純絹の「教養小説」である。
(かわむら・みなと 文芸評論家、法政大学国際文化学部名誉教授)
波 2026年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
原田マハ
ハラダ・マハ
1962(昭和37)年、東京都生まれ。作家。関西学院大学文学部日本文学科および早稲田大学第二文学部美術史科卒業。馬里邑美術館、伊藤忠商事を経て、森ビル森美術館設立準備室在籍中の2000(平成12)年、ニューヨーク近代美術館に半年間派遣。その後2005年『カフーを待ちわびて』で日本ラブストーリー大賞を受賞し、翌年デビュー。2012年に発表したアートミステリ『楽園のカンヴァス』は山本周五郎賞、R-40本屋さん大賞、TBS系「王様のブランチ」BOOKアワードなどを受賞、ベストセラーに。2016年『暗幕のゲルニカ』がR-40本屋さん大賞、2017年『リーチ先生』が新田次郎文学賞を受賞、2024年『板上に咲く』が泉鏡花文学賞を受賞。その他の作品に『本日は、お日柄もよく』『ジヴェルニーの食卓』『デトロイト美術館の奇跡』『常設展示室』『原田マハの印象派物語』『風神雷神』『リボルバー』『たゆたえども沈まず』『美しき愚かものたちのタブロー』『黒い絵』などがある。自身の短篇小説を原作とし、監督、脚本を務めた映画『無用の人』が2027年公開予定。


































