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決定版 世界の喜劇人

小林信彦/著

3,960円(税込)

発売日:2024/04/08

  • 書籍

喜劇映画百年の爆笑史書決定版! これを読まずして笑いを語るなかれ。

志村けんも谷啓も森繁久彌も憧れ、まねた黄金時代のコメディアン達。マルクス兄弟、チャップリン、キートン、ダニー・ケイ、ウディ・アレンらの珠玉ギャグ300超を徹底解説した伝説的名著を増補加筆。『決定版 日本の喜劇人』の著者が人生を賭して喜劇文化人類学へと昇華させた聖典、遂に刊行!

目次
I 世界の喜劇人
はじめに
[第一部 世界の喜劇人]
[第二部 喜劇映画の衰退]
序章 遥かなる喝采
第一章 スラップスティック・コメディ
マルクス兄弟 アボット=コステロ レッド・スケルトン ダニー・ケイ マーティン=ルイス
第二章 スラップスティックを混ぜたパロディ
〈珍道中〉映画 ボブ・ホープ
第三章 異端者チャーリー
第四章 その後のスラップスティック
アメリカ フランス ソ連 日本
終章 喜劇映画を作ろう!
補章
[第三部 喜劇映画の復活]
序章
第一章 古典的喜劇の再生産の試み
第二章 古典的喜劇・プラス・ワン
ブレーク・エドワーズそのほか
第三章 テレビ感覚派のスラップスティック
リチャード・レスター
第四章 恐怖と予感の喜劇
ロマン・ポランスキー
第五章 ヨーロッパの現状
チャップリン イギリス イタリア フランス ゴダール
第六章 黒い哄笑の世界
『毒薬と老嬢』 テリイ・サザーンの仕事 人間観の変化 『マッシュ』
[第四部 幼年期の終り]
第一章 幼年期の終り
第二章 フリドニア讃歌
『我輩はカモである』作品分析
II 「世界の喜劇人」その後
[〈ロマンティック・コメディ〉の出発]
[ルビッチ・タッチのお勉強]
ビリー・ワイルダーの演出は〈一流〉だろうか?
エルンスト・ルビッチとビリー・ワイルダー/序説
[ウディ・アレンを観続けて]
映画館のある風景――『アニー・ホール』
ウディ・アレンの日本映画
『ハンナとその姉妹』の高等戦術
スクリューボール・コメディの佳作『ブロードウェイと銃弾』
心が浮き浮きする『世界中がアイ・ラヴ・ユー』
老年と死――『人生万歳!』
ウディ・アレン雑談
[その後の「世界の喜劇人」たち]
グラウチョ・マルクス――最後の道化師の退場
『進めオリンピック』のおかしな世界
レオ・マッケリイの傑作『新婚道中記』
『大逆転』雑感
メル・ブックスの逆襲
『マン・オン・ザ・ムーン』のジム・キャリーは必見ものです
アメリカ人が選ぶ〈アメリカ喜劇ベスト100〉
芸達者、スティーヴ・マーティンのこと
ボブ・ホープの死と日本人
『決定版 世界の喜劇人』あとがき
附・小林信彦インタビュー
〈変な日本人〉の観てきたもの
主要人名索引

書誌情報

読み仮名 ケッテイバンセカイノキゲキジン
装幀 『マルクス兄弟珍サーカス』 At The Circus, 1939 Album/AFLO/カバー表写真、平野甲賀+新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 464ページ
ISBN 978-4-10-331829-3
C-CODE 0095
ジャンル アート・エンターテインメント、画家・写真家・建築家
定価 3,960円

書評

映画の作り手たちを刺戟した実践的な名著

高崎俊夫

 小林信彦さんには数多の喜劇人をめぐる著作があるが、その中でもっとも息の長さを誇る代表作といえば、今回、復刊された『決定版 世界の喜劇人』にしくはない。本書の原型となった『喜劇の王様たち』(校倉書房)が刊行されたのは1963年、なんと六〇年以上も前のことである。その後『笑殺の美学』(大光社・1971年)、『世界の喜劇人』(晶文社・1973年)、そして新潮文庫版(1983年)と版元を替えながら、幾度もよみがえってきた掛け値なしの名著である。
 本書は、1961年、佐藤忠男が編集長として辣腕を振るっていた時代の「映画評論」に連載された評論「喜劇映画の衰退」がベースになっているが、この連載に逸早く反応し、驚愕した同世代の映画作家がいた。当時、“松竹ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手と呼ばれた大島渚である。後に「「衰退」というタイトル」と題されたエッセイ(『わが封殺せしリリシズム』大島渚著・中公文庫所収)で大島監督は次のように書いている。
「……しかし二回、三回と読み進んでゆくうちに、この論文がおそるべき力を備えていることはすぐわかった。たわいない思いつきと甘ったれた願望だけをぬたくった評論が横行しているなかで、これは怖るべき博識に裏付けられた細緻な実証と、その上に組み立てられた強固な論理と過激な意見を併せ持った大論文だったのである」
 大島監督は「喜劇映画について長い評論を書ける男なら、監督もできる」というのが持論で、本書の巻末の著者インタビューでも、大島氏が小林氏に映画を撮ることを進言し、結局、「チンコロ姐ちゃん」のシナリオを手伝う羽目になる顛末がユーモラスに語られている。
 さらに「ぽんこつ」「乾杯!ごきげん野郎」などの秀逸な喜劇で知られる名匠瀬川昌治監督が『喜劇の王様たち』を何冊か購入し、参考書として助監督に読ませたというエピソードを私は監督本人から伺ったことがある。このように『喜劇の王様たち』という幻の処女作は、なによりも映画の作り手たちを刺戟する、きわめて実践的な書物であったことを忘れてはならない。
 周知のように、本書のオリジナルな魅力は、ヒューマニズムとペーソスで聖人化されていたチャーリー・チャップリンを〈異端者チャーリー〉と断じる一方で、当時、不当に忘れられていたマルクス兄弟のアナーキーでグロテスクな狂気とナンセンスな笑いを熱烈に再評価したことである。
 とりわけ注目したいのは、小林氏が、サイレント期に頂点を迎えたスラップスティック・コメディの本質を絶妙な才筆で綴ったジェームズ・エイジーの記念碑的なエッセイ「喜劇華やかなりし頃」を引き継ぐように、トーキー以後の喜劇の衰退の歴史を、ギャグを中心にして辿るというユニークな方法を採ったことである。この小林氏独特の語り口については、渡辺武信が『笑殺の美学』所収の深い洞察に満ちた名解説「ギャグの総和を超えるもの」で次のように分析している。
「そもそも、この論文における中原弓彦(注・小林信彦)の語り口じたいが、人をくやしがらせるような構造を備えているのだ。彼はギャグを客観的に、言わば無味乾燥に叙述することを避けて、あくまでそのギャグに接した時の自分の感覚に忠実に書き綴っていくという方法をとったのだが、それはギャグの描写に生き生きとした背景を与えると同時に、そのギャグを見ていない読者に対して“見た者の優位”を避けがたく誇示するような効果を生んだのだ」
 ちなみに私の最初の小林信彦体験も『笑殺の美学』であり、同時期に出た『笑う男 道化の現代史』(晶文社・1971年)と併読しつつ、当時、高校二年生だった私は熱烈な小林信彦ファンとなってしまったのである。
 今回の決定版には幾つかの忘れがたいエッセイが増補されている。たとえば「〈ロマンティック・コメディ〉の出発」は『笑う男 道化の現代史』に入っていた「アメリカ的喜劇の構造 ――非常識な状況の笑い」の加筆・再録だが、このエッセイで私は伝説の映画作家プレストン・スタージェスの名前を初めて知り、と同時に小林氏に限りなき羨望と嫉妬を掻き立てられたのである。
 私事にわたって恐縮だが、後に「月刊イメージフォーラム」の編集者となった私は、1985年にささやかな「プレストン・スタージェス」特集を組んだ。そして、さらに1994年には配給会社プレノン・アッシュに企画を持ち込み、〈プレストン・スタージェス祭〉を開催したのは、私なりの小林信彦さんへの密やかなオマージュ、返礼にほかならなかったのである。

(たかさき・としお 編集者/映画評論家)

波 2024年5月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

『決定版 世界の喜劇人』をめぐって

小林信彦

スラップスティック映画を縦横に論じた名著に、スクリューボール・コメディや現代の喜劇人を評した文章を併せ、喜劇映画百年を鮮やかに現前させる決定版刊行! 最新の肉声を伝える「あとがき」を再録します。

『世界の喜劇人』とは題したものの、彼らのすべてをカヴァーすることなど、できようはずもない。『日本の喜劇人』の場合と同様、映画の中において私が自分の眼で見ることができた喜劇人に、対象が限定されるのは、いうまでもない。
 本書の文庫版は、『日本の喜劇人』のそれにつづいて、一九八三年に世に出た。まず、その新潮文庫版『世界の喜劇人』の〈文庫版あとがき〉をお読みいただきたい。

「世界の喜劇人」という書名は、なんだか大げさであって、本当は、「ムーヴィー・コメディアンズ」といったものが、ふさわしいように思う。「世界の喜劇人」とは、あくまでも、「日本の喜劇人」とついになった書名、ぐらいにお考えいただきたい。

 本書には、三つの異本ヴァリアントがある。それらを簡単に記しておくと――、

a「喜劇の王様たち」あぜくら書房・一九六三年)
b「笑殺の美学」(大光社・一九七一年)
c「世界の喜劇人」(晶文社・一九七三年)

 の三冊であり、現在は、いずれも絶版になっている。
 aは、本書の第二部にあたる「喜劇映画の衰退」三百枚(「映画評論」一九六一年二月号~六月号)を中心にして、若干のエッセイを加えたものである。
「喜劇映画の衰退」は、一九六〇年(執筆時)に、世界的に黙殺されていたマルクス兄弟に光を当てたことで、少数の読者を得たように思う。(少数というのは決して謙遜ではない。この本は殆どの取次店が〈ジャンル不明〉として受けとらず、著者である私が印税の一部として本二百冊を受けとるハメになった〈呪われた処女出版〉でもあった。)マルクス兄弟が世界的に支持を得るのは一九六八年からである。だから、ここで私が力説している対象は、あの〈神格化された兄弟〉ではなく、〈時代遅れになったコメディアンたち〉なのである。
 bは、「喜劇映画の衰退」を第一部とし、第二部として「喜劇映画の復活」を書下した上に、佐藤忠男氏の序文と渡辺武信氏の解説でサンドイッチ状にはさまれたような本だが、出版社が間もなく〈活動を停止〉したために、またしても幻の本となる。なお、「笑殺の美学」という書名は、大島渚氏の命名による。
 cは、この文庫版とほぼ同じものであり、a→bときた内容に、「世界の喜劇人」(「新劇」一九七三年二月号)と「幼年期の終り」(書下し)を加えて、定本にした。一九七二年にパリとニューヨークでマルクス兄弟映画をくりかえして観たために、なんとか定本版になった、というのが実感である。

 そして、「喜劇の王様たち」出版から丁度二十年たって、この文庫版が世に送られる。もちろん、大きな加筆や訂正があるが、それらは当然のことだろう。
 ビデオテープが出まわる今日では、マルクス兄弟映画はもちろん、一九三〇、四〇年代の喜劇映画をそろえるのも可能である。現在、アメリカで評価されつつある〈珍道中映画〉については、別な形で、もう一度考えてみたい。
 なお、第四部の『我輩はカモである』紹介は、ビデオテープのないころ、ニューヨークの名画座(いまはない「リトル・カーネギー」)でメモをとった産物であるが、ビデオテープの普及によって殆ど無駄骨と思われるようになった。しかしながら、私がマルクス兄弟(または喜劇の亡霊)の呪縛をまぬがれるプロセスの一つだったと、微笑とともに御理解いただければ幸いである。

(一九八三年十月)

 喜劇人をまとめて論じる発想などなかった時代だが、チャップリンだけは別格であった。これは戦前の扱いからそうで、私の家があった下町(両国)では、関東大震災のあと、ひどい木造小屋で、〈アルコール先生(チャップリンのこと)〉の映画がいっせいに上映され、多くの観客を集めたという。
 そうした空気は一九八三年でも同じことで、チャップリンの作品については、左翼系の論者のものも含めて、さまざまな本が出ていたが、キートン、ロイドを論じた本を出すなど冗談かと思われたほどで、ましてマルクス兄弟の作品となると、論じるどころか、商品としてあつかわれなかった。
 たまたま長篇小説の取材で世界一周をしてきた私は、パリやニューヨークで、マルクス兄弟の全作品をくり返し観ることができ(全盛期の彼らの映画は当時の日本では観ることができず、〈戦前の伝説〉でしかなかった)、さまざまな関連本も買いこんだ。そのため、永井淳氏と共訳したポール・ジンマーマン氏の本(日本版の題は『マルクス兄弟のおかしな世界』〈晶文社〉)にあった間違いも訂正できた。
 もう少しあとのことだが、ジンマーマン氏には、大平和登氏のおかげで、ニューヨークでの対面も可能になった。ジンマーマン氏は、自著の日本版の装幀が理解しがたかったようである。(ハードボイルド映画に出てくる私立探偵のデスクのようなところに拳銃やコーヒー、酒瓶などが置かれてあり、なぜか、その雑然たる中にマルクス三兄弟のスチール写真がある、というカヴァーだった。)
 私はマルクス兄弟を日本に紹介するのに狂っていて、そうしたことも無視していた。日本でどういうあつかいを受けようとも、かまわないというのは、若さの強みであろうか。永井氏の名訳のせいもあって、『マルクス兄弟のおかしな世界』は広く読まれた。あの本や『世界の喜劇人』が世に出たことは、日本の状況を変えられただろうか。(否という声もあろう。)
 しかし、とにかく、フィルムとDVDで、少なくともマルクス兄弟の全作品を観ることができるようになったのは、プラスでしょう。どう?

 二〇二四年三月

小林信彦(もう九一歳になりました)

(こばやし・のぶひこ)

波 2024年6月号より
単行本刊行時掲載

〈変な日本人〉の観てきたもの

小林信彦

スラップスティック映画を縦横に論じた名著に、スクリューボール・コメディや現代の喜劇人を評した文章を併せ、喜劇映画百年を鮮やかに現前させる決定版刊行! 最新の肉声を伝える「インタビュー」を再録します。

 ――『世界の喜劇人』は、一九六一年に「映画評論」で連載された「喜劇映画の衰退」という三百枚の原稿(『決定版 世界の喜劇人』の「I」の第二部にあたる)がそもそものきっかけですね。小林さんにとっては、最初の長い作品でもあります。

小林 当時、佐藤忠男さんが「映画評論」の編集長をされていて、僕の二つ年上なんです。彼自身が長い評論を書いてデビューしたこともあって、同世代の書き手に長いものを書かせたがっていました。それで声がかかったのが、僕や森卓也さん、おかだえみこさんなどですよ。せっかく与えられたチャンスだから、僕も喜んで、「よし、子どもの頃から観てきた喜劇映画のギャグについて、まとまったものを書いてやろう」と意気込んだものです。早稲田の学生の頃から、演劇博物館で戦前の映画研究誌を調べてノートをとったり、サイレント喜劇を意識的に観たりしていましたから、書ける見通しはありました。ただ、佐藤さんは生真面目で、ギャグがわかる人ではない(笑)。そこで「映画評論」編集部にいた品田雄吉さんにサポートしてもらいながら、書き上げたのを覚えています。

 ――反響はいかがでしたか?

小林 単行本の声はいろいろかかったのですが、どれも実現しないうちに(六三年になって校倉書房から『喜劇の王様たち』として刊行)、六一年の夏に、放送作家だった永六輔さんとNHKの末盛憲彦ディレクターに呼び出されて、「あの評論はとても面白かった。『夢であいましょう』でギャグの特集をしたいから手伝ってくれ」と、アイスコーヒー一杯で口説かれました(笑)。「夢あい」はNHKで土曜の夜にやっていたヴァラエティ番組です。手伝うと言っても、ギャグに詳しい人間がほかに誰もいないんだから、僕が出るしかなかった。五週連続で「夢あい」に出て、スタジオでスラップスティックを実演したんです――例えば黒柳徹子さんに僕がパイをぶつけられたり、逆に僕がE・H・エリックさんの頭を洗面器で叩いたりした。この現場で、渥美清さんと益田喜頓さんと知り合えたことは、『おかしな男 渥美清』に書いたとおりです。あと、坂本九さんが〈今月の歌〉として「上を向いて歩こう」を歌って、(ああ、これはいいな)と思ったのが印象に残っています。
 番組のホンは永さんが書いたのですが、浅草のお寺の息子だから話すのはうまいんだけど、彼もべつにギャグがわかるわけではないから、そこを渥美さんの芸がフォローしていた。それが実に器用で、スマートで、引き出しも多くて、すごい人がいるなあと感嘆しました。渥美さんは自分の芸を半分も見せずに亡くなったと、僕は今でも思っていますよ。
 もうひとつの反響は、「週刊読売」にいた長部日出雄さんから、「大島渚が『映画評論』を読んで、会いたがっている」と連絡がありました。長部さんはジャーナリスティックな勘が鋭くて、〈松竹ヌーベルバーグ〉の名づけ親ですから、大島さんたちと仲が良かった。大島さんは『日本の夜と霧』上映打ち切り事件があり、松竹を辞めたばかりの時期です。
 で、大島さんに会ったら、僕に「あなたのような人が喜劇映画を撮るべきなんだ」と熱弁をふるうんですね。「チンコロねえちゃん」というマンガを映画にしたいのだけど、監督にふさわしいやつがいないんだ、と言う。確かに、大島さん自身もギャグがわかりそうにない(笑)。いや、彼の「絞死刑」(六八年)はブラック・コメディの傑作ですけどね。
 当時の僕は勤め人(「ヒッチコックマガジン」編集長)だったし、志は長篇小説執筆にあったから、「監督は無理だけど、脚本やギャグ監修なら手伝えるかもしれない」と言ったら、じゃあ、石堂淑朗さんと組んで「チンコロ姐ちゃん」の脚本を書いてくれ、と。そこで石堂さんと旅館に籠って、スラップスティックについて議論したことを覚えています。当の脚本は完成したんだけど、出資元が手を引いたとかで、陽の目を見ませんでしたが。

 ――『喜劇の王様たち』がやがて大島監督の命名で『笑殺の美学』(七一年、大光社)となり、さらに晶文社版『世界の喜劇人』(七三年)となった経緯は本書(『決定版 世界の喜劇人』)の「あとがき」で読んでいただくとして、版元が変るたびに増補され、晶文社版は新潮文庫版(八三年)、そして本書の「I」の基本形になりました。

小林 晶文社が『日本の喜劇人』の後、『世界の喜劇人』も出してくれることになった、ちょうどその頃、世界を一周したら安くなる航空券があったんですよ。それでヨーロッパからアメリカをまわって、日本で観られなかった古い映画をたっぷり観たんです。とりわけマルクス兄弟の映画をすべて、それも繰り返し観ることができたのは大きかった。フランスでは仏語吹き替えのマルクス映画にあたってお手上げになったり、アメリカでは映画会社の人が「変な日本人だな」と喜んで、いろんな作品を観せてくれたり。配信やBlu-rayどころか、まだビデオの時代にもなっていない頃ですから、『世界の喜劇人』執筆には大助かりだったし、何よりついにマルクス全作品を観ることができて本当に嬉しかった。洋書を買うにも丸善やイエナなどしかなかったので、喜劇の研究書も大量に買ってきました。
 僕がよく欧米へ行っていたのは七、八〇年代ですが、ニューヨークでもパリでもローマでも、マルクスの映画はいつでも映画館にかかっていました。その時、あちらで「次はこいつだ」と目され、旧作も新作もさかんに上映されていたのがウディ・アレンですよ。今や、スキャンダルのせいで、もうアメリカでは撮れなくなっているそうですが。

 ――ウディ・アレン以降のコメディアンについては、いかがですか?

小林 スティーヴ・マーティンなんかいいと思うんだけど、実は『世界の喜劇人』を書いたことで、現代の喜劇人を追いかけることに少し熱が冷めちゃったところはあるんです。最近は喜劇人で映画を観るんじゃなくて、女優で観ています(笑)。それは冗談半分にしても、『世界の喜劇人』がスラップスティック中心だったので、今度はスクリューボール・コメディ、ロマンティック・コメディを系統立てて観るようになりました。これは、ようやく日本でも、エルンスト・ルビッチやプレストン・スタージェス、レオ・マッケリイなんかの旧作や未公開作が観られるようになったおかげですね。渋谷に品揃えのいいビデオ屋があって、ここの店員がやたら詳しくて、アメリカで古い映画がソフト化されたりすると、「あれ入りましたよ。ご覧になってないでしょう?」なんて連絡をくれたものです。
 喜劇の歴史を振り返る時に、マルクス兄弟やキートン、チャップリンたちだけでなく、ルビッチやスタージェスたちの仕事やジャンルも、むろん無視してはいけないわけで、この『決定版』では「II」のパートで補いました。「I」と「II」を併せて読むことで、喜劇映画百年史の全体像みたいなものを、ごくおおまかにでもわかってもらえたら、と願っています。

(こばやし・のぶひこ)

波 2024年6月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

小林信彦

コバヤシ・ノブヒコ

1932(昭和7)年、東京・旧日本橋区米沢町(現・中央区東日本橋2丁目)に和菓子屋の長男として生れる。幼少期より、多くの舞台や映画に触れて育った。早稲田大学文学部英文科卒業後、江戸川乱歩の勧めで「宝石」に短篇小説や翻訳小説の批評を寄稿(中原弓彦名義)、「ヒッチコックマガジン」創刊編集長を務めたのち、長篇小説『虚栄の市』で作家デビュー。創作のかたわら、日本テレビ・井原高忠プロデューサーに誘われたことがきっかけで、坂本九や植木等などのバラエティ番組、映画の製作に携わる。その経験はのちに『日本の喜劇人』執筆に生かされ、同書で1973(昭和48)年、芸術選奨新人賞を受賞。以来、ポップ・カルチャーをめぐる博識と確かな鑑賞眼に裏打ちされた批評は読者の絶大な信頼を集めている。主な小説作品に『大統領の密使』『唐獅子株式会社』『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』『紳士同盟』『ちはやふる奥の細道』『夢の砦』『ぼくたちの好きな戦争』『極東セレナーデ』『怪物がめざめる夜』『うらなり』(菊池寛賞受賞)などがある。また映画や喜劇人についての著作も『決定版 日本の喜劇人』『われわれはなぜ映画館にいるのか』『笑学百科』『おかしな男 渥美清』『テレビの黄金時代』『黒澤明という時代』など多数。

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