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森をひらいて

雛倉さりえ/著

1,540円(税込)

発売日:2022/05/18

書誌情報

読み仮名 モリヲヒライテ
装幀 Richard Doyle “The Fairy Queen takes an airy drive in a light carriage,a twelve-in-hand,drawn by thoroughbred butterflies”/Original illustration、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 186ページ
ISBN 978-4-10-334213-7
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,540円
電子書籍 価格 1,540円
電子書籍 配信開始日 2022/05/18

友よ、今こそ連帯しよう。襲い来る戦火に、私たちを害(そこな)う全てに抗うために。

手を繋ごう。この戦争を逃れて、私たちは生きる。生き延びる――。外界と隔絶された学園で寮生活を送る少女たちの間で流行する、「森を作る」という遊び。誰もが森を持つ中、揺は一人だけ森を作ることができない。思い悩む揺だったが、激化する戦争の影が学園にも忍び寄る。自らの生きる道を求めて、揺はある賭けに出る……。

インタビュー/対談/エッセイ

うつり変わる世界で、小説を書く

大前粟生雛倉さりえ

強く願えば、自分だけの森が出現する世界。幻想的な新作を紡いだ雛倉さりえさんがかねてより愛読し、大注目しているのが大前粟生さん。同世代の気鋭二人が語り合います。

大前 今日はお話ししようと思っていることを少し用意してきました。

雛倉 え? びっしり書いて来てくださったんですね!

大前 あらすじも含めて感想をまとめてみたので、読み上げてもいいですか?

雛倉 ありがとうございます。

大前 『森をひらいて』は、過去のトラウマによって主体性を失っている主人公の揺が、忍び寄る戦火や、大人たち、男たちの暴力に負けずに自分の欲望や自由をみつけるお話ですよね。
 国の方針で生徒が暮らすことになった臨時校舎も、彼女たちが作る森も閉鎖空間ではありますが、前者は受動的な閉鎖性で、後者は能動的だという対比が面白かったです。

雛倉 森は最初閉じていますが、最後に外の世界に向かって開かれていくというイメージを持って書いていました。

大前 揺が森を作るきっかけを、周囲の人たちが担っていて、それぞれとの関係性や思いが、揺が森を作る動機として結実していく。その過程で揺は色々な女性と繋がっていきますが、それが少し戦略的でもあるというか。肉体関係を持ったりするものの、飄々としていて、さっぱりした繋がりなのが印象的でした。森を通して、クラスメイトやリアルタイムで関わりを持っている人以外とも場所や時間を超えて繋がっていくのが面白いですよね。
 それと、揺が本来の自分を取り戻す方法が、他人を思いやることであり、他人のために行動することが揺自身を救うことにもなるのが素敵だなと思いました。

雛倉 確かに、そんな展開になっていますね。ご指摘いただいて初めて気づきました(笑)。

大前 揺は後半まで主体性がない分、どこか“器”っぽいんですよね。臨時校舎で起きる出来事や周囲の人間関係など色々なものを吸収できる人物なんだなと思って。ある意味、すごく主人公らしい。そんな揺がラストで自分を開放するのが物語の展開としてとても綺麗というか、説得力を感じました。
 ラストの「森の結婚」は、描写も素晴らしいですよね。畳み掛ける迫力があって、五感に直接作用するような濃密な文章でした。雛倉さんの作品は、読む人を読む前の体ではいられなくさせるような気迫を感じます。

雛倉 嬉しいです!

大前 これまでの作品とも関連して、雛倉さんにとって美が大きなテーマなのかなと。今回の場合は、他人から一方的に眼差される美しさと、自分で掴み取っていく美しさと、その違いを考えさせられました。

雛倉 美しいことがいいことなのか分からなくなった時期があります。デビュー作の『ジェリー・フィッシュ』を書いている頃は、美しければいいでしょ、と思ってたんですけど、それだけではないのではと感じることも多くなって。
 例えば、臨時校舎は私の母校をモデルにしたのですが、有名な建築家が手がけたそうで、ちょっと圧があるというか、重苦しい雰囲気を感じます。生徒が生まれる前に亡くなった建築家たちが凝りに凝って造り上げているので、執念を感じるんですよね。通っていた当時はただ綺麗だなと思っていましたが、今になってみると、美への執着がうみだす重たい空気を三年間ずっと背負わされていたような気もして……。美を至上のものとするようなデビュー作を今作で更新したかった気持ちもあります。

大前 そうしたお気持ちが入っているんですね。戦争が描かれていたりと現実と色々とリンクしているようにも感じたのですが、元から現実を取り込もうと思っていらしたのでしょうか。

雛倉 現実とリンクさせようとは思っていませんでした。一年くらい前に書き上げた作品で、戦争が起こったのも勿論想定外でした。

大前 そうなんですか。今このタイミングで読んだことで、現実に起きた戦争のことも作品に取り込まれているのかと思っていました。

雛倉 本当に偶然で……。今回のウクライナ侵攻のような大きな出来事があるとそれを作品でどう書くか、あるいは書かないか、とても難しいですよね。

大前 めちゃくちゃ難しいですね。僕は災害や戦争は全然書けなくて。そういった大きな出来事は、人によって感じることの温度差があり過ぎるので、そこを書いてしまうと、色んな人が個別に味わっている「傷」を奪ったり、ずらしたりしてしまうんじゃないかなと心配になることもあって。書くことで何かを害ってしまうのではと考えてしまいます。

雛倉 今回は図らずも作中で戦争を描いたのですが、もしこの本の刊行が半年後だったとしたら、戦争の状況次第で内容を書き換えていたかもしれません。でも、それがいいことなのかは分からないです。

大前 登場人物も今生きている我々も、自分が直接関与できるわけではないけど、自分に大きく影響がある出来事についてどう付き合っていけばいいのか。答えが出ないことだとはわかっているけれど、最近よく考えてしまいます。

雛倉 私もいまだに現実の受け止め方が分かりません。作中の戦争は、実はコロナを意識して書いたんです。コロナ禍は見えない戦争と言われていたこともあり、戦時下という設定にしました。コロナについては、ネットで調べてもどの情報が正しいのか分からなかったり、何か自分で言おうとしてもそれが正しいとは断言できなかったり。じゃあ何も言わない方がいいんだろうかと、色んな葛藤があって。この現実に対して自分がどう接していいのか分からないという気持ちを、今作ではそのまま書いています。

大前粟生

大前 僕もコロナのことは早い時期から書こうと思っていました。先ほど言った「出来事」とは異なり、「状況」として、コロナは存在しないと主張している人も含め、世界中の人が影響を受けているので、登場人物の個別のケースを書くことが却って読む人にも繋がっていくものかなと考えていて。

雛倉 大前さんの『おもろい以外いらんねん』だと、漫才をしている二人の間にアクリル板があることが、物語の構造として組み込まれているじゃないですか。それなしには隣り合って漫才できない、というのが二人の関係性とも連動している。本当にうまいなと驚きます。こういう状況の中、それを取り込みながら物語として成立させられているのがすごいですね。

大前 今日も雛倉さんとの間にアクリル板がありますが、この先、コロナが落ち着いて必要なくなるかもしれませんよね。そうしたら、アクリル板があったことや、だからこそ考えていたこともすぐ忘れてしまうと思うんです。人は何でもかんでも忘れてしまうから、考えられるタイミングで考えておきたいなと。フィクションの形であっても、書き残しておくことに意味があるんじゃないかなとぼんやり思ったりしています。

雛倉 それにしても、とても自然にコロナの世界を書いていらっしゃいますよね。

大前 コロナ禍で、以前よりもそれぞれが持っていた考え方とか価値観が強化されたなと感じています。監視社会の傾向が強くなったりしたのも、それと関連しているんでしょうね。人間関係とか人との距離感について思い悩むことも多いですが、問題の本質はコロナ以前の世界の延長線上にあることですよね。だから、自分としてはこうなる前と大きく変わらない感覚で書いています。
『きみだからさびしい』もコロナが背景にありますが、誰かに会いたいのに会えないという状況が、小説の中では恋愛という大きなテーマと重ねられると思ったから書けたというのはあります。

雛倉さりえ

雛倉 大前さんの小説って、元々、人との距離というか、関係性を描いていますよね。思わず見逃してしまうような、人と人とが接するときに生じる微細なざらつきとか毛羽立ちを、ものすごく丹念に描かれていらっしゃる印象です。『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』もそうですよね。人との距離感を強く意識させられる世の中になったとはいえ、書かれていることが本質的に変わらないというのは納得です。

大前 コロナの感染が広がって、更に戦争が起きて、今後どんなものを書けばいいのかとか、そもそも書くことに意味はあるのかなと考えてしまうこともあります。そんな中、雛倉さんが今作の冒頭に書いていらしたことがとても印象に残りました。
「すべてが無意味だったかもしれない。
 それでもいい。
 この文章を書くこと自体が、たのしかった。夢中になれた。生きるためのよすがとなり、支えとなった。
 書いている瞬間ごと、わたしは自分に救われつづけた。」
 と書かれていましたよね。多くの物書きが直面している状況を端的に表しているんじゃないかなと思います。

雛倉 この文章が一番当てはまるのは私かもしれません。揺は森に救われますが、書くことで好きな世界を創り上げたという意味で、この作品は私の森なんだと思います。

大前 小説の軸となる言葉であると同時に、作品をつくる上での祈りに近いのかなとも受け止められて。きっと色々な人に刺さると思いました。

雛倉 ありがとうございます!

(ひなくら・さりえ 作家)
(おおまえ・あお 作家)
波 2022年6月号より
単行本刊行時掲載

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森をひらくまで

 原稿用紙換算で六枚分。インターネット上で行われたイベント「ブンゲイファイトクラブ」に提出するため執筆した「森」の文量だ。鬱屈した少女たちが各自で「森」をつくって遊ぶ世界、というワンアイデアで書きはじめた作品だった。
 森の中で遊ぶ少女、というイメージは、ずいぶん前からあった。六枚の作品として書き上げたあと、もっと「森」を描きたいという気持ちが湧き上がってきた。六枚、という制約があったからこそ書けた作品だったが、その壁を取っ払ったら、私はいったいどこまでこの世界を、「森」を、拡げられるだろうか。
 書き直そうと決めた。六枚から二百枚へ。もういちど初めから、この世界をつくり直そう。コンセプトは、閉じられた世界で暮らす少女たちの、すさまじく豪奢で無為でパワフルな闘争と遊戯。一見、何不自由なく暮らしているように見えても、少女はそれぞれの呪いと闘っている。その手段として「森」をひらく彼女たちの姿を描きたかった。

「森」をひらく。それは夜半に、好きな色のマニキュアを爪に塗ること。会議用の資料の端にちいさな絵を描くこと。窓辺で育てている小型の盆栽のこと。あるいはスマートフォンのこと。パソコンに向かって、日々小説を書くこと。十年頃前に流行った、個人用のブログサイトのこと。ままならない現実で、そこでだけ自由に遊ぶことができる庭。作中ではあくまで物理的な現象であり、本物の植物で充たされている「森」だが、そのようなイメージで創った。
 ラストシーンも決まっていた。オルギアだ。性欲、友愛、嫉妬、怒り、さびしさ。すべてひっくるめて作り上げられた、それぞれの「森」同士がぶつかりあう。無為で豪奢なパレード。自他の境界がなくなり、すべてが容赦なくまざりあう。そうして巨大なエネルギーのかたまりとなった彼女たちが、外界の現実と相対する様を、ぞんぶんに描きたいと思った。

 この作品の中でやりたいことが、もうひとつあった。それは私自身のデビュー作の結末を「更新」することだ。二〇一三年に新潮社から刊行された『ジェリー・フィッシュ』に収録された「崩れる春」という章の最後に、以下のような文章がある。
「治りかけた傷口を何度も何度も弄って、その痛みで自分を支えている。自傷をやめ、傷が完治したそのとき、わたしたちはこの狂おしい痛みを忘れて、ほんとうの大人になれるのだろうか。」
 この話を書いたとき、私は十七歳だった。当時どんなことを考えていたのか、もうはっきりとは覚えていない。けれど、ほかの十七歳のこどもたちと同じく、生きづらさを抱えていたのはたしかだ。当時の自分自身や、この文章を読んで共感して下さった読者の方を否定したいとは全く思わない。ただ、あれから十年経った今では、「傷」に対する考え方がすこし変わったように思う。
 傷とは果たして、治さなくてはいけないものなのだろうか。
 治らなくても、いいんじゃないか。完治しなくたってかまわない。
 傷は傷として、傷のまま、痛いまま、つらいまま、どんどん広げてゆけばいい。個々の庭が巨大な森となり、外界をのみこんでゆくように。
 今の私は、十七歳の私が想像していた姿とはかけ離れている。相変わらず息苦しく、日々はままならない。心も弱いままだ。ほかのひとがふつうにできることが、私にはできない。まともな生活すら叶わない。
 外界もおなじだ。何も、何も変わっていない。良くなるどころか、ついに本当の戦争もはじまってしまった。どうしようもない。「ほんとうの大人」になんかなれないし、そんなものはきっとどこにも存在しない。傷は治らない。治らないまま、それでも私は二十七歳になった。痛いまま、つらいまま、書きつづけている。私自身も「森」にすがっている。
 ままならない現実で、そこでだけ自由に遊ぶことができる庭。それが誰かにとっての本書になることができたなら、それ以上の幸福はない。

著者プロフィール

雛倉さりえ

ヒナクラ・サリエ

1995年生まれ。16歳の時に執筆した短編「ジェリー・フィッシュ」が、第11回「女による女のためのR-18文学賞」の最終候補に選ばれる。同作は金子修介監督により映画化された。デビューから四作目となる『森をひらいて』では、官能的で耽美な世界観に加え、極めて現代性の高い問題意識を闘う少女の姿に託して昇華させた。他の著作に『ジゼルの叫び』『もう二度と食べることのない果実の味を』がある。

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