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ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス

滝口悠生/著

1,540円(税込)

発売日:2015/08/31

  • 書籍

やわらかな記憶の連なりは、呼び起こすたびにその色合いを変える。

東北へのバイク旅行。美術準備室でのできごと。そしてジミヘンのギター。2001年の秋からいくつかの蛇行を経て2011年の春までをつなぐ、頼りなくもかけがえのない、やわらかな記憶の連なり――。人と世界へのあたたかいまなざしと、緻密で大胆な語りが融合した、記憶と時間をめぐる傑作小説。第153回芥川賞候補作。

書誌情報

読み仮名 ジミヘンドリクスエクスペリエンス
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 128ページ
ISBN 978-4-10-335312-6
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,540円

書評

歪み、軋み、熱を帯びる小説

町田康

 昔。当今のごとく機材のよく整備されていないライブハウスや狭いリハーサルスタジオなどで演奏するとき、しばしばハウリング現象が起きた。大音響を発するエレキギターやドラムスに対抗するためにボーカルの音量を高くすると、マイクから入ってアンプを経由してスピーカーから出た音をまたマイクが拾って、という音の悪因縁に陥るのである。
 そのハウリング音たるや、たとえ悟りを開いたとしても耐えられない不快な音で、なのでボーカルの音量は一定以上、高くできず、昔のボーカリストはみな、がなるようにして歌っており、そのことは音楽のスタイルや歌詞に大きな影響を与えていたと思う。いまのように低体温な感じではけっして歌えなかったのである。
 そういうボーカリストの立場から見るとギターリストというのはきわめて羨ましい存在であった。というのはそらそうだ、こっちは生身で振り絞るようにして声を出している。しかるにギターリストはというと指先で、ちょいっ、とアンプのボリュームを操作するだけで易々と爆音・轟音を出すことができるのであり、どうしたって対抗できるものではない。
 しかしでもギターと雖もアンプを使って音を増幅しているのだからボーカルと同じくハウリングが起きないのか、というとそういうことがあった。けれどもギターにおいてはそれはハウリングではなく、フィードバック奏法という奏者によって意図された奏法で、ハウリングが忌むべき悪しきものであったのに比して、フィードバックはロックサウンドに欠かせぬ佳きものであったのである。
 そのフィードバック奏法の名手であったジミ・ヘンドリックスとそのグループ名を題名としたこの小説は、過去の記憶や経験を書く場合、ボーカリストとして書くと自分の声をなるべく大きく聞かせようとして悪しきハウリングを発生させてしまいがちなところを、ギターリストとして書くことによって、記憶や経験をフィードバックさせて気色のよいサウンドを鳴らしている。
 どういうことかというと、例えば十四年前に見たものを書く。そのためには十四年前のことをまず思い出す。記憶の弦を弾くのである。そして書く。すなわち、その弾いた弦の振動を磁石が拾い、その電流をアンプで増幅する、文章が爆音となってアンプから出る。そしてその書かれた音をまたピックアップが拾う。ここにフィードバックの環が完成するということである。
 過去と現在がループして互いに影響を与え合い、作られた愛おしい人生の時間が現出するのである。
 そしてループしフィードバックするのは過去と現在だけではなく、過去のある時期とまた別の時期がフィードバックする。或いは、こうであったであろうという記憶とそうあったかもしれないという可能性が、書くこと、すなわちそれを増幅させることによってフィードバックする。そのときその瞬間の自分の考えも書くことによってフィードバックして歪み、考えと考えが軋んで熱を帯びる。その熱がこの小説の最大の魅力である。
 ジミ・ヘンドリックスその人がギターを燃やしたその炎が、そのパフォーマンスがフィードバックして七輪の炭火やバーベキュー場での焚き火となる。相手にまったく伝わらない演奏となる。笑うなあ。でも、泣くなあ、と私は思った。
 そして最終的には自分がフィードバックしてくる。語り手がフィードバックして二重写しになる。恐ろしいくらい素晴らしい瞬間である。
 書くのは自分なのでどうとでも書くことができる。なので過去の記憶や経験や感情を書くとは自分が気色よいように、自分にとって都合がよいように書く、と、悪しきハウリングに陥る。
 その段、フィードバックは書き手が意識的にやっていること。書き手の管理下にあるノイズだから気色がよいのさ、ってことか。違う。フィードバックが気色がよいのはそれが常に逸脱をはらんでいるからだっせ。それをギリギリ限界で操っているからだっせ。とギターリストなら言うだろう。仰る通りだと思う。思いたくる。と、少しだけハウって。

(まちだ・こう 作家)
波 2015年9月号より

著者プロフィール

滝口悠生

タキグチ・ユウショウ

1982年、東京都八丈島生まれ。埼玉県で育つ。2011年、「楽器」で第四十三回新潮新人賞を受賞し、デビュー。2015年、『愛と人生』で第三十七回野間文芸新人賞を受賞。2016年、「死んでいない者」で第百五十四回芥川龍之介賞を受賞。他の著作に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』『長い一日』『往復書簡 ひとりになること 花をおくるよ』(植本一子氏との共著)など。

判型違い(文庫)

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