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戯場國の怪人

乾緑郎/著

2,420円(税込)

発売日:2023/07/20

  • 書籍
  • 電子書籍あり

死せる妹への禁断の恋が江戸を揺るがす! 芝居に巣食う情念が猛る先には。

桟敷席を予約し続ける謎の人物の噂が立つ江戸市村座。女形瀬川菊之丞、戯作者平賀源内、二代目市川團十郎、講談師深井志道軒、広島藩士稲生武太夫、大奥御年寄江島、さる公卿とその妹らを巻き込み、芝居小屋の地下で蠢く時を超えた怨讐、恋着、役者の業火等々、虚実のあわいを壮大に描き切る伝奇エンタメの極地!

目次

一章 東上桟敷
二章 妹背恋ひ
三章 冥府往来

書誌情報

読み仮名 ケジョウコクノカイジン
装幀 岡添健介/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-336193-0
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,420円
電子書籍 価格 2,420円
電子書籍 配信開始日 2023/07/20

書評

恐ろしいリアリズムを内包した新感覚の時代小説

柳亭小痴楽

 私が時代小説を好きになったのは今から10年ほど前。その前は小説は好きで読んでいたが時代物、歴史物には手を伸ばしてこなかった。というのも私は留年を経ての高校中退、碌に授業も受けず勉強とは無縁で、歴史というものに興味を持てず徳川家康・織田信長・坂本龍馬、誰が先輩かも分からない程の知識しかなかった。初めは落語家という職業柄、言葉の勉強のために読み始めたのだが、そこからは昔の日本の感覚、先人の偉業などに興奮し、今ではどっぷり時代小説にハマっている。
 歴史上の人物の伝記、今では失われた時代背景を描写した物語、いろんな楽しみ方ができる時代小説というジャンル。その中で、今作のような実在した人物を使い、昔の逸話や伝説などを織り交ぜながら作っていく物語というのも、また一つこのジャンルの楽しみを増幅させてくれる。
『戯場國の怪人』はフランスの『オペラ座の怪人』という名作をオマージュし、舞台を日本に、オペラを歌舞伎に置き換え、日本に語り継がれている伝記や逸話と照らし合わせて物語が進められていく。時は宝暦13年(1763)、市村座大看板、名女形・瀬川菊之丞が仲間と舟遊びに興じているところから始まる。冒頭の大川の静かな流れを感じられるワンシーンから、こちらもまた舟に揺られるように物語の中へス~ッと入っていける感覚が心地良い。そして一転、菊之丞が姉のように慕っている八重桐という女形が謎の死を遂げ、戯場國の悲劇が幕を開ける。
 江戸時代に破礼講釈や狂講などと言われ大いに人気を博したとされる実在した講釈師・深井志道軒とその娘・お廉、そしてこちらも戯作者であり武家浪人である実在の人物・平賀源内。この三人が八重桐の死の真相を解明しようと菊之丞を訪ねていくと、菊之丞の口から実しやかな御伽噺のような話を聞かされ、髪結いの仙吉からは市村座の東上桟敷の五番目で不可解なことが起こっているという話を聞く。時を同じくして広島藩士の稲生武太夫という、「稲生物怪録」などで有名な人物が東上桟敷五番で怪異に見舞われる。この五人を中心に瀬川菊之丞のある事実を暴いたが、そこから一人また一人と行方知れずとなる。
 時は遡ること約九百年前。隠岐、島後島に島流しにあっていた小野篁は図らずも島で怪魚を食わされ長寿を得た。そして共に怪魚を食べた男との因縁。篁は妹・白鷺との恋、男は島の娘との愛、そして大奥御年寄の江島の密情が掛け合わさり、廃座となったはずの山村座の舞台で様々な時代の物語が繰り広げられていく。人としての業、役者としての業が時に自身を忘れて役に嵌まり込み、物語へ染まっていく。
 随所に描かれる怪異、物怪との戦いのシーンは見事に迫力があり、読み物ではなく漫画を見ているような鮮明さがあって楽しかった。山村座で繰り広げられる、シーンが次々と変わる芝居と現実の様変わり。登場人物たちが感じた、何が役で何が自分自身なのかが分からなくなるような感覚を、作品を読んでいるこちらまでが覚えた。まるで私たちも“読み手”という役を戯場國で与えられているかのようだ。「お芝居は似たような筋書きや境遇の持ち主を絡めて新しい話を作り上げるのが常套手段」とあったが、まさにこの『戯場國の怪人』がそうだった。山村座での芝居も途中で台本の書き手が変わり舞台を仕上げていくのだが、本作もまた読んでいるうちに物語が足されていくような思いがした。
 役者さんは役に入っても決して己を見失ってはいけないと菊之丞も語っていたが、我々落語家も同じで、落語は一人で何役も演じる一人芝居。一役だけに入り込まずに、常に俯瞰して自分の高座を観るようにしている。舞台人としての観られる意識や欲というものに菊之丞を通して共感したと同時に、その業の深さに恐ろしいリアリズムもある。物語を通して芝居を観せられているようにも感じられたし、お芝居の世界観に入り込む楽しさも味わえた。
 そしてそれぞれの人物像も面白く、下品でちょっと胡散臭さがある志道軒と、はねっかえりだが愛らしいお廉の掛け合い。内にある強かさが小狡い源内と生真面目な武太夫とのやりとりなど、クスッと笑わせてくれる息継ぎ場のような優しさが繋ぎ目として随所にちりばめられていて、その緩急が心地よかった。
 歴史・ミステリー・ファンタジー、様々なジャンルが綺麗に混ぜ合わされた素晴らしいエンターテインメント作品で、私にとって新感覚の時代小説だった。
 荒唐無稽で摩訶不思議な怪奇、様々な愛の形、人の持つ業、それらをテンポとお芝居で楽しませる。思春期の若い人たちにも手にとって楽しんでもらいたい時代小説である。

(りゅうてい・こちらく 落語家)
波 2023年8月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

乾緑郎

イヌイ・ロクロウ

1971年、東京都生まれ。鍼灸師の傍ら、小劇場を中心に舞台俳優、演出家、劇作家として活動。2010年、『忍び外伝』で第2回朝日時代小説大賞を、『完全なる首長竜の日』で第9回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞。著書に「機巧のイヴ」シリーズ、「鷹野鍼灸院の事件簿」シリーズ、『ねなしぐさ 平賀源内の殺人』『愚か者の島』『仇討検校』などがある。

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