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象牛

石井遊佳/著

1,925円(税込)

発売日:2020/09/28

書誌情報

読み仮名 ゾウウシ
装幀 加藤正臣/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 196ページ
ISBN 978-4-10-351532-6
C-CODE 0093
定価 1,925円

象にも牛にも似たそれは、人をからかうのが大好きで――人生の岸辺を描く小説集。

自分を弄んだ男性教師を追ってたどり着いたインド・ガンジス河岸の聖地。傷心の女子大生は、ここでも「象牛」なる謎の存在に翻弄される。果たして彼女はこの懊悩から解脱できるのか――表題作の他、大阪「比ラカ駄(ひらかた)」を流れる淀川河岸を舞台に、恋に似た短く激しい熱情を描く「星曝し」を収める、芥川賞受賞後初の作品集。※「ラ」は手偏に「羅」、「カ」は「加」の下に「可」

目次
象牛
星曝し

書評

過剰なことの価値

斎藤美奈子

 百年に一度の大洪水に襲われたアダイヤール川。デビュー作で芥川賞を射止めた『百年泥』は、南インドのチェンナイを舞台にした、けったいな小説だった。
 でもまだ『百年泥』はおとなしかったのだ。石井遊佳の二冊目の本『象牛』はもっと濃厚で手強いぞ。
 収録された二編はどちらも川と川べりの物語である。もちろん清流などであるはずはなく、この世とあの世の森羅万象を煮込んでスープにしたような都市の川である。
 表題作の舞台は北インドのヴァーラーナシー(ベナレス)だ。ヒンズー教最大の聖地とされる宗教都市。ガンジス川で沐浴をする人々の姿で有名な、あの町である。そこに「私」はひとりで来た。そこは彼女の担当教官・片桐徹准教授のかつての留学先で、どうやら彼女と片桐はいわゆる「不適切な関係」にあるらしい。
 とはいえテキストは、ハナから読者を煙に巻く。
〈象牛は、通称である。象でも牛でもない。合いの子でもない。象のような鼻に、牛のような体つきと間のびした顔という、とりわけ目立つ特徴に対して名を与えただけと思われる〉。これが書きだし。〈背後から忍び寄るしなやかな足取りは猫そのものだし、鍵穴じみた眼は山羊そっくり、四肢はピッパラ樹の切り株、尻尾は竜王シェーシャさながらだ〉
 そんな動物っているの? そうなのよ、うっかり騙されるとこだったわよ。ピッパラ樹(ブッダがさとりを開いた菩提樹のことだそうだ)とか、シェーシャ(インド神話に登場する蛇神らしい)とか、単語のひとつひとつが難解なうえに、この片桐准教授ってのがまたインド学版の文学部唯野教授((C)筒井康隆)みたいな曲者で、怪しげな論文やエッセイを量産しているのである。
〈二人きりで会わなくなって一か月以上たつ。日本での日常を離れ、異国で会えたら、初めて出会ったときの二人にもどれるかもしれない〉なんて乙女チックな幻想に浸りながら、このおっさんに心酔している「私」が、ヴァーラーナシーの町をほっつき歩き、ときには彼の論文(もっともらしい!)を引用し、ときには母と自分の辛い過去(こっちは悲惨!)を回想する。
 しかも象牛だけで飽き足らず、「リンガ茸」(リンガとは女性器から男性器が生えたような形の造形物)なんて妙な生物まで出てくるわけよ。〈〈象牛とリンガ茸のように〉、これは同時存在が難しいことの喩えです〉という半可通の言葉に対して片桐いわく〈どちらも実在しますよもちろん、ヴァーラーナシーのガンジス川岸にうようよいる〉。
 ほんまかいなー、と言ってるうちに、あれよあれよと読者は物語に巻きこまれ、「私」は最後に気付くのだ。〈インドに来るはるか以前から私の行く先々はいたるところ象牛だらけだった〉のだと。
 同時収録の「星曝し」は、ざっくりいえば作者の出身地である枚方市(大阪府)のご当地文学ですね。といっても、普通のご当地文学のわけがない。枚方じゃなく比ラカ駄(「ラ」は手偏に「羅」、「カ」は「加」の下に「可」)やからね。関西の人に有名な「ひらパー」こと「ひらかたパーク」も、ここじゃ比ラカ駄パークである。
 枚方はもっか七夕売り出し中なんだけど、石井版の七夕は〈集団夜遁げにしかみえない〉代物。ありったけの所帯道具をリヤカーや風呂敷包みで淀川の川原に運びだし、ござの上に並べて一晩中星にさらす。これが虫干しならぬ「星曝し」の行事。そして「私」はこの川原で時計修理人だった父をはじめ大勢の死者と出会うのだ。
 石井遊佳が描く枚方ならぬ比ラカ駄はノスタルジックな情景にあふれていて「新境地」の感ありだけど、「象牛」も「星曝し」も主人公は過酷な少女時代をおくっている。父のDV、母の育児放棄、父母の離婚、摂食障害……。大がかりな舞台装置は案外、さわれば崩れ落ちそうな少女を支える装置なのかもしれない。
 虚実ないまぜになった世界に、ドキッとするほど現実的な情景が挟まる。それが石井遊佳の持ち味で、でも少しわかったぞ。世間じゃマジック・リアリズムとか言ってるけどさ、石井遊佳のなかには大阪のおばちゃんが住んでんのよ。ただのおばちゃんちゃうよ。学のあるおばちゃんや。だから暑苦しいしひつこいし、法螺話に迫力があんのよ。あっさり味が受ける時代だからこそ生きる過剰さの価値。当てられてください、ひつこさに。

(さいとう・みなこ 文芸評論家)
波 2020年10月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

石井遊佳

イシイ・ユウカ

1963年大阪府枚方市生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。南インド・チェンナイでの日本語教師の経験を元に書いた「百年泥」で、2017年の第四九回新潮新人賞を受賞。翌年、同作で第一五八回芥川龍之介賞を受賞。2020年9月現在は大阪市内に暮らし創作を続けている。

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