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ガリンペイロ

国分拓/著

1,870円(税込)

発売日:2021/02/25

書誌情報

読み仮名 ガリンペイロ
装幀 Eduardo Makino/カバー写真、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 335ページ
ISBN 978-4-10-351962-1
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,870円
電子書籍 配信開始日 2021/02/25

俺たちは掘って掘って、掘りまくる。惨めな人生をひっくり返す「金塊(奇跡の一発)」を掘り当てるまで――。

この場所を明かした者は死を覚悟すべきである――。生意気な新入り《ラップ小僧》、殺人の前科者《縮れ男》、ゴミ箱で発見された捨て子《マカク》……。アマゾン最深部にある非合法の金鉱山は、「掟」に従うならば、どんな人間でも受け入れる。泥に塗(まみ)れ黄金を探す男たち(ガリンペイロ)の虚栄と嘘、微(かす)かな真実。NHKスペシャル、待望の書籍化!

目次
序章 村の女
第一章 ならず者どもの王国
第二章 泥に塗れ、目は赤くなる
第三章 下僕たちは忽然と消える
第四章 熱病の森
第五章 聖夜が過ぎて澱となる
第六章 視えない十字架
終章 天国、もしくは空

書評

男たちが金塊に託した夢

ヤマザキマリ

 恩恵も容赦も無い過酷な南米大陸の密林の奥地に、失うものは自らの命と僅かな蓄え以外何も持たない男たちが身を寄せる、吹き溜りのような場所がある。彼らの多くは、密林に暮らす原住少数民族のように大地や空や樹木から神を感受し、必要最低限度の人としての理性や社会的秩序を見出しているわけでもない。義務教育もろくに受けていなければ、そもそも生きていることを誰かに敬われているわけでもない、人間界では屑扱いすらされている存在である。
 彼らはガリンペイロと呼ばれている金鉱採掘人たちだ。出自は様々だが、殺人の罪で刑務所暮らしを経てそこへ流れてきた男もいれば、商売で訪れていた娼婦によって生み落とされ、そこを故郷として生きている男もいる。生後間も無く道脇のゴミ箱に捨てられていたという男もいれば、困窮する大切な家族を支えるための出稼と捉えて働く男もいる。野心と虚脱が澱んだその採掘所で、そのうち入手できると見越した金の報酬をツケに飲む安酒の匂いが混じった粘着質な汗を全身から分泌させながら、見つかるかどうかもわからない金の塊を探して生きているガリンペイロたちにとって、その地は生きる苦痛を体感できる地獄であり、同時に居場所を失った自分たちを匿ってくれる寛容な天国でもあったが、そんなことは彼らにとって、大した問題ではない。
 誰かに必要とされることもなく、死ぬまでひたすら生きていくという宿命と覚悟を受け入れたガリンペイロたちにとって、金塊に託した夢と希望は生命力を繋ぎ止める糧である。生きているうちに、人の愛情からは得ることのできなかった幸せという魂の喜びを、一度でもいいから感じてみたいと願う彼らの黄金への執着と執念は強固だが、膨張した希望のもたらす凶暴性によって思い入れはいびつに歪み、儚く、そして脆い。
 どんなに近しい間柄でも他者である限りは決して心底から信じることはない、例えばシチリアのマフィアに見られるマチスモの猛々しい怨嗟と諦観に似たようなオーラが、ガリンペイロの侘し気な佇まいにも潜んでいる。裏切り者や勤労意欲のない奴は、虫けらのように消えるか消されるが、そんなことも一部のお喋りな連中以外は、特に誰も意に介さない。著者がドキュメンタリー撮影のために滞在していた数週間の間にも、何人かの男達が殺され、消えた。理由や真相は不明確だが、こうした出来事は法の及ばない密林の奥地では日常茶飯事なのである。
 著者がこうしたガリンペイロとその生き様を映像にしようと思い立った動機は何だったのか。通常であれば、地元のブラジル人ですら所在を知らない未知の危険地帯へ赴くには相当な覚悟が必要なはずだが、映像を観ても、または文章で読んでも、密林の金鉱山におけるそうした懸念や恐怖は、彼の好奇心にとって邪魔なノイズでしかなかったことが分かってくる。彼がこれまで手がけた「ヤノマミ」、アマゾン川流域に現れる謎の先住民族「イゾラド」、誰にも理解できない言葉を使う先住民族の最後の生き残り「アウラ」といった映像も、知られざる実態に安直な衝撃や驚きを誘発することもなければ、文化人類学的な学術性に凝ってもいない。凶暴な面構えの男であろうと、切り裂かれた腹の傷痕であろうと、青空に浮かぶ昼の月であろうと、視覚で捉えた画角の中にはどこか寓話性を帯びた散文が織り込まれている。映像を撮りながら、著者が頭の中で綴り続けていたそうした散文はやがて文章に形を変え、現場の臨場感にさらなる奥行きと、空間の生々しい臨場感を纏ったかたちで再現される。
 ねっとりと湿った熱帯雨林の放つ有機的な臭いと、耳元に飛び交う虫の羽音。ガリンペイロたちが酒とタバコにしゃがれた声で交わす、威圧的なくせに語彙の足りない弱々しい会話。疲労や失望が滲んだ汗と、噎せるような体臭。鍋の中で茹でられている野生動物の油が溶け込んだ湯気に、ソーセージや肉を焦がす炭の煙。虚栄と夢に膨らみ上がった若いガリンペイロの艶やかな肉体と、生存している証すらない小柄な混血カボクロの今にも消え入りそうな寂しい歌声。土中に埋もれて色あせている、子供向けの菓子の包み紙。
 著者はノンフィクションというかたちでなければ為せない技を巧みに操りつつも、そこに展開されている世界は創作という縛りを逸脱する圧倒的なエネルギーに満ち溢れている。全身全霊に染み込ませた身体的、そして精神的な経験が想像力と重なった時に文字が放つ、劇的かつ幻想的な描写を、最後の一行まで隈なく堪能させてもらえた一冊だった。

(やまざき・まり 漫画家)
波 2021年3月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

彼は最年少のガリンペイロだった

国分拓

 コロナ禍前の休日、渋谷の公園通りにはたくさんの若者がいた。ヘッドフォンをした男性、スマホを見ながらスーツケースを引く女性、テラス席で談笑するカップル。みな、二十歳前後に見えた。そんな、かつてはありきたりだった風景の中を職場に向かう。PCを立ち上げ映像を見始める。密林の中に巨大な穴がいくつも穿たれている。重機が唸り、泥がはねる。穴の中には人相の悪い男たちがいる。ブラジル中から無法者と恐れられているガリンペイロ(金鉱夫)だ。身体中に背徳的な刺青を彫り、腹には刃物で抉られた傷跡がある。ナイフ、ピストル、散弾銃。様々な凶器も見え隠れする。渋谷からすれば異界が映っている。
 映像の中で一人の男が大言壮語を喚き始めた。「オレは若い。時間はいくらでもある。必ず、でっかい黄金を掘り出してやる」。彼の名はラップ小僧ラッピーニョ。本名ではない。金鉱山、しかもかの地のような非合法の金鉱山では多くが本名を名乗らない。年を聞く。二十一歳だと答える。渋谷の若者たちと同年代。だが、両者の隔たりは余りに大きい。褐色の若者はスマホなど持っていないし、ポケットには小銭すら入ってはいない。小学校にもろくに通えず、自国の大統領の名前も知らない。それが、私の出会った最年少のガリンペイロ、ラップ小僧だった。
 2015年と2016年、アマゾン奥地の金鉱山につごう三回、五十日以上滞在した。NHKスペシャルの「大アマゾン」というシリーズを作るためだった。過酷なロケではあったが、法も道徳も一切顧みず、己の信則コードだけに拠って生きる彼らに強く惹かれた。一緒に行ったカメラマンも同じだったようで、帰国後に飲むと彼らのことがよく話題になった。後ろポケットにピストルを差していた頭目のこと。「おまえら、人を殺したことがあんのか?」と凄んでみせた男のこと。脱獄して逃げ込んできた男のこと。小屋の中に白アリを飼い、それを家族だと言っていた男のこと。
 そして必ず、最後はラップ小僧の話になった。2016年の最後のロケの時、彼は金鉱山から消えていた。ガリンペイロに訊ねると、他のことはいくらでも喋るのに、不自然に話題を変えようとしたり言葉を濁したりした。彼の小屋に行くと、よく穿いていたズボンと前に会ったときに食べていたウエハースの包み紙が泥の中に埋もれていた。その金鉱山では、取材した一年間で、二人が殺され三人が行方不明になっていた。
 帰国して映像を見ると、泥に埋もれたズボンが何カットも残っていた。立ち位置を変え、画角を変え、ズーミングのスピードを変え、カメラマンは執拗に撮っていた。今どこにいる? 生きているのか? レンズを通してラップ小僧と対話しているように見えた。
 膨大な言葉も残っていた。ガリンペイロの話はどれも奇想天外で法螺だと思われるものが少なくなかった。だが、彼らは何時間でも喋り続けていた。ラップ小僧もそうだ。裏など取りようのない話ばかりだったが、生い立ちを話し、ここに来た経緯を話し、町に残してきた恋人のことを話していた。
 この中に私が現場で見えなかった何かが眠っているのではないか。そう思った。大量の土砂の中に一握りの黄金が潜んでいるように、膨大な嘘の中にだって一粒の真実が隠されているかもしれない。仕草や表情を凝視し呟きや溜息にも耳を傾ければ、かの地に生きる男たちの物語を書けるかもしれない。もしかすると、ラップ小僧のその後だって辿ることができるかもしれない。
 活字にしたいと思った。ドキュメンタリー番組の制作が終わった後も、映像データを見続ける日々が始まった。
 三年以上続くことになったそんな休日。私は映像を見る前に「あるもの」を必ず確認するようになっていた。「2015第1回ロケ」と書かれたメモ帳だ。
 自席に着くと引き出しからメモ帳を取り出しページを捲る。泥がついた白い紙の上に稚拙な文字が並んでいる。

 THIAGO APOLINARIO CABOCLO

 チアゴ・アポリナリオ・カボクロ。
 ラップ小僧の本名だった。彼は唯一、あの地で本名を語った男でもあった。その時が蘇ってくる。彼ははにかみながらも、こちらがじれったくなるほどの時間をかけて二十三個のアルファベットを記していた。
 最後に彼を見た日、彼は黄金〇・二グラム(およそ八百円)で買ったウエハースをすぐには食べず、まずは包み紙を眺め、触れ、表面に印刷された文字を何度も指でなぞっていた。私も、二十三のアルファベットを眺め、触れ、ときになぞった。渋谷での日常の中で、かの地の時間と記憶を呼び覚まそうとして。

(こくぶん・ひろむ NHKディレクター)
波 2021年3月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

国分拓

コクブン・ヒロム

1965(昭和40)年宮城県生れ。1988年早稲田大学法学部卒業。NHKディレクター。手がけた番組に「ファベーラの十字架 2010年夏」「あの日から1年 南相馬〜原発最前線の街で生きる」「ガリンペイロ 黄金を求める男たち」「最後のイゾラド 森の果て 未知の人々」「アウラ 未知のイゾラド 最後のひとり」「北の万葉集2020」など。著書『ヤノマミ』で2010年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2011年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。他の著書に『ノモレ』がある。

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