
生活
3,300円(税込)
発売日:2025/05/29
- 書籍
- 電子書籍あり
「まるで春の超絶って感じ」1頁先が予測不可能、生活自体を経験する小説。
渋谷の隣、代官山の古い一軒家で父と暮らす椿は二十歳になったばかり。バイト代はほぼ服に費やし、友達に囲まれ、彼女ができたり振られたりの一見刺激的な日々。だがそれはいつまで続くのか。果たして「生活」と言えるのか──文芸の最先端を突き進む作家による、偶然と必然に彩られたジェットコースター・ストーリー。
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書誌情報
読み仮名 | セイカツ |
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装幀 | SENJI/装画、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 448ページ |
ISBN | 978-4-10-352273-7 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 3,300円 |
電子書籍 価格 | 3,300円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/05/29 |
書評
発生する「生」「活」
代官山の古い家に住む二十歳の田中椿は、小説家の父親と同居し家事をしながら、週六でファミレスのバイトをしている。彼は服を好み、かつてはスタイリストのアシスタントをしていたこともある。彼は書道も好み、料理の途中や寝つけない夜など思い立ったときには墨をすって半紙に文字を書く。「春」「恋」「人生」「生活」「欲」……書かれた文字は彼の記憶を刺激し、思考を整える。彼には恋人がいるがその恋人には正式な恋人が他にいて、しかしそれは彼自身の望むところで「恋愛になるとしても二番目以降がいい」と思っている。なので彼はセックスの前後に「二」と墨で書いたり、恋人に対する独占欲を感じれば自戒のために「家父長制」「第二次性徴」と書いたりもする。彼は知人の YouTuberの動画に出演してアンチコメントを集めたりもしている。彼は社会的にも経済的にも自立しようなどとは一切思っていない。
そんな奇妙な青年を「かれ」と称して語る語り手のもとで、「生活」と題された本作の物語は進む。春から夏、夏から秋へと移り変わる季節のなかで、物語の中心に置かれた「かれ」は服を選び、恋人と別れ、新しい恋人ができ、猫を飼う。それはまさに「生活」だが、「かれ」が日々のなかでたびたび意識を向け、墨書する「生活」という言葉は単に日々の出来事そのものを指すのではない。
「かれ」は洋服を着る身体について思考する際にたびたびその言葉を用いる。「似合うからだの拡張」を掲げ、「全人類が自分に似合う服を着るべきだって信じてる」と述べる「かれ」のファッションは、バイトの同僚の大学生からは場違いでチグハグだと思われてもいるが、「あたまを服と生活に繋ぎ止めていられれば、いつだって健康」と述懐し、「生活をキチンとしないから現場によって身体の感じがぜんぜん違ったりする」「生活とファッションが切断されているから(略)ダメなモテかたをしている」と他者を批評したりする。日々を送る身体を支え維持するようなものとして「かれ」の「生活」はあるのだ。
健やかな生活が健やかな身体を育む、と言えば平凡な標語みたいな文言だが、小説のなかに書かれる身体は、そんな簡単に育めない。なぜなら小説は虚構であり、現実としては文字の集合に過ぎず、そこにあると書かれている誰かの身体もまた文字でしかないのだから。そんな素朴で根本的な小説の困難に向き合い、繰り返しそこに身体を書くことを試みている小説家が町屋良平である。町屋作品における人間の身体は自明のものではなく、だから「かれ」もまた自身の身体を支え維持する機構としての「生活」について意識的、分析的に言及する。
物語の中盤で「かれ」は大きなトラブルに巻き込まれ、その身体は危機に瀕し、その生活は大きな変化を迎える。そして以後「かれ」とその周囲の人々はよりドラスティックに小説のなかにいる自分たちの身体について、その存在の仕方について自問するような試行を重ねていくことになる。たとえばそれはダンスや格闘技といった過去に町屋が扱った題材と重なる方法だったりもするのだが、作品終盤に至って作中人物たちはもっと直截に小説そのものとしての「語る」「語られる」行為のなかへと自分たちの身体と存在を晒していく。
「かれ」は「かれ」というからには本作の語り手ではなく、あくまで語り手から三人称で指示される存在だが、その機構のなかにおいて「かれ」がある人物から聞き及んだ話を一人称を用いて語るパートがある。そしてその語りは、誰もが知るある日本語作家の「文体」に酷似している。「かれ」がその人物になり代わって語るその語り方は借り物に過ぎず、その「文体」は「かれ」固有の「体」とはかけ離れているのだが、その行為を通して「かれ」は語るという行為に避けがたく発生する「甘やかし」の原理を見出す。他者を語ることでその身体を甘やかし、それによってその身体が、存在が、危うくなる。この境地はすごい。小説が身体を得て、強烈に自己否定をして見せているようだった。町屋良平と本作は、その「甘やかし」を徹底して遠ざけ拒みながら、どうにかして「かれ」らの身体を生き続けさせようとしている。
「生活」とは凡庸さの表れのようでいて、よく見れば(あるいは「かれ」に倣って墨書でもしてみれば)大変にバイタリティーに溢れた熟語だと気づく。文字だけからなるフィクションからはいちばん遠いような言葉だが、この作品にはなにもないところから「生」が、「活」が、発生する奇跡の瞬間が記されている。
(たきぐち・ゆうしょう 作家)
波 2025年6月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
町屋良平
マチヤ・リョウヘイ
1983年、東京生まれ。2016年、「青が破れる」で文藝賞を受賞しデビュー。2019年、「1R1分34秒」で芥川龍之介賞を受賞。2022年、『ほんのこども』で野間文芸新人賞を受賞。2024年、「私の批評」で川端康成文学賞を受賞。同年、『生きる演技』で織田作之助賞を受賞。2025年、『私の小説』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。他の著作に『しき』『愛が嫌い』『ショパンゾンビ・コンテスタント』など。