
三島由紀夫事件 50年目の証言―警察と自衛隊は何を知っていたか―
1,980円(税込)
発売日:2020/09/18
- 書籍
- 電子書籍あり
昭和45年11月25日――自衛隊市ヶ谷駐屯地で何が起こっていたのか?
公安は察知していたのか? 生き残った楯の会隊員たちは何を語ったのか? ノーベル文学賞有力候補の45歳の作家は、なぜ死ななければならなかったのか? 非公開だった裁判資料や膨大な証言資料の探索と、元自衛隊幹部や元警視庁警備課長・佐々淳行氏ら関係者への取材から、半世紀を経て今なお深い謎に迫る。
自衛隊市ヶ谷駐屯地バルコニーからの演説
「三島事件」判決主文と理由(全文)
書誌情報
読み仮名 | ミシマユキオジケンゴジュウネンメノショウゲンケイサツトジエイタイハナニヲシッテイタカ |
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装幀 | 新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 304ページ |
ISBN | 978-4-10-353581-2 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | ノンフィクション |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,980円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/09/18 |
書評
「三島事件」を見る生活者の視線
もう五十年前のことになるので、簡単に事実を
日本文学のトップランナーだった三島由紀夫がどうしてこのような行動に出たのかは、大きな謎であり、その謎は十分に解明されたとは言えない。問題の根源は、三島の政治思想と美学にあると見られた。この事件は「三島事件」と呼ばれるようになる。
しかし、当然のことながら、この事件には多くの人が関わっていた。人質にされた益田兼利東部方面総監、三島と森田をサポートした楯の会の小賀正義、小川正洋、古賀浩靖、総監を救出しようとバリケードを押しのけて部屋に入り、三島たちから日本刀や小刀で斬りつけられた自衛官たちである。駆けつけた機動隊と警察官、三島に取材を依頼されて来ていた毎日新聞社の徳岡孝夫とNHKの伊達宗克もいた。
西法太郎が『三島由紀夫事件 50年目の証言―警察と自衛隊は何を知っていたか―』で扱っているのは、この人たちである。この本では、いくつもの問いが発せられているが、最も大きな問いは、三島が首尾よく自決を果たすことができた不思議についてである。なぜ自衛隊の基地内の一室で、古式に則った手間暇のかかる自決が、森田とともにできたのかということである。
具体的には、なぜ基地内での銃の使用が許可されている警務隊ではなく、警察が事に当たったのか、なぜ警察へのホットラインが使われずに一一〇番通報がなされたのか、なぜ百人以上の機動隊と私服警官がすぐに出動できたのか、なぜ警察は総監室に突入せず、写真を撮るだけで見守っていたのか、事件発生直後に道路は混雑していたのに、なぜNHKは中継車を自衛隊内に入れ中継ができたのか、といった疑問を著者は持っている。
著者は面倒な手続きを経て膨大な裁判記録を読み、関係者にインタビューを重ね、すでに活字になっている回想の片言隻句に意味を見つけ出し、それらを結びつけ矛盾点を洗い出し、推理しては資料を読み、人に話を聞いている。このあたりのことをいくらか知っている者から見ると、誰も掘らなかった場所に鉱脈を見つけたのが分かる。この本は、三島由紀夫を後景に置き、後景にいた人たちを前景に引き出して調査したものである。
そこに浮かび上がるのは、自衛隊と警察との微妙な関係であり、そこに絡む政治家の存在であり、自衛隊の日陰者意識であり、役人体質とプライドであって、要するに憲法や自衛隊や天皇といった三島の高邁な議論とは別の、きわめて実質的で人間臭い、働く人の意識なのである。この本は、働く人、つまり生活者の目で見た三島事件外伝である。
椅子に縛られ猿ぐつわをはめられた総監は、激しい恥辱を受けたはずだと著者は思う。こういうまともな視線がこの本では生きている。総監は、救出に失敗した自衛官を昇進させて自衛隊を辞め、三年後に五十九歳の若さで亡くなる。詰め腹を切らせたのは、中曾根康弘防衛庁長官だった。総監室に突入した自衛官には、大怪我を負った人もいる。しかしそれ以上深追いをしなかったのは、自衛隊が高名な作家を傷つければ、国民からの反発を食らいかねないからだと著者は見る。警察も同様だったと考える。指示を得ずに一一〇番通報したのは、警察に通じていた自衛官がいたからだと推理している。警察は、楯の会の動きをあらかじめキャッチしており、三島と楯の会が何事かを起こすのは分かっていたことが明らかにされる。それを警察は放置して、犯罪に至らしめたと著者は考える。「不作為の罪」である。厄介な集団である楯の会の自滅も視野に入れていたようだ。NHKが中継車を駐屯地内に入れられたのも、何事かが起こると前日に分かっていたからだった。
結局皆、三島由紀夫ほどの人が「バカなこと」はしないだろうと高を括っていたのである。三島を、異能な芸術家であるとともに良識ある市民と見ていたのだ。しかしそれは、西法太郎が言うように、自衛隊や警察が自らの組織や体面を守るために、「非情」な判断を下したからだとも見なせる。
「三島事件」を異なる角度から見直すと、思想や美学とは別の生活者の視線が組み入れられることになる。それは、思想的事件を読み解くための成熟した態度にほかならない。
(さとう・ひであき 近畿大学教授)
波 2020年10月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
西法太郎
ニシ・ホウタロウ
昭和31(1956)年長野県生まれ。東大法学部卒。総合商社勤務を経て文筆業に入る。著書『死の貌 三島由紀夫の真実』論創社、2017.12、『三島由紀夫は一〇代をどう生きたか あの結末をもたらしたものへ』文学通信、2018.11。