
危機の外交 岡本行夫自伝
2,420円(税込)
発売日:2022/04/15
- 書籍
- 電子書籍あり
外交の最前線に立ち続けた「日米同盟の巨人」が死の直前まで書き継いだ驚愕の手記。
コロナ禍で命を落とした不世出の外交官は、秘録と呼ぶべき経験と日本の課題、そして真の脅威についてつぶさに書き遺していた。世界を巻き込んだ湾岸戦争、イラク戦争における外交の舞台裏。幻の普天間基地移設プラン――外務官僚の枠を超え、難題の真っ只中に自ら飛び込み続けた「特命外交官」による圧巻のノンフィクション。
太平洋での戦争
母・和子の戦争
日本の降伏
日本人とアメリカ人
押し進む人々
日米同盟の金字塔――米ソ中距離核(INF)交渉
日本に駐留するアメリカ兵たち
日本は湾岸戦争への対応になぜ失敗したのか
米中央軍に送り出した膨大な資機材
日本の屈辱
沖縄が僕の仕事になった
普天間
イラク戦争と復興
日本のイラク復興支援
失敗したアメリカのイラク統治
兵士たちの献身
敗北
困難な隣人・中国――日中は関係改善へ
さらに困難な隣人・韓国
周辺国から日本への脅威
分かれ道
超安全主義から決別できるのか
あとがきにかえて 岡本代表のライフワーク 澤藤美子
書誌情報
読み仮名 | キキノガイコウオカモトユキオジデン |
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装幀 | 朝日新聞社提供/カバー写真、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 480ページ |
ISBN | 978-4-10-354561-3 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | ノンフィクション |
定価 | 2,420円 |
電子書籍 価格 | 2,420円 |
電子書籍 配信開始日 | 2022/04/15 |
書評
岡本行夫氏が死の瞬間まで努力していたこと
2年前に新型コロナウイルスの犠牲になって岡本行夫氏が天国に旅立ってしまったことがとても残念で仕方ない。岡本氏は、聡明で、行動的で、責任感の強い人だ。それに加え、誠実な人だ。私自身の体験に即して話したい。
2001年秋のことと記憶している。鈴木宗男衆議院議員(当時、現在は参議院議員)から電話があった。「あんた、岡本行夫を知っているか」。鈴木氏は、他人を呼ぶときは役職か“さん”をつけるのが普通だ。呼び捨てにするのはその人物に強い不快感を抱いているときだけだ。私は少し身構えた。「東郷和彦さん(当時、駐オランダ大使)と一緒に赤坂の会員制クラブで会ったことがあります。二人は同期で、岡本さんが外務省を辞めてからも仲がいいようです」「実は岡本がやってきて、『佐藤優から距離を置け。ああいう者と付き合っていると鈴木先生に災いがある』と言うんだ。その場は、おとなしく聞いていたが、岡本が消えてから、(外務)事務次官に電話した。次官は『外務省を辞めた者が何で内部の人事に干渉するのでしょうか。佐藤のことは今後ともよろしくお願いします』と言われた。俺は頭さ来たので岡本に電話をして『ふざけたことをぬかすな』と怒鳴りつけておいた」
鈴木宗男事件に連座して、2002年5月に私は東京地検特捜部に逮捕、起訴され、東京拘置所の独房に512日間勾留された。この事件の当事者手記が、私が作家デビューすることになった『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』(新潮社、2005年)だ。作家デビューした後、外務省に関する評論で岡本氏の件についても書いた。すると2007年のある日、産経新聞の住田良能社長から電話があった。「佐藤さんは、岡本行夫さんに厳しいけど、何か行き違いがあるはずだ。俺が立ち会い人になるから、会ってみてくれ」と言う。それからしばらくして、産経新聞社の社長室で私は岡本氏と会った。最初15分くらいは緊張したやりとりがあったが、事実関係を比較して、二人とも唖然とした。岡本氏は、外務省の官房長から依頼され、鈴木氏に私と絶縁するように伝えた。それとほぼ同じ時期に私はその官房長から「鈴木さんとの関係はよろしく頼む。会食の席をアレンジしてくれ」と頼まれた。鈴木氏と官房長の会食に同席したが、この官房長は鈴木氏に「田中(真紀子)大臣のおかげで省内がメチャクチャです。外務省は鈴木先生に守ってもらうしかありません」とお願いしていた。官房長は、真紀子・宗男戦争が抜き差しならない段階に至っていると認識し、どちらが勝っても生き残ることができるように私と岡本氏を駒に使ったのだ。「なんて情けのないことをするんだ」と二人でため息をついた。
それから私は、岡本氏と定期的に会うようになり、共著も出した。本書の内容のうち第一次湾岸戦争、第二次湾岸戦争、沖縄問題、日米同盟などについては、岡本氏からオフレコで聞いた話がほとんどだ(活字になるのは初めての話も多い)。「あとがきにかえて」で澤藤美子氏(岡本アソシエイツ ゼネラルマネジャー)が記しているように、本書は、60代後半になって、自分の残り時間が少ないとの自覚を持った岡本氏が、日本と米国の若い世代のために書いた自叙伝という形態の外交記録であり、戦略書であり、遺書なのだ。特に重要なのは、日本の核武装が不可能であること(160~161頁)と日米同盟以外の選択肢が日本にはない(437~438頁)との指摘だ。ロシアのウクライナ侵攻後、国際秩序は大きく変化する。日本国内からも日米同盟に対する懐疑的見方と、核武装論が出てくると思う。そのとき本書に立ち返り熟慮することが日本の国益にとって重要になる。
本書で私が最も驚いたのは、農林官僚だった岡本氏の父親が細菌兵器を研究する陸軍731部隊で勤務していたという事実を明かしたことだ(32~37頁)。この話は岡本氏から聞いたことがなかった。〈「パパは人を殺したことあるの?」/父親の形相は忘れられない。/「二度とそんな馬鹿なことを聞くな、家から放り出すぞ!」/彼は泣き叫ぶ僕を家の外に追い出してしまった。〉(97頁)。二度と戦争を起こしてはいけないというのが岡本氏の強い想いだ。この想いを観念ではなく、受肉(現実化)させようと岡本氏はこの世を去る瞬間まで努力していたのだ。
(さとう・まさる 作家/元外務省主任分析官)
波 2022年5月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
岡本行夫
オカモト・ユキオ
(1945-2020)1945(昭和20)年、神奈川県出身。一橋大学卒。1968(昭和43)年、外務省入省。1991(平成3)年退官、同年岡本アソシエイツを設立。橋本内閣、小泉内閣と2度にわたり首相補佐官を務める。外務省と首相官邸で湾岸戦争、イラク復興、日米安全保障、経済案件などを担当。シリコンバレーでのベンチャーキャピタル運営にも携わる。2011(平成23)年東日本大震災後に「東北漁業再開支援基金・希望の烽火」を設立、東北漁業の早期回復を支援。MIT国際研究センターシニアフェロー、立命館大学客員教授、東北大学特任教授など教育者としても活躍。国際問題について政府関係機関、企業への助言のほか、国際情勢を分析し、執筆・講演、メディアなどで幅広く活躍。2020(令和2)年4月24日、新型コロナウィルス感染症のため死去。享年74。