祝宴
1,650円(税込)
発売日:2022/11/30
- 書籍
- 電子書籍あり
我最愛的家人。娘を誰よりも理解したい、けれど――。気鋭の新たな代表作。
「私は、彼女のことを、秘密にしたくないの」。長女が同性の恋人の存在を告白したのは、次女の結婚式の夜だった。戸惑う父は、娘にふつうでいて欲しいと願ってしまう――。日本で外国人として育った娘、外省人の祖父、日本・台湾・中国で生きる父。いくつもの境界を抱えた家族を、小籠包からたちのぼる湯気で柔らかく包み込む感動長編。
書誌情報
読み仮名 | シュクエン |
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装幀 | 松井一平/装画、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 160ページ |
ISBN | 978-4-10-354731-0 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,650円 |
電子書籍 価格 | 1,650円 |
電子書籍 配信開始日 | 2022/11/30 |
書評
『祝宴』によせて
ふつう、とはどんな居場所なのだろう。『祝宴』に登場する父親明虎は、長女瑜瑜がなぜ“ふつう”じゃないのだろうかと苦悩する。娘が日本の学校に馴染めず思い悩み、登校を拒否した時、その決断を誰よりも尊重し理解しようとしてきた。だからこそ、大人になってから打ち明けられた彼女の本当の姿をすんなりと受け入れることのできない自分自身に戸惑う。これまで彼がしてきたように、彼女を信じる自分に懸けることができない。それは、彼が育ってきた環境で当たり前とされてきたこととは違うから。愛していても、価値観が違えば心の奥底からまるごと受け入れることは難しい。
瑜瑜の育ってきた環境、彼女が抱いてきた「ここに属していない」感覚は、とても身に覚えがあった。台湾人として日本で暮らす彼女がどこかに属す安心感を手放していくしかなかったこと。そのことに共感を覚え、何十年も前の記憶が立ちのぼってきた。個人的な話になるが、幼い頃からあらゆることが周りと違っていた。両親は音楽家で、当時は華やかな世界にいた。小学校に入りたての頃、同級生に「ユーメージンの子供なのになんで公立に来てるの?」と聞かれたことが忘れられない。公立と私立の違いがわからず質問の意味がよく理解できなかったが、“そうか、ここにいるべきじゃないなら、どこにいるべきなんだ?”という漠然とした疑問が残った。幼稚園も保育園も通わず日中はベビーシッターと過ごした。小学校に入ると、当時は珍しいワインレッドのランドセル、少し背が高く、気も強く、目立つ存在として堂々とする、という方法をとるしかなく、先生とばかり喋っていた。週末の公園には家族連れが集っていたが、『うちはそういうんじゃないから』と無表情な心で通り過ぎた。また宗教的な理由で誕生日もクリスマスも祝わず、世の中に当たり前なことの多くが我が家にはなかった。その後九歳でニューヨークに引っ越し「日本から来た女の子」になった。英語は一言も話せないまま現地の小学校生活が始まり、「トイレに行きたいです」と母親に書いてもらったメモを先生に渡した。そうして十代をずっとアメリカで過ごしたが、いわゆるアイデンティティ・クライシスに苦しんだ感覚は薄い。客観的に思い返すと、いつからか、周囲と違っていることを自分のアイデンティティにしたからだと思う。きっと、そうするしかなかった。そのうちちょっと変わった子だからと適度に放っておかれるのが心地よくなり、似た度合いで変わった友達もできてきた。基本的に楽観的でとてもラッキーなパターンかもしれないが、環境が変わっていたことは自分を強くしてくれたし、あらゆる立場を想像する癖をつけてくれたのではないかと思う。
自分と違っていてわからない時は、まず想像する。わたしたちはこんなに違う。明虎のように仲の良い家族であっても、これほどまでに価値観が違い、正義が違う。それでも、理由がわかれば受け入れたり許せたりすることも多いのではないか。先日、学び始めたばかりの韓国語に「なぜ?」と聞く言葉のパターンが多いと聞いてハッとさせられた。相手がなぜそうしたのか、どうしてそう思うのか……それは、人付き合いが日本よりも生々しく人と人の距離が近い韓国の文化において要となっている気がする。自分とは違った正義であっても、それがどんな文脈で生まれたものであるかを知ることで、相手を理解し受容しようとする姿勢。まず聞く、そして想像する。理解と受容は、愛していれば自動的に生まれるものではないから。
そして大人になって振り返ると、瑜瑜がそうであったように、私も愛されていた。たくさんのものを知らないうちに親からもらっていたのだ。そして、親と子どもがいる、三世代の真ん中に立った今、アイデンティティなんてものは子どもへの愛には全く関係ないことがよくわかる。自らを証明しなくたって、あなたはあなた。どんなバックグラウンドで、どんな血が流れていようとも。自分もきっとそんなふうに愛されていた、ということが人生の基盤になっていく。たとえそれに気づいたのがとうに大人になった今だとしても。
現実はそんなに甘くないよ、この世の差別はまだまだ終わらない、それによってあらゆるチャンスが閉ざされ、世の中は不公平だらけじゃないか、と睨む自分が向こう側にいる。それでも、それでも、言い切りたい。ふつうじゃない私たち一人ひとりが誰かにとって何者でもない唯一無二であること。それが、この世を照らし続ける。
(さかもと・みう ミュージシャン)
波 2023年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
温又柔
オン・ユウジュウ
1980年、台北市生まれ。両親とも台湾人。幼少時に来日し、東京で成長する。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞しデビュー。2013年、演劇プロジェクト「東京ヘテロトピア」に参加し、東京で生きるアジア人の物語を執筆。2016年、『台湾生まれ 日本語育ち』で第64回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。2019年、文化庁長官表彰。2020年、『魯肉飯のさえずり』で第37回織田作之助賞受賞。著書に『来福の家』『空港時光』『永遠年軽』など、編著に『李良枝セレクション』がある。