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救われてんじゃねえよ

上村裕香/著

1,540円(税込)

発売日:2025/04/16

  • 書籍
  • 電子書籍あり

誰かの力を借りなきゃ、笑えなかった──警報級の大型新人、満身創痍のデビュー作!

主人公の沙智は、難病の母を介護しながら高校に通う17歳。母の排泄介助をしていると言ったら、担任の先生におおげさなくらい同情された。「わたしは不幸自慢スカウターで言えば結構戦闘力高めなんだと思う」。そんな彼女を生かしたのは、くだらない奇跡だった。選考委員が大絶賛した「R-18文学賞」大賞受賞作。

  • 受賞
    第21回 R-18文学賞 大賞
目次

救われてんじゃねえよ
泣いてんじゃねえよ
縋ってんじゃねえよ

書誌情報

読み仮名 スクワレテンジャネエヨ
装幀 水元さきの/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 128ページ
ISBN 978-4-10-356231-3
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,540円
電子書籍 価格 1,540円
電子書籍 配信開始日 2025/04/16

書評

若き才能にただただ震撼した

石井光太

 二十代の新人の女性が描いたデビュー作を読んで、ここまで自分が試され、心をかき乱され、ページをめくるのが怖くなるとは夢にも思っていなかった。
 作品世界は静かに淡々と進んでいくのに、読み進めていくほどに踏み絵を差し出されるような気持ちになるのは、そこに目を背けてはならない、生きることの本質が描かれているからだろう。
 本書の主人公は、十七歳の女子高生・沙智だ。アパートの八畳一間で共に暮らしているのは、彼女の母親と父親。家庭は貧しいだけでなく、母親は重たい難病を抱えて自力ではトイレで用を足すことすらできない。父親は普段見て見ぬふりなのに性欲だけは漲らせて頻繁に性交を求め、妻もまた応じる。沙智はそんな両親を横目に、昼夜の区別なく母の介護に忙殺される――。
 最近、格差や虐待など劣悪な家庭環境で育つことを“親ガチャに外れた”という。小説やドラマのテーマになることもあるので、もしかしたら本書もヤングケアラーという親ガチャに外れた若者の日常を描いた作品として広まるかもしれない。
 しかし、本書がテーマにするのは、そうした表層的な社会課題ではなく、どん底の生活の中であらゆるものをむき出しにして共依存しなければ生きていくことのできない親子のしたたかな生命力である。秀逸なのは、それを暴力や罵声ではなく、彼らの間に静かに起こる「笑い」によって描いている点だ。
 沙智が母親をトイレに連れて行き、尿で重くなった吸水パッドのついたパンツを下ろす時に、思わず口から出た「せーの」という掛け声がばからしくなって笑いだす姿、母親の口が真っ青に染まっているのを見つけ、ブルーレットかマジックリンを飲んだか飲んでないか言い合っている自分たちの滑稽さに気づいて笑いだす姿……。いつ壊れてもおかしくない家庭を寸前のところでつなぎとめているのが、そうした笑いだ。
 冒頭で私が「試された」と書いたのは、このような笑いが描写されるたびに、あなたはこれをどう受け取るのかと問いただされる気持ちになったためだ。
 たとえば、夜になって沙智が両親と同じ部屋で眠るシーンがある。両親は娘の存在を気に留めることなく性交をはじめる。沙智は眠ったふりをしてことが終わるのを待ち、その後ユニットバスに行き、SNSに「眠れない泣」と投稿する。すると、話したこともないクラスメイトから〈いいね〉が来て、彼女は思わず笑みを漏らす。
 このシーンを読んだ読者は、沙智の微笑に共感するべきなのか、それとも同情するべきなのか。
 本書を読み進めながら頭を駆け巡ったのは、私がノンフィクションの取材で出会った人々だった。虐待、ひきこもり、薬物依存家族など極限の機能不全家庭を取材してきたが、そこにはたしかに同じような笑いがあった。
 DV家庭で育った女の子がいた。父親は酒に酔っては妻に暴力を振るい、家具を壊した後、ハッと我に返り強張った空気を和ませようと子どもたちにアンパンマンの歌をうたうのが常だったそうだ。最初子どもたちは震えながら黙っているのだが、父親が毎回同じところで歌詞を間違えるので、いつもみんなで笑ってしまった、と彼女は話していた。
 似たようなことは災害現場でもあった。東日本大震災の際にできた遺体安置所で、亡き親と悲しみの対面を果した家族が「なんで昼間に津波に流されたのにパジャマ姿なのよ」と泣きながら突っ込みを入れて笑っている光景を見たこともある。
 彼らが立っている現実は、亀裂だらけの薄氷のようなものだ。ただ、人は大きな絶望だけを背負って生きていけるほど強くはない。どれだけ小さくても暗闇の中に光を見いださなければ前に進んでいくことができないのだ。マッチ売りの少女が命尽きるまでマッチを擦って温かな夢を見ていたように、いかに過酷な状況にあってもわずかな幸福を探し出して歩を進めるのが生きていくということなのである。
 本書が描くのは、まさにそうした人間の姿だ。沙智の家族が絶望的な家庭環境の中で小さな笑いを重ねていく姿を活写することで、同情や共感を超越したところにある生きることの本質を読者に突き出してくる。
 今後、著者がどれだけ大きな志を持ち、どんな世界を描くのかは未知数だ。身近な社会問題を題材にしつづけるのか、災害や歴史といった壮大な題材で人間の生きる意味を問うていくのか。何にせよ、人が生きる姿をこれほど深い次元でえぐり取った若い才能に触れられたことに、私はただただ震撼している。

(いしい・こうた 作家)

波 2025年5月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

上村裕香

カミムラ・ユタカ

2000年佐賀県佐賀市生まれ。京都芸術大学大学院在学中。「救われてんじゃねえよ」で第21回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞。

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