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失われた貌

櫻田智也/著

1,980円(税込)

発売日:2025/08/20

  • 書籍
  • 電子書籍あり

本物の「伏線回収」と「どんでん返し」をお見せしましょう!

山奥で、顔を潰され、歯を抜かれ、手首から先を切り落とされた死体が発見された。事件報道後、警察署に小学生が訪れ、死体は「自分のお父さんかもしれない」と言う。彼の父親は十年前に失踪し、失踪宣告を受けていた。無関係に見えた出来事が絡み合い、現在と過去を飲み込んで、事件は思いがけない方向へ膨らみ始める。

目次

六月二十九日 顔のない死体
六月三十日 小さな来訪者
七月一日 欠けてゆく月
七月二日 もつれた過去
七月三日 リストの名前
七月四日 死んでいた男
七月五日 破られた約束
七月六日 あるはずの光

書誌情報

読み仮名 ウシナワレタカオ
装幀 (C)Getty Images/カバー写真、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 304ページ
ISBN 978-4-10-356411-9
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,980円
電子書籍 価格 1,980円
電子書籍 配信開始日 2025/08/20

書評

櫻田智也だから書けた警察ミステリ

今村昌弘

『サーチライトと誘蛾灯』『蟬かえる』など、虫好きの主人公、魞沢泉シリーズで高い評価を受けた櫻田智也がノンシリーズの長編を出す。それだけでもミステリ読者として興奮するのに、その作風がこれまでの素人探偵による連作短編とはまったく異なる警察ものだというのだから、期待が高まるのも無理からぬことだろう。この作品を一言で表すのなら、熟成の進んだウイスキーのような、奥深い味わいのミステリである。単なる謎解き、単なる警察小説、あるいは人間ドラマではなく、いくつものタイミングで豊かに表情を変える櫻田ミステリの新境地だ。
 物語は、山奥の谷底で男性の死体が見つかったことから始まる。死体は他殺であるのみならず、顔を潰され、歯を抜かれ、手首から先を切り落とされるという、徹底して身元を隠蔽しようとした痕跡があった。そして事件報道後、所轄署の生活安全課を一人の小学生が訪れ、「死体はぼくのお父さんじゃないんですか?」と質してくる。彼の父は十年前に行方不明となり、すでに失踪宣告を受けていたのだ――。
 冒頭からミステリ好きの心を搔き立てる“顔のない死体”の登場である。『失われた貌』のタイトルとカバーデザインを見ただけで琴線にふれる人もきっと多いはずだ。しかしこの死体が登場した際、私は内心で首をひねった。科学捜査技術の発達した現代の街でそれを登場させたところで、どうやって謎を維持するのだろう。探偵の論理のみが頼りとされるクローズド・サークルの中ならいざ知らず、警察の捜査が及ぶ場所で“顔のない死体”を出すメリットがどれほどあるのかと思ったのである。作中ではやはり、血液型や足紋などから死体の身元は早々にして割れる。だからこそ、犯人はなぜここまで手間をかけて死体を損壊させたのかという新たな謎が、物語の背後で不気味な存在感を放つこととなる。
 顔のない死体の発見と前後して、大小さまざまな事件が起きる。不審者による児童への声かけ事案、顔のない死体とは別の変死体が見つかった部屋の住人の行方不明案件、卑劣な脅迫の痕跡……。主人公である捜査係長・日野雪彦はそれぞれに関わってゆくのだが、その捜査手法はいたずらにエンタメに傾くことなく、基本に忠実で一見すると地味ですらある。それでいて複数の事件が絡み合い、増える事件関係者たちへの聞きこみを中心としたストーリーを展開させることは、多くのミステリ小説家にとってどう見所を作ったものかと頭を抱える難題だ。ここをクリアできないと、どんなに驚きのクライマックスが控えていても、そこにたどり着くまでに読者の根気が尽きかねない。だがご安心を。本作ではこの点にこそ櫻田智也の手腕が存分に発揮されており、読者の思考を巧みに整理しながら決して飽きさせることはない。そしてささいな描写が、後になって驚きの真相の引き金となって読者の額に突き付けられる。ぜひ「あそこがいい」「いや、あのフックもうまかった」と誰かと感想を語り合いたいのだけれど、しばらくは皆さんの手元にこの本が行き渡るのを待つしかない。
 また、この作品は警察小説としても独特の骨太さを備えている。合同捜査をめぐる他署との主導権の綱引き、因縁の過去を持つ同僚、なぜか口の重い事件関係者、激務によって歯がゆい距離感の空いた家族――。日野を悩ませる登場人物たちは、決して事件解決へのハードルの役割のみで用意されるのではない。なにかに真剣に向き合い、だからこそ清廉なだけではいられず、互いに簡単に通じ合えず反目することもある。そんな単なるキャラクターを超えた生々しい人間の描き方は、作者がこれまで丹念に積み上げてきた経験の賜物だろう。時にコミカルな掛け合いを、時に痛切な吐露を交えながら進む捜査は、つい論理と証拠に囚われがちな私に、事件とは人の営みと切り離せないものなのだと教えてくれる。読み終えた時、誰の頭にも必ずお気に入りの登場人物が浮かんでいるはずだ。私のお気に入りは日野が聞きこみに訪れたバーのマスター。客について話すのを愛想なく拒むくせに、ある来店者についてはやけに素直に口を開く。そのわけを尋ねると、「俺が義理立てるのは客に対してだけさ。その人は、なにも注文しなかった」。なかなか憎い人物ではないか。
 すべての謎が解かれた後、一人の人物に向けて日野が言葉を告げる。事件が解決した後ではなく、あくまで謎が解かれた後というのが肝だ。そしてその言葉は主人公がミステリにおける探偵ではなく、警察官だからこそ口にできた言葉であろうと思う。ぜひ、読者の皆さんの目で確認していただきたい。
 とにかく、櫻田智也ならではの警察ミステリを堪能できた一冊であった。

(いまむら・まさひろ 作家)

波 2025年9月号より
単行本刊行時掲載

体温のある警察官たち

青崎有吾

 羽化は済んだものとばかり思っていたが、実はまだ、蛹にすらなっていなかったのかもしれない。
 一作目『サーチライトと誘蛾灯』が刊行されたとき、櫻田智也という作家は、泡坂妻夫リスペクトとトリッキーな構成を売りとする、ユーモアミステリの担い手に見えた。二作目『蟬かえる』では爽やかな筆致を維持しつつ、社会性の反映と謎解きのロジックにも注力。小説的な完成度がぐっと増し、高い評価を獲得した。三作目『六色の蛹』でもこの路線に磨きがかかり、櫻田智也は早くも作家として完成されたのだ、と思っていた。……のだが。
 最新作『失われた貌』は、これまでとは毛色の異なる長編県警小説であるという。一読して、さらに驚いた。カッチリしているのに中心は温かい、あまりない読み味の警察小説なのだ。つくづく追いかける価値のある作家である。そういえばデビュー前は、ウェブメディア「デイリーポータルZ」のライターであったとか。まだまだ隠していそうですね、抽斗を。
『失われた貌』のストーリーもまた、意外性の連続で読者を翻弄する。
 J県の山中で発見された男性の身元不明死体は、顔を潰され、歯を抜かれ、両手首まで切り落とされていた。臨場したのは所轄署の新任係長・日野。警察の捜査の結果、同時期に近場で起きていた事件と死体がつながり、身元が特定される。しかし、犯人は誰なのか。身元をここまで念入りに隠そうとしたのはなぜなのか。事件の裏では誰と誰がつながり、何が起こっていたのか……。複数の事件と関係者たちの過去をめぐり、日野は思わぬ混沌へ踏み入る。
 トンネルを抜けるたび新たな景色が飛び込むように、暗中模索の中で移り変わる場面ごとの空気が印象的だ。ゴミ屋敷と化していた第一発見者の実家で、父と娘との間に流れる生々しい緊張感が描かれたかと思えば、署を訪問した小学生との無邪気なやりとりもある。バーのマスターに探りを入れるワンシーンなどは掛け値なしにかっこよく、ハードボイルド作品としての風味も備えている。
 けれど、『失われた貌』最大の魅力は、作中の警察官たちがまとう「人間味」の出し方にある。
 警察小説の登場人物には常に二面性が求められる。捜査班の一員として役目をこなし犯人逮捕に貢献する、歯車的な側面と、そんな組織内でも「個」を発揮し読者の共感を喚起する、人間的な側面。器用貧乏な作家の場合、家庭内不和やハラスメントといった過剰な要素を盛り込むことで「人間味」を担保しようとする。だからフィクションに登場する刑事たちは、妻と別居中だったり、そりの合わない上司がいたりする。この手法は国内外問わず警察モノの様式美となり、一種のマンネリ感にすらつながっている。
 櫻田智也のとった手法は異なる。
『失われた貌』に登場する警察官たちは、管轄の軋轢も多少描かれはするものの、互いを尊重し、同じ方向を向き、市民の安全を第一として動くことのできる実直な人々だ。そして作者は彼らの行動に、さりげなく、ささやかな「隙」を挿し込む。星占いを素直に信じる部下。訪問先の店名を勘違いし、頓珍漢なことを言う隣の署の主任。いつも胃薬をもらい損ねる日野。彼の家庭内で交わされるホットドッグにまつわる議論――。勤務描写・生活描写の中に、これらの「隙」がシームレスに挿入される。この一見余分な、かわいらしい「隙」の連続が、警察官たちにリアルな質感と体温を与えている。いい人たちだな、こういう人たちに捜査してもらいたいな、と心から思える。
 他愛ないようでいて難しい、「人間味」をにじませるためのバランス感覚。ユーモアミステリを下地とする櫻田智也ならではの武器だ。そして油断ならないことに、事件の核もこの「人間味」の中に隠されている。細いヒントを手繰りながら捜査を進める日野の先に待つのは、やさしさと、やるせなさがせめぎ合うような真相だ。自分だったらどうしただろうか。読み終えたあと、ふと考えてしまった。
 ところで本作、宣伝にもかなり力が入っている模様。SNSに流れてくるプロモーションには「伏線回収」「どんでん返し」の惹句が躍る。
 もちろん版元としては売れなければ意味がないし、大きく扱ってもらえるのは作家冥利につきること、ではあるのだが。プロモーションで喧伝されるインパクトと実際の読み味には、やや温度差があるように感じた(私の読み方がズレているだけかもしれませんが)。せっかく読者にリーチしても、この温度差が興を削ぐことになってしまってはもったいない。というわけで、この文章を読まれている方には一言添えておこうと思う。
『失われた貌』は、やさしさとやるせなさの警察小説だと思います。これ、念頭に置いておいてください。

(あおさき・ゆうご 作家)

波 2025年9月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼伊坂幸太郎、【うっとり】

ミステリーが好きで良かったなあ、本当に良かったなあ、と思わずにはいられない。
主人公の日野は非情な私立探偵のようだ。彼の葛藤を勝手に想像し、しばらくそのことばかり考えていた。


▼恩田陸、【舌を巻く】

捜査と謎解きのハイブリッド。
すべてのピースがひとつに収まるのが驚異的。


▼米澤穂信、【ガッツポーズ】

成熟した小説が大胆な真相に至る──。
こういうミステリを待っていた。ついに、来てくれた。

著者プロフィール

櫻田智也

サクラダ・トモヤ

1977年生まれ。北海道出身。2013年、昆虫好きの青年・エリ沢泉(えりさわせん。「エリ」は「魚」偏に「入」)を主人公とした「サーチライトと誘蛾灯」で第10回ミステリーズ!新人賞を受賞しデビュー。2017年に、受賞作を表題作とした連作短編集が刊行された。2021年には、エリ沢泉シリーズの2冊目『蝉かえる』で、第74回日本推理作家協会賞と第21回本格ミステリ大賞をW受賞。他著に、『六色の蛹』(いずれも、東京創元社刊)がある。『失われた貌』は、初の長編となる。

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