
14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで
1,870円(税込)
発売日:2026/02/18
- 書籍
- 電子書籍あり
暗闇にいた私の転機は、小学五年生で訪れた──。胸に迫る魂の救済の告白。
読むことはできる。むしろ大好きだ。でも、漢字を習い始めて気づいてしまった。どうやら自分は「普通」ではないらしい。努力し、へそを曲げ、諦めた頃、恩人と出会った。同じ障害を持つ人と交流を重ね、「合理的配慮」によりタイピングが表現の手段となる──自分を取材するように見つめ驚くほどの素直さで綴られた、障害当事者の少年の告白。
はじめに
本書を読んでいただくにあたって 編集部
一 やさぐれていたころ
読書が好きな少年/(庵点)一年生になった~らぁ~/字が書けない?/手書きをしているときの、私の脳内/アタマの中で、忠実に、書いても/コピー&ペーストなんてものはない/小学二年生、文字を書くのが苦手だと悟る/漢字を詰め込む「漢字カード」/小学四年生、漢字を諦めました/なぜもっと早く諦めなかったのか/紙はまるで空気のように遍在する/ノートから生まれた劣等感/筆記用具を究める/万年筆のすゝめ/そうだ 本、読もう。/図書室に逃げ出した/「本の虫」の羽化/創造に目覚めた瞬間/セーフティーネットは金魚すくいのポイのようなものだ/放課後と郷愁/校内でもっとも不思議な場所へ/君は聴覚過敏を知っているか?/コントロールできないノイズ/「安心」という行動原理/空気は読むものではない。なにしろ、気体である/二度と戻りたくない闇の中
コラム(1) 書き障害の文具遍歴
二 「書く」ことは楽しい
朝焼け、小学五年生冬の出会い/KIKUTAプログラムの意味/書ける、書けるぞ!/ダンスに出られなかった運動会/ADHD治療の投薬とはどういうものか/私を勉強させる方法/受験小戦争へ/書き障害の受験戦術/模試でもまた、手書き……/主要五科目では English is not that bad./母による計画的失敗の成功/権利と選択のための交渉/合理的配慮の威力/終着点
コラム(2) 木材・フェルト・鉄材
三 14歳だって考える
読み書き障害へのスタンスは二つある/合理的配慮を申請する勇気の出ない仲間へ 要因(1):普通だと思っていた自分と、そうでない現実とのギャップに戸惑う 要因(2):認めたくない。怖い。認めたら負けだと思える 要因(3):人には迷惑をかけたくない。こんなにも多くの人を巻き込んでまで、自分が合理的配慮を受け通す価値があるのか、と思う 要因(4):教室で一人だけ違うことをしているのが嫌だ 要因(5):先生や他の大人が合理的配慮なしでの学習を勧めてくる。それが当たり前だと思っているので、合理的配慮を申請するのが億劫/自分のことなんてすぐに理解できるわけがない/合理的配慮を申請された先生方へ/先生方にお願いしたいこと/保護者のみなさんへ/読み書き障害のサイン/一児童生徒たるあなたへ/未来に向けて
コラム(3) ことばの國の絞りカス 文体遍歴
あとがき
注
書誌情報
| 読み仮名 | ジュウヨンサイジヲカケナイワタシガカクヨロコビヲテニスルマデ |
|---|---|
| 装幀 | ゆうき/装画、新潮社装幀室/装幀 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判 |
| 頁数 | 208ページ |
| ISBN | 978-4-10-356731-8 |
| C-CODE | 0095 |
| ジャンル | 文学・評論、ノンフィクション |
| 定価 | 1,870円 |
| 電子書籍 価格 | 1,870円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/02/18 |
書評
「読み書き」という名の灯り
「知」の光がなければ、世界は暗闇である。南北戦争以前、米国南部州の多くでは奴隷に教育を施すことが厳しく禁じられていた。「読み書き」という名の灯りを奪い、「無知」という鎖で縛りつけることで、奴隷を暗闇に閉じ込めておくためだ。
自由への鍵が読み書きにあることに気づき、危険をかえりみず密かにそれを身につけた奴隷もいたが、その数は多くない。主人の息子の教科書を盗み見るなどして文字を学び、のちに奴隷制度廃止に多大な功績を残した元奴隷の活動家、フレデリック・ダグラスなどは突出した例だろう。
いうまでもなく、現代の日本においては、子どもたちには等しく教育を受ける権利があり、大人たちには教育を受けさせる義務がある。学校で机に縛りつけられるのが苦痛だったという人はいても、読み書きなど身につけなくてよかったと思う人はいないに違いない。
ところが、この現代においても、読み書きという灯りが人より弱いために、暗闇に取り残されたままの子どもたちが少なからず存在する。しかもそれは、生育環境や本人の知的能力、ましてや努力不足などに帰せられるものではなく、彼らの脳の特性が周囲に(しばしば本人にさえ)理解されていないことによって生じている事態なのだ。
その特性とは、「読み障害(ディスレクシア)」、「書き障害(ディスグラフィア)」と呼ばれる学習障害である。どちらも音韻処理(文字を音として読み取る、音を文字として書き出す)に関わる脳機能の連携がうまく働かないことによる障害だと考えられているが、根本的な原因はまだよくわかっていない。
本書『14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで』は、「書き障害」の当事者による奮闘と救済の記録である。と同時に、そうした障害の存在と実態を大人たちに知らしめる問題提起の書、そして今まさに暗闇でもがいている子どもたちへ向けた手引き書にもなっている。
十四歳の男子が素朴な筆致で思いの丈を綴った本だと思い込んでこれを開くと、予想は大きく裏切られるだろう。文章は素晴らしく達者でウィットにあふれ、最初の数ページを読むだけで著者が非凡な知性の持ち主であることがわかる。中学生ばなれした知識と語彙の豊富さから、非常な読書家だということも明らかだ。そんな彼が「手書きで字が書けない」という大きなハンデを背負っているという事実には、ただ驚くしかない。
誰の目にも聡明なこの著者でさえ、自身の障害についてはっきり認識するまでは劣等感に苛まれ、今なお自己肯定感は低いままだという。過去には「こんな迷惑をかける自分なんていなくなったほうがいい」と、自傷行為や自殺未遂を繰り返したというのだから、その苦しみは当事者以外には想像もつかないほど深いのだ。
著者は小学五年生のときに支援団体と出会い、暗闇を照らす別の灯りを手に入れた。タブレットやノートアプリなどのIT機器である。著者がそれらを駆使し、自由自在に書くという喜びを取り戻していく過程には、心を揺さぶられずにいられない。
そんなテクノロジーがあるのならどんどん使えばいいと思うかもしれないが、ことはそう単純ではない。教育現場の理解不足に加え、当事者や家族でさえ、それが読み書き障害によるものだと気づかないケースも多いのである。著者も憂いているように、誰にも障害に気づいてもらえないまま「自分は頭が悪い」などと思い込み、読み書きをあきらめてしまった子どもたちも無数にいたはずだ。
かつて私はそんな青年を、『宙わたる教室』という小説に登場させた。読み書きに難があることを周囲に隠し、ぐれて中学にもろくに通わなかったその青年は、定時制高校で一人の教師と出会い、自身の障害とその対応策を知ることで、学ぶ喜びを初めて味わう。
読み書きという名の灯りさえ携えていれば、人は必ず学ぶ。灯りはもちろん、各人に合ったものを使えばいい。子どもたちが、それぞれにふさわしい灯りを手にしているか。そこに注意を払い、配慮を施すことこそ、大人たちが負う「教育を受けさせる義務」であろう。
AI時代を迎えつつある今、学ぶ意味が揺らいでいると主張する向きもある。しかし、AIの奴隷になりたくなければ、人はやはり学ばなければならない。だからこそすべての子どもたちに、灯りは必要なのである。
(いよはら・しん 作家)
波 2026年3月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ

14歳の少年が「書く」という表現を得て
森田 はじめまして。やっと15歳になったばかりですよね。一冊書き下ろすのは大変だったでしょう。
朝野 ものすごく大変でした。でも自分の経験を伝えたかったのでがんばりました。いまはちょっと、執筆ロスです。
「書く」行為を精度を上げて分析する
朝野 お読みになってどうでしたか?
森田 文字を「書く」という身体的行為は、一度できると当たり前になっていき、子どもの頃になかなか書けなかった形とか、戸惑ったのはどこでなのかとか、初めてひらがなを書いた時の細かなつまずきは忘れてしまいます。その記憶が新しい14歳のうちに書いていて、経験が新鮮です。書くことを身につける難しさをすぐに言語化できるタイミングで、丁寧に描写してくれているのはありがたかったです。
具体的に「は」と「に」を書き分けるのが難しいという例は絶妙で、感覚としてわかっていなかったのですが、文字を示して説明されると、そこが分かれ目なのかと納得できました。
朝野 「に」の左側を書いて右側を書こうとした時に、二画目の横棒を書いた後、縦棒を引きたくなるんです。結果として、「は」になってしまう。なんというか、そうなってしまうんです。本には全く逆の例が紹介されていますが、書き順がその時のノリで変わるんです(笑)。
森田 その逡巡を言語化してくれているから、読む方は「書く」行為を解剖して高い精度で捉え直せます。新鮮にそこが面白いと感じました。
朝野 当たり前のことを当たり前にやっている人がいる一方で、当たり前にできると思っている人が想像する以上に、当たり前にやれない人が数多くいるってことです。
森田 書き障害の人にとってはもちろん、そうではない人にも、書くことに正面から向き合ってきたこれまでがよくわかります。書き障害の人の中でも経験を昇華して伝える文章にまで落とし込める人は稀でしょうし、しかも編集者と出会って本の形にまでなる偶然を考えたら、貴重な一冊です。この本で救われる人もいると思うと、さらに。
朝野 単に書くことなら誰にでもできるけれど、より良い文章、美しい文章、わかりやすい文章、となるといろいろなことを考慮しなくちゃいけませんし、周りの人にも相談しなくちゃいけないし。だから書いている人はすごい。森田さんもすごい(笑)。
「書く」ことは一人ではできない
森田 原稿執筆の経緯を教えてもらえますか?
朝野 あとがきでも少し触れましたが、読み書き障害の生徒をサポートする「読み書き配慮」という一般社団法人があって、そこの講座に通っていたんです。創設者の菊田史子さんや息子さんとなんだか馬が合ってしまいましてね。学校で書いた読書感想文とか見せていたからか、その菊田さんから「コウちゃん、NHKの主催する障害福祉賞の体験作文というのがあるらしいよ、応募してみたら」と教えられたんです。その最優秀賞の賞金が50万円! で、お金に釣られました(笑)。本の土台にした原稿はもともとそのために書いたわけです。イケると思っていたのに入選しなかったのでかなりショックでした。
森田 この本のタイトルには、文字を手書きすることと、手段は何であれ表現として文章を書くこと、この両方の意味が含まれていますね。書く表現としてはスラスラとできたのですか?
朝野 とにかく私はですね、本の虫なんです。いけずな量の本を読んできました。読んでいるとこれはいいなと思う文章に出会えるので、それを心のノートに文体や表現などをスクラップしておきます。それを応用して書いている感じですかね。
森田 それは実際にどこかに書き写しておく?
朝野 違います。いい文章をアタマの中に留めておくんです。記憶力がいい方なのだと思います。
森田 なるほど! 表現としてどう進めたのか聞きたいのですが、「書きたい」という衝動がまずあるんですか?
朝野 衝動ではないんじゃないかな。基本的に私はおだてられると書いちゃう。その場のノリで書くんです。学校で必要に迫られて書く文章も、もちろんありますけど。
森田 自分の経験を言葉にする難しさはなかったですか?
朝野 ふらーっと書き始めることもありますが、私の場合は目的を持って書き始めることが多いです。とにかく書いてみる。必要最低限を書き出してみて、その文章を読んで変だなというところを直す。その上で、近くにいる人、たとえば母親なんかに読ませて感想をもらいます。そこで目的に沿っているか、伝えたい相手にわかるのか、などを考えるのですが、今回は、文章の読まれる先を考える段階がつらかった。編集や校閲の人に、「誰に向けて書いているのか」と問われて、情けない話ですがわからなくなることもありました。なんとかそれを直しましたけど、本を書くプロセスって、多くの人と関わり合って進めていくものでもあって、自力で一人で書けるかといえば到底書けないですね。
森田 締め切りは守れました?
朝野 いいことを聞いてくれました。スケジュール管理がダメダメなので、そこもつらかったんです。「締め切りは人類最大の発明だ」と聞いたことがありますが、まったくその通りだなと痛感しています。
14歳で書いたということの意味
森田 朝野さんのこの本を読むと、14歳にしては明らかに文章力があって、たくさん本を読んでいるから語彙も豊か。同時に、書き障害の仲間や保護者の皆さんに向けた文章もあり、読者に呼びかける記述だってある。この呼びかけには心のこもったあたたかさを感じました。僕自身、長男がもうすぐ10歳なのでリアルに響くところがありました。
朝野 そうなんですね。
森田 4年生の頃が朝野さんはつらかったんでしょうか。響いたのは、最終的に子どものことをいちばんよくわかっているのは子ども自身だというところです。最近まで小学生だった朝野さんに真っ直ぐ言われると、本当にそうだなと。ついつい、経験がある親の方がわかっていると思って導く方向にいきがちですが、一定の年齢を超えたら子ども自身が自覚できるんですよね。小学生の心の内面をこれだけちゃんと言葉にしてもらえると、親としては納得せざるをえません(笑)。
これが、朝野さんが大学卒業後に思い出して書いているのだとしたら、ここまで響いてこないと思うんです。つい最近まで小学生だった朝野さんの体験談だからこそ。書くことに疲れが出やすいようなら書き障害を誰かに相談してみてもいい、といった呼びかけが深く伝わってきます。
書く過程で大変なこともあったと思いますが、誰に届けるかはずっと朝野さんの中にあったんでしょうね。
朝野 誰に書くか、どういう文体にするかは、編集さんに相談したら「五つ年下の子に話すように」「先輩として」って言われたんです。そうはなっていないかもしれませんが、参考にしました。
中学受験では合理的配慮(障害のある人が他の人と同じように、それぞれの状況に応じて必要かつ適切な環境調整をすること)が認められず志望校には入れませんでしたが、全体として、タブレットを使う対応をとってもらえる方向に教育現場が変わってきたことは大きいです。2019年にGIGA構想が始まって、タブレット使用が当たり前になったし、同時に合理的配慮も制度化されてきたので、学校とも共存する道ができた。時代と自分のタイミングが合ったことは、幸運だったと思います。
森田 2019年で小学4年生ですもんね。苦労しながらも切り開く道のりが記録されたということですね。
ただ、小学校や中学校は、授業の組み方など、書き障害の生徒の難しさを想定せずに設計されていますよね。朝野さんからみて、学校の在り方としてこうだったらと思うことはありますか?
朝野 健常者は手書きで書く方がタイピングよりも成績が伸びる、という研究結果もあって、教育現場ではデジタル化のゆり戻しがあるそうなんです。健常者の人たちがその方が良いのならそうすればいいと思うんです。システムとしてどちらか一択ではなく、それぞれ、ひとりひとりに合う教育や学び方を追求していけば良いんじゃないかな、と思います。
人生には非線形の面がある
朝野 人生は非線形ですよね。
森田 原因と結果のわかりやすい対応関係がないという意味で?
朝野 はい。私自身はADHD(注意欠陥多動性障害)でその薬を飲んでいないと突拍子もないことをしすぎるので、「歩く非線形」なんです。人生は非線形で、この本を読めば書き障害でもうまくいくなんて簡単ではありません。この本は私の経験でしかないし、それぞれ誰の人生にも非線形の面があるっていうことはわかっておいてほしいです。完全なマニュアル本なんてないってことです。
森田 私も過集中なところがあって、しばしばまわりが見えなくなることがあります。
でも、だからこそ思うのです。朝野さんの「書く」喜びを手にするまでの道のりには、小学校2年生の時の校長室で遊ばせてくれた校長先生や、教え方を工夫してくれるピアノの先生といった、大事な要所要所で支えてくれた魅力的な人たちがいますよね。周囲の理解と同時に、そういった偶然の積み重ねがあった。
書き障害のひとそれぞれにとって、「困難」は違うでしょう。その一つの例だということかもしれないけれど、こういう本は今までに出ていないと思います。少なくとも、僕は読んだことがない。書き障害の全てを書いたわけではないにしても、朝野さんの経験が一つのモデルになるでしょうね。
朝野 読み書き障害のうち「書き障害」しか経験していないので、私の経験は普遍的なモデルにはならないと思います。でも、こういう存在がいるっていうことは知ってほしいです。
森田さんにとって、書くことって意味は何かありますか?
森田 書くことは僕にとっては、自分自身が変容するための身体的な行為です。生まれ変わることなんです。自分で想像もしなかった、とてつもない驚きとか発見とか、そういったものが生まれることを期待して、願って、書く。それまで存在しなかった何かが生まれることは楽しい。
この期待とワクワク感が僕をいつも突き動かしています。人を動かす大きな要因は好奇心ですよね。これまで見たことのないものを見たい。手書きであれタイピングであれ、書くという表現の向こう側に、そんなものを探し求めているのかもしれません。
(もりた・まさお 独立研究者)
(あさの・こういち 高校生になります)
波 2026年3月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
朝野幸一
アサノ・コウイチ
2010年生まれ。東京都下に生まれ、幼少期から中学時代までを過ごす。漢字を学ぶ頃から、文字を手書きすることが苦しい「書き障害」に悩み、小学5年生の時に、障害と認定された。発達障害の症状があり、空気を読むこととうるさい環境が苦手。得意なことは読書と執筆。趣味はピアノとカメラ。『14歳、字を書けない私が「書く」喜びを手にするまで』が初めての著書となる。



































