
叫び
1,870円(税込)
発売日:2026/01/14
- 書籍
- 電子書籍あり
聞いて欲しい人が一人おるんです。政と聖を描く芥川賞受賞作。
早野ひかるは「先生」に打ちのめされ、銅鐸と土地の来歴を学び始める。ここではかつて罌粟栽培と阿片製造が盛んで、満州に渡って「陛下への花束」を編み、紀元2600年記念万博を楽しみにしていた青年がいた。いつしか昭和と令和はつながり、封印されていた声が溢れ出す。大阪と大陸で響き合う夢とロマン、恋愛政治小説。
書誌情報
| 読み仮名 | サケビ |
|---|---|
| 装幀 | 須永有 「逆光の中の人」2016/装画、新潮社装幀室/装幀 |
| 雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 144ページ |
| ISBN | 978-4-10-356751-6 |
| C-CODE | 0093 |
| ジャンル | 文学・評論 |
| 価格 | 1,870円 |
| 電子書籍 価格 | 1,870円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/01/14 |
インタビュー/対談/エッセイ
芥川賞受賞記念特別企画
往復書簡「先生とわたし」
新芥川賞作家・畠山丑雄さんの受賞作『叫び』には、主人公の男を失意のどん底からすくいあげ、厳しく強烈に導く「先生」が登場します。畠山さんにも「先生」と慕う方がいます。ナボコフの『ロリータ』の名訳で知られるアメリカ文学者の若島正さんです。師弟の書簡を今月号と来月号の二回、お届けします。
畠山丑雄様
畠山くん、芥川賞受賞おめでとう。
かつて大学に勤めていたとき、わたしの目から見ると、畠山くんは「授業にはほとんど出てこないが、飲み会ではいつも顔を見る」学生でした。最近の大学事情はどうなっているのか知りませんが、過去の京大にはよくいたタイプで、こう書いているわたしも、学生だった頃は「若島はめったに授業で顔を見ない」と恩師に言われていたので、あまり人のことは言えません。それはともかく、そういう認識がガラッと変わったのは、『改元』の表題作を読んだときです。なんや、畠山くん、小説書けるやないか、というのが正直な感想でした。それまで、畠山くんが書いたものでわたしが読んだのは、あの卒業論文とはとても呼べないフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』論で、うちの英米文では卒業論文を英語で書くのが決まりですが、扱った作家の名前ですらスペリングが間違っている論文というのはおそらく空前絶後でしょう。その記憶があっただけに、まるで別人の手になるような「改元」を読んでびっくりしたのです。
とりわけ感心したのは、語り手の「私」に対して、そのパートナーである「瑛子」が、電話がかかってきて家を出てからの行動を話す場面です。作品全体は一人称の語りではあるものの、そこで視点が「私」から「瑛子」へと微妙に移行します。「瑛子」が「私」に話した内容という枠があるので、極端な変化という印象は受けませんが、それでも、そこで語られる「瑛子」の意識は決して「私」の意識に還元されるものではありません。
『改元』の出版記念イベントで畠山くんが円城塔さんとトークショーをやったとき、円城さんがまず質問したのもそこでした。「テクニックにしか興味がないので」と円城さんは言っていましたが、それに対して、畠山くんは「そっちのほうが書きやすいので、自然にそうなりました」と答えていて、それを聞いたわたしは、ああ、畠山くんは小説家やなあ、と思いました。その個所の視点の変化は、一見すると破調のようにも見えますが、三人称と一人称が曖昧になり、「龍」が「私」の中を通って「瑛子」の中に流れ込むという物語全体の構図にぴったり収まっています。計算尽くではなく、身体が自然に反応している感じ。小説家やなあ、と思ったのはそういうことです。
ここでちょっと余談を(わたしが授業中によく雑談をはさんでいたのは、畠山くんも知ってるでしょう)。四十年ほど前、授業でヘミングウェイの短篇「インディアン・キャンプ」を読んだときのことです。ご存知のとおり、ニックが少年時代に人間の誕生と死を同時に目撃してしまうという物語で、強烈な印象を残す名品ですが、いつものように英文レポートを書かせたら、ある学生がこんなことを書いていました。彼がまだ子供の頃、馬のお産を目撃したことがあったとか。子供のくせに助平な奴やなあとまわりにいた大人たちにからかわれながら、「ぼくは西瓜を持って立っていました」とその学生は書いていて、本筋にはまったく関係のないその文章に打たれて、わたしは思わずそのレポートにAをつけてしまいました。記憶の中にある、西瓜を持って立っていたというイメージが、その学生にとって妙なリアリティを持っていたはずで、それが読んでいるわたしを不意打ちにしたわけです。
こんな思い出話をしたのは、他でもありません、「改元」に大きな瓜が出てくるからです。小説の冒頭で沓脱に置かれるずっしりとした瓜は、終盤近くではシンク下で「熟しきってひとりでに裂け、覗いた青い果肉から汁が陰気に滴り伝って」います。きっと畠山くんは、さまざまなアイデアを内に抱えているでしょう。それがひとりでに裂けたとき、どんな作品がそこから顔を覗かせるのか、今後も楽しみにしたいと思っています。
若島正
若島正様
おっしゃるとおり、学生時代、私の成績は恐るべき低空飛行を続けており、今振り返ってもよく卒業できたものだと思います。先日実家を整理している際に大学の成績表が出てきたのですが、卒論含めほとんどの単位が「可」でした。数少ない「優」は屋久島でヤクザルのフィールドワークをした霊長類研究所のゼミと、アジア・アフリカ地域研究研究科の文化人類学のゼミだったので、やはり文学研究の方に進もうとしたのがそもそもの間違いだったのだと、認識を新たにした次第です。
卒業論文を提出する際も、「これで卒業させてもらえるだろうか」という不安がありました。中身がカスだったからです。あまりにカスだったので、「もう一度、卒論だけに一年かけてやりなおした方がいいのではないか」とも思いましたが、当時私は七回生で、留年回数が限度に達しており、その年に卒業できなければ放校になる定めでした。どうしようかと悩んでいるとき、たまたま『青春少年マガジン』を読んでいると、小林まことが「ダメなときは無理に糊塗しようとせず、誰が見てもダメだとわかるものを潔く出した」というようなことを書いていて、大いに励まされる思いがしました。
そうして私は卒業論文を提出し、先生方の爽やかな諦念と毅然とした寛容により、卒業を許されたのでした。試問の際の、先生方の生暖かいまなざしと、教室に満ちた、乾いた笑いを今でもよく覚えております。あのとき、もし先生方に、きびしいことばで詰められていたら、どうなっていたか。きっと泣いていたでしょう。
『改元』をそんな風に読んでいただき、ひじょうに嬉しく思います。私もあの対談で円城さんと先生がその話をしていて、「そんな話だったかしら……?」と思い、家に帰って読みなおしたところ、まさにそんな話になっていたので大変おどろき、膝を打ったものでした。
「インディアン・キャンプ」はなんとなくニックの成長譚の一つ、という記憶はあったのですが、どんな話かよく覚えていなかったので、読みなおしてみました。うーん、おもしろい。いかにもヘミングウェイらしい、過不足のない文章もすばらしいですが、個人的には直近で『叫び』というタイトルで小説を書いたこともあり、この作品においても「叫び」が気になりました。少年ニックが、今からインディアン女性の帝王切開手術をする父に向かって、「このひとに何かあげて、叫ばないですむようにしてあげられないの?」(高見浩訳)と訊く。父は、麻酔の持ち合わせがないのだ、と答えた後に、“But her screams are not important. I don’t hear them because they are not important.” と続ける。いざ手術が始まり、父が麻酔なしのままジャックナイフでインディアンの女性の腹を裂き始めても、インディアンの女性の叫び声は全く描かれない。ニックたちがキャンプについたばかりの時には彼女の叫びは “the noise” と表現されていたが、ここではその “noise” すらが不可聴化されている。無論麻酔なしの帝王切開で、インディアン女性が叫ばぬはずはない、というか、常識的に考えれば今までで一番激しい叫びになるはずである。ではなぜその叫びが小説の記述から漏れているかというと、この小説が基本的にニック視点で動いているからである。つまりニックは父の教え(her screams are not important)を受け入れ、インディアンの女性の叫びよりも、彼女に腕を嚙まれたジョージ叔父の “Damn squaw bitch!” に耳を遣っている。それまでも一度もクオーテーションマークによって前景化されなかった彼女の叫びは、ここでは地の文からも落とされている。ヘミングウェイらしい、過不足のないすばらしい文章であり、これをニックの成長譚と取るなら、そのような「叫び」が風景となり、聞こえなくなることこそ、一つの成長なのかもしれませんね。
私も一回生の頃、サッカー部の砂川くんと追いコンの漫才のために猛練習をしていると、彼の突っ込みの手が思い切り耳にあたって鼓膜が破れ、耳が遠くなったことがありました(漫才は成功しました)。その砂川くんが先日受賞をお祝いしてくれたのですが、彼は今タンザニアでエアコンを売っているそうです。お互い人生何があるかわからないものだと思います。ちなみにタンザニアはスイカが安くておいしいので、砂川くんは毎日のように食べているとのことでした。
畠山丑雄
(わかしま・ただし 京都大学名誉教授)
(はたけやま・うしお 作家)
波 2026年3月号より
単行本刊行時掲載
イベント/書店情報
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著者プロフィール
畠山丑雄
ハタケヤマ・ウシオ
1992年大阪生まれ。京都大学文学部卒。2015年「地の底の記憶」で文藝賞を受賞し、2025年『改元』が三島由紀夫賞候補となった。著書に『地の底の記憶』(河出書房新社)と『改元』(石原書房)がある。



































