
モナリザの裏側
2,145円(税込)
発売日:2026/05/20
- 書籍
- 電子書籍あり
たった一枚の絵が、私を救ってくれた──。
大好きな母親とルーヴル美術館を訪れた女性。かつてパリ留学中に出会ったという父と母の、ある絵にまつわる秘密を知ることに。バブル期の好景気のなか、NYに出張し、ゴッホ「医師ガシェの肖像」のオークションに携わることになったシングルマザーなど、名画に導かれ、自らの人生に向き合う人々を描く心温まる5篇の物語。
オスロで光の種をまく
青い馬の瞳
富士山のハンマープライス
千年のあこがれ
モナリザの裏側
書誌情報
| 読み仮名 | モナリザノウラガワ |
|---|---|
| 装幀 | 三上唯/装画、新潮社装幀室/装幀 |
| 雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 240ページ |
| ISBN | 978-4-10-356861-2 |
| C-CODE | 0093 |
| ジャンル | 文芸作品 |
| 定価 | 2,145円 |
| 電子書籍 価格 | 2,145円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/05/20 |
書評
これは美術館だ。
まるで美術館にいるようじゃないか。
一色さゆり『モナリザの裏側』という、技巧を凝らした短篇集に対して月並みな感想で申し訳ない。しかし美術館のようである。それも特別展ではなくて常設展、歴史を超えて受け継がれてきたさまざまな美の遺産が一堂に会した場だ。
技巧面は完璧である。たとえば世界でも最も有名な絵画を題名に配した表題作で、中心になるのは意外な作品である、という遊びを見てもらいたい。そうか、それが「モナリザの裏側」なのか、と美術知識を示されて読者はまず唸ることになる。末期癌の女性が愛娘とルーヴル美術館を訪れることが話の発端で、次いで彼女の秘められた過去が明かされていくことになる。もちろんそれは「モナリザの裏側」に関したものである。
巻頭の「オスロで光の種をまく」は、インテリア企画販売の会社で働いていたが燃え尽きてしまった男性がムンクに魅了され、どうしても現物を見たくなってノルウェーの首都を訪れるという話だ。精神が不安定なせいもあり、彼の行動には他人には理解しがたい飛躍がある。理解してもらえないことが辛いから会社を辞めてしまったのである。この、世界との間にある断層に苦しんでいる主人公像は、そのまま『叫び』の画題に結びついている。絵画の中枢にあるものと小説のプロット、キャラクターが結びつくよう計算されているのだ。
読者がいちばんはらはらさせられるのは、三番目に収められた「富士山のハンマープライス」ではないだろうか。オークションハウスで働く日比野真美はニューヨークのメトロポリタン美術館で顧客に会う。一代で財を成した油谷福造という男性が、ゴッホ作とされる絵画を落札しようとしている。惚れこんだあまりか油谷は「ゴッホの絵をあの世に連れていく」と発言し、金満日本人の傲慢、まさに黄禍だ、と轟轟の非難を浴びていた。実際に会った油谷は確かに難のある人物であり、日比野は個人的感情と職業倫理の狭間で悩むことになるのだ。本作はキャラクター造形に力を入れた作品で、読者にどのような印象を与えるかを計算しながら作者は油谷を描いている。また、もう一人ワイルドカードに当たる登場人物が配置されているために、話の先が読めないのである。そういう内容ではあるが、ゴッホの物語と言うしかないほど美術小説としての完成度も高い。
少し年配の読者なら気づかれただろうが、「富士山のハンマープライス」は、円が強かった時代の物語である。バブル経済華やかなりし頃、ゴッホの「ひまわり」が高価格で落札されたというニュースが世間をにぎわせたことをご記憶の方も多いはずだ。このように、最初と最後の二篇は現代が舞台だが、間の三篇は別の時代設定になっている。
二番目の「青い馬の瞳」は第二次世界大戦前夜のドイツが舞台である。当時、ナチス礼賛につながらない作品には退廃芸術のレッテルが貼られていた。そうした作品だけを集めた展覧会を訪れた日本大使館職員、島田野以が主人公である。権威に盲従することを求め、多様性を認めようとしないナチスの姿勢は、偏狭化の進む日本の未来を見せられているようで寒気がする。本作で効果的に用いられているのはミステリーの技法であり、五篇のうちで結末の切れ味も最も鋭い。図と地が反転するような仕掛けに私は惚れ惚れとさせられた。
もう一篇の「千年のあこがれ」は戦前の京都が舞台で、〈わたし〉こと白舟ぼたんが主人公である。当時の女性に自立はほぼ認められていなかったが、ぼたんは女学校の同級生であった黒川薫子がそうした逆境をものともせず画家を目指している姿に憧れ、彼女と同じ京都画塾に入った。過去の設定ではあるが、女性が不利益を被る構造は現代も根強く残っており、その矛盾に主人公は立ち向かうのである。一口で言えば闘争の物語で、モチーフとしてマネのモデルを務め、自らも画家であった女性、ベルト・モリゾが用いられる。
収録順に並べてみると最初のムンクから、退廃芸術、ゴッホ、ベルト・モリゾ、最後の「モナリザの裏側」と、扱われる題材がゆるやかにつながっているのがわかる。近代美術史の流れがわかるように配慮して順路を定めた、学芸員の配慮を見たような思いがする。だからやはり、これは美術館なのだ。一色さゆりという当代きっての美術小説作家が企画した、夢の美術館である。ぜひチケットのお求めを。
(すぎえ・まつこい 文芸評論家)
波 2026年6月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ

絵画と物語は似ている。
2025年本屋大賞11位『音のない理髪店』で注目を集めた著者が挑んだ、名画をめぐる短篇集『モナリザの裏側』。本作に込めた想いとは。
──五篇の収録作のうち、どの短篇を最初に書きましたか。
表題作「モナリザの裏側」です。編集者の方からは「美術を題材にした小説を」というリクエストでしたが、私としては、人と人の深みあるドラマを描きたいという思いが強くありました。美術に興味のない人が読んでも共感できて心動かされる、強い普遍性のある作品を書きたいと思ったんです。
執筆した2021年当時はコロナ禍で、人と簡単には会えない状況でした。コロナだけでなく、戦争や環境破壊など、世の中には個人では解決できない問題が溢れています。そのうえ、生きてゆくなかで「取返しのつかない過ち」や「元には戻せない時間」など個人的に抱える問題も沢山あります。父と母の過去を、一枚の絵から娘が知るという「モナリザの裏側」を書くことで、自分にとって切実な、でもどうしようもない問題を受け止めたい、少しでいいから人生に希望を見出したい、という気持ちもありました。
──「オスロで光の種をまく」ではムンク《叫び》《太陽》、「青い馬の瞳」ではフランツ・マルク《青い馬の塔》、「富士山のハンマープライス」ではゴッホ《医師ガシェの肖像》、「千年のあこがれ」ではマネ《スミレの花束をつけたベルト・モリゾ》などが登場します。これらの絵は、どうやって選んだのでしょうか。
歴史上なんらかのインパクトを社会に与えた絵画を探した際、そのうちの何点かは行方不明になっていることを知りました。そこにフィクションにできそうな可能性を感じたんです。たとえば《青い馬の塔》も《医師ガシェの肖像》も今は所在がわかりません。
ただ、はじめから「絶対にこの絵で書きたい」と決めていたというのではなく、書きながらそれぞれの絵と対話して、テーマを固めました。たとえば、ムンクは「光と影」、マルクは「視線」、ゴッホは「価値(お金や真贋)」、モリゾは「女性の表現」、モナリザは「現実と虚構(イリュージョニズム)」と、結果的に美術を語るうえで欠かせないテーマを書くことができました。
──大学受験に失敗した女性や仕事をやめてしまった男性など登場人物たちは、一枚の絵に出会って、自ら抑え込んでいた想いに気づいたり、前に進む勇気をもらいます。一色さんにも、忘れられない絵はありますか?
東京藝大の学生だった頃には古今東西さまざまな美術に触れました。とくに西洋美術、ドイツの祭壇画などを専門的に学びましたが、知識が増えると、良くも悪くも作品との距離が生まれます。そういう意味では、高校生以前の原体験が近いものかもしれません。
たとえば、福田平八郎の《雨》という絵を浪人時代京都国立近代美術館で観て、大きな衝撃を受けました。題名は《雨》なのに瓦屋根しか描かれていないんです。でもよく見ると降りだした雨が瓦に浸みこんでは消える様子が映像的に表現されている。それに気がついた瞬間に、夏の夕立の香りや蒸すような湿度や瓦を眺めている二階の和室がぶわっと立ち現れた。限られた情報で無限の感覚を表している。「めっちゃパンクやん!」と思いました(笑)。《漣》もそうです。多感な頃だったからこそ、大人からかけられるどんな言葉よりも不思議と救われました。
──静岡で財を成した男がゴッホの絵に自らの過去を重ねる「富士山のハンマープライス」では、手に汗握るオークションの場面が描かれます。
アート市場の話になると、オークションは避けては通れないトピックです。私自身も仕事でニューヨークや香港などの主要なオークションハウスに出入りしました。働いていたギャラリーの社長さんの代理で、競りの札を上げに行ったこともあります。結局、競り落とせませんでしたが、アドレナリンがドバドバ出て度胸試しのようでした。
──絵を観るとは、どういうことでしょうか?
難しい質問ですね。私が答えるのはおこがましい気がしています(笑)。なぜなら私の周りには絵描きや制作者が大勢いて、彼らが四六時中、真摯に絵や作品に向きあっているのを目にしているからです。
『モナリザの裏側』を書きながら思ったのは、美術鑑賞は読書によく似ているということでした。最初に読んだときは理解できなくても、何年も経って読むと「そういうことを言っていたのか」と閃くことがある。遠藤周作の『沈黙』や江國香織さんの『こうばしい日々』などは、子どもの頃から何度も読み返していますが、読むたびに発見があります。
『モナリザの裏側』の五篇では、絵を観ることを通して、親子のつながり、夫婦の愛情、人生で本当に大切なことは何なのかといったテーマを書きました。ぜひ面白い物語を探している方に、読んでいただきたいです。
(いっしき・さゆり 作家)
波 2026年6月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
一色さゆり
イッシキ・サユリ
1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒。香港中文大学大学院修了。2015年、『神の値段』で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、デビュ一。著書に『音のない理髪店』『モネの宝箱 あの日の睡蓮を探して』『ピカソになれない私たち』、『コンサバター 大英博物館の天才修復士』をはじめとする「コンサバター」シリーズ、『光をえがく人』『カンヴァスの恋人たち』などがある。


































