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評伝 野上彌生子―迷路を抜けて森へ―

岩橋邦枝/著

1,980円(税込)

発売日:2011/09/30

  • 書籍
  • 電子書籍あり

九十九歳にして、みずみずしい小説を書いた女性がいた!

夏目漱石の指導を受け二十一歳でデビュー。生涯にわたり現役作家でありつづけ、九十九歳にしてなお傑作『森』をものした野上彌生子。中勘助への秘めた初恋の想い。野上豊一郎との勉強仲間のような夫婦生活。六十八歳になってから恋文を交わしあった田辺元。死の瞬間までアムビシアスでありたいと願った彌生子の本格的評伝。

  • 受賞
    第13回 蓮如賞
目次
第一章 師・夏目漱石――作家になるまで
第二章 初恋の人・中勘助――『海神丸』と『真知子』
第三章 夫・野上豊一郎――欧米の旅
第四章 山荘独居――戦時中の日記から
第五章 『迷路』――夫豊一郎逝く
第六章 老年の恋――田辺元と彌生子の往復書簡
第七章 『秀吉と利休』――虚構の力
第八章 友人・宮本百合子――現代女性作家の先駆け
終章 『森』――白寿の作家として母親として

書誌情報

読み仮名 ヒョウデンノガミヤエコメイロヲヌケテモリヘ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 226ページ
ISBN 978-4-10-357203-9
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 1,980円
電子書籍 価格 1,584円
電子書籍 配信開始日 2012/03/16

書評

やはり一種の怪物だった

津島佑子

『海神丸』や『秀吉と利休』の作者である野上彌生子という女性作家の名前はもちろん、今もよく知られている。ところがどれだけ、その作品世界に、そして作家像に、親しみを持たれているかと考えると、急に心もとなくなる。同じ時代の女性作家でも、多くの読者に愛されつづけている林芙美子などに比べると、ひどく地味で、ともすると忘れられてしまいそうな印象すらある。人物像を探るという試みも、ろくにされないままでいたような気がする。
 貧しい家庭環境で育ち、短命だった林芙美子とは対極的に、彌生子のほうは生活にも人間関係にも恵まれ、百歳に届こうという年齢まで現役の作家であり得た健康を守り、静かにこつこつマイペースで小説を書きつづけた作家だった。けれど日本近代文学の系譜では、そんな女性作家は珍しい存在なのだったし、一般的にもなじまない。「文学」などに取り憑かれた女性は、ボヘミアン的情熱の持ち主にちがいない、という読者からの期待と偏見もあった。そこには近代の女性解放運動と女性の文学が、戦後のある時期まで切り離せなかった事情もある。ところが十九世紀のイギリスでは、ジェーン・オースティンやジョージ・エリオットなどの女性作家たちが社会改革の思想とは関係なく、田舎で質実な生活を送りながら、着々と小説を書いていたわけで、彌生子はそちらをもっぱら手本としていたのだ。
 本書の著者である岩橋さんは学生時代に小説を発表し、戦後の、新しいタイプの若者たちを女性の側から描いたことで「女慎太郎」などともてはやされたこともある作家で、はじめのうちは、野上彌生子にほとんど関心を持っていなかった。「まともな常識人」であり、「狂気も神経衰弱もまったく無縁な健康優良児で、そのぶん鈍い」、そんな作家に、なぜ岩橋さんが興味を持ったかといえば、彌生子最後の作品で未完の長編『』を読み、ドストエフスキーをも彷彿させる「熱っぽい劇的迫力」に驚き、「長寿でこれほどタフな女性作家に怪物性さえ感じた」のがきっかけになっているとか。けれど彌生子自身が書きつづけた厖大な日記や手紙類を調べるうち、「彼女は怪物に非ず、地道な勤勉努力の人」であり、その成果としての信じがたい達成だった、と知ることになる。なにしろ『森』は作者が八十七歳のときから九十九歳で急逝するまで書きつづけた、千四百枚もの長編小説なのだ。それを聞いただけでも、ふつうの人間はめまいを感じてしまう。
 経歴そのものはあまりおもしろくもなさそうな作家を扱いながら、本書は意外なおもしろさに充ちていて、どきどきさせられる。岩橋さん独特のドライな筆致で、彌生子の二度の「秘めた恋」が明かされていく。はじめの相手は作家の中勘助。二度目は哲学者の田辺元。といっても、中勘助の場合、彌生子の「自惚れた独りぎめ」だったとバラしているが、その独り決めを頑として変えようとしなかったところに、彌生子ならではのすごみがある。また田辺元については同い年のふたりが七十歳になる直前からはじめられた個人的な哲学講義と文通という、これもごくふしぎな形の「恋愛」なのだ。七十代の男女があくまでも知的な会話をよりどころにしつつ、エロティシズムの悦楽を味わいしめている。現役の女性作家として年齢を重ねていくことの意味も、ここで考えたくなる。
 現実生活での彌生子は「意地悪な姑根性」があり、「喰えないばあさん」で、「女のナルシズムも人一倍強い」等々と、岩橋さんは容赦なく指摘しつづける。ところが、こうした「短所」が老年になるにつれ、希有な「長所」に変わっていく。その驚くべき転換の追跡が本書の醍醐味であり、岩橋さんの綿密、かつ、率直な観察眼がなければ簡単には把握できない作家像だったにちがいない。それにしてもやはり、野上彌生子という作家は一種の怪物だった、と読後、深いため息が出た。


(つしま・ゆうこ 作家)
波 2011年10月号より

著者プロフィール

岩橋邦枝

イワハシ・クニエ

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