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湿地帯

宮尾登美子/著

2,090円(税込)

発売日:2007/08/24

  • 書籍

長篇作家宮尾登美子は、この作品で誕生した。幻の処女長篇小説、ついに刊行!

あなたに会って、私は初めて人を愛する喜びと悲しみを知ったのです――東京から高知県庁薬事課に赴任した青年課長小杉啓を待っていた、県下の薬事業界の官民癒着のからくり、そして謎の殺人事件。義憤にかられ立ち向かう小杉は道ならぬ恋愛の渦に巻き込まれていく。デビュー二年後、高知新聞に連載された、著者異色のミステリー恋愛小説。

目次
第一章 謎の女
第二章 デスマスク
第三章 白い庁舎
第四章 砧茶碗
第五章 猫眼石
第六章 フィルムの沈黙
第七章 花の匂い
第八章 雨の内原野
第九章 人影
第十章 道修町
第十一章 謀議のあと
第十二章 雪輪の滝
終章 秋の日ざし
読者のみなさまへ

書誌情報

読み仮名 シッチタイ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 352ページ
ISBN 978-4-10-368504-3
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 2,090円

インタビュー/対談/エッセイ

波 2007年9月号より 刊行記念インタビュー  宮尾登美子『湿地帯』

宮尾登美子

若き日のあしあとを記した、幻の一冊
』(太宰治賞受賞)『仁淀川』などの自伝小説、『一絃の琴』(直木賞受賞)、『序の舞』(吉川英治文学賞受賞)『鬼龍院花子の生涯』『蔵』『宮尾本平家物語』など、数々の長編小説を書き続けてきた著者が、43年間封印してきた処女長編です。執筆当時のお話や、小説への想いをうかがいました。
■これまで本にならなかった理由
――『湿地帯』は宮尾さんが昭和三十九年に初めて書かれた長編小説です。久しぶりにご覧になってみていかがでしたか。
宮尾 いや、もう、なつかしいけど、恥ずかしいです、とても。
――何故今まで出版されなかったのでしょうか。
宮尾 思いがけず、このたび刊行していただくことになりましたけれど、この『湿地帯』は、昭和三十七年に短編小説「連」で女流新人賞をいただいたばかりのほとんど無名の私に、故郷の高知新聞が独自で企画してくれた新聞連載で、当時としては画期的な企画だったんです。生れて初めての連載に、それは緊張して張り切って。でも結果はさんざんでしたね。それから何年もたって『櫂』で太宰賞を受賞したあと、この連載のことをかぎつけたいろいろな出版社から出さないかと迫られたけれど、もう恥ずかしくて、四十三年間封印しました。

■恋愛小説? ミステリー?
――『湿地帯』は、宮尾さんの小説にはめずらしくミステリーや恋愛の要素が濃くはいっています。東京から高知県庁に薬事課長として赴任してきた正義感の強い青年が、業界の不正や殺人事件に立ち向かい、一方で人妻との悲劇的な恋愛にも巻き込まれていく、というストーリーです。
宮尾 やっぱり読者に喜んでもらえる小説を書きましょうと、それが第一義でした。なにしろ文学の勉強をしたわけでもなくて、ただ書くのが好きでずっと書いてきて、それしか能力がなかったから、小説で食べていくのには、読者が面白がってくれる小説、また書いてねと言ってくれるような小説を書こうと。当時私が読んでいたのは推理小説で、私の貧しい頭で考えたのが『湿地帯』のストーリーなんですね。苦手な恋愛もがんばって書きました。だから恥ずかしいんです。
――ストーリーの面白さとか、登場人物一人一人の細かい描き方のなかに、そのあとの宮尾さんのいろいろな長編小説の萌芽があるような感じがします。ちょっと悲劇的な恋愛で、ハッピーエンドじゃなく終わっていますが。
宮尾 私はハッピーエンドは好きじゃないんです。だって人間、そんな万全の幸福というのはありえないと思うから。そこにこそ、ドラマがあるんです。

■『湿地帯』執筆当時のこと
――小説の舞台は高知で、主人公の青年課長が恋に落ちる、美しくも苦悩を秘めながら耐え忍ぶ人妻や、県と癒着して利権を得ようとする薬局業者組合のしたたかな面々、それに一人刃向かおうとして謎の死を遂げる薬局の女主人、姉の死の真相をなんとしてもつかもうと探偵さながら活躍する気の強い娘、憧れの女性を写真に撮りたい暗い情熱に燃える男など、どの登場人物にも土佐人の気質が隠されているように思えますが、土佐っぽとはどんな気質なのですか。
宮尾 私自身、土佐っぽ的なんですが、土佐の人間というのは飛びつきやすい、飽きやすい、燃え上がりやすい、冷めやすい。これが土佐なんですね。だけど一方で、粘り強さ、根気よさがその底にあるんです。自分のことで言わせていただくと、何十年も小説書くことを諦めなかった。だから、それも土佐っぽだと思いますね。
――連載当時のことを思い出されましたでしょうか。
宮尾 そうですね、ともかく一所懸命だったから、連載期間半年、その間は夢のように過ぎましたね。新人賞をいただいたあと、大手出版社からは原稿を返され、受賞第一作も酷評されて、非常に落胆してました。でも、小説を書く望みを捨てなかったというのは、やっぱり私ね、それしか生きていく道がなかった。何とか這い上がっていこうと、収入を得ようと。だから、高知新聞から『湿地帯』のお話があったときはうれしくて、とにかく一所懸命やろうと思いました。
昭和三十七、八年から四十年代のはじめころは、世の中みんなが貧乏だったのよね。サラリーマンのお昼ご飯なんてのはみんなツケですよ。月給日は袋を逆さに振ったらそのツケだけでお金は何も残らない、そんな時代でした。私も本当に困ったとき、本屋さんで山岡荘八の『徳川家康』を、これは十何巻あったんだけれど、お金を払わないでツケで買って、すぐ古書店に持っていって売ってお金に換えたりしました。ツケはあとで払いましたけど、本屋さんも見て見ぬふりをしてくれて。でも貧乏を苦労とも思わないし、お金ができたら仲間で分けあってました。そういう時代ですから、『湿地帯』で、半年間は原稿料が入る、定収入がなかったからそれが一番うれしかった。

■『櫂』までの道のり
――宮尾さんはこの連載のあと、すぐ東京に出てこられて、『櫂』で太宰賞を受賞されて人気作家になられるまで、まだ何年もあるんですね。
宮尾 そう、九年です。九年間またボツばかり。ボツ、ボツ、ボツ、ボツです。その間がやっぱり一番苦しかった。一旦新人賞もらっていますからね。その九年間の辛抱は、主人がいなかったらもうとても耐え切れなかったでしょうね。生活も支えてくれましたし。
――『湿地帯』連載の担当がご主人でいらっしゃったんですよね。
宮尾 高知新聞文化部のデスクだったんですけどね。いや、みんながそれを聞くんだけれど、デスクだから仲良くなったんじゃないの。私、宮尾とは小学校が一緒だったの。前から知ってました。狭い土地ですもん。宮尾の兄と私が同級生。それで二年下に彼がいたんです。
――じゃあ、これがきっかけで結婚されたわけではない。
宮尾 うん、まあ、そうは言えないですね。でも、まあ、彼が担当で、一つももめなかった(笑)。
でも、お話していて、この『湿地帯』に愛しさが湧いてきました。やっと皆様に御覧いただく決心がつきました。


著者プロフィール

宮尾登美子

ミヤオ・トミコ

1926(大正15)年、高知市生れ。17歳で結婚、夫と共に満州へ渡り、敗戦。九死に一生の辛苦を経て1946(昭和21)年帰郷。県社会福祉協議会に勤めながら執筆した1962年の「連」で女流新人賞。上京後、九年余を費し1972年に上梓した「櫂」が太宰治賞、1978年の『一絃の琴』により直木賞受賞。2009(平成21)年文化功労者となる。他の作品に『序の舞』(吉川英治文学賞)『春燈』『朱夏』『寒椿』『宮尾本平家物語』『錦』など。

判型違い(文庫)

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