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アナザー・ワールド―王国その4―

よしもとばなな/著

1,430円(税込)

発売日:2010/05/31

  • 書籍
  • 電子書籍あり

初めて出会ったキノは、どこかパパに似ていた。ママ、そしてパパ2にも。

透明な光が世界中を包み、等しく生きていることの不思議を思う。パパ、ママ、そしてパパ2。三人の親の魂をやどす娘・片岡ノニと、哀しみに沈む〈猫の女王様の家来〉キノ。引き寄せあう運命の絆が、滅びゆく大地を癒しで満たす。美しい島々を舞台に、受けつがれる生命の奇跡を謳う最新長篇小説。よしもとワールドの集大成!

書誌情報

読み仮名 アナザーワールドオウコクソノヨン
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 232ページ
ISBN 978-4-10-383408-3
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,430円
電子書籍 価格 1,144円
電子書籍 配信開始日 2011/05/27

インタビュー/対談/エッセイ

波 2010年6月号より 『アナザー・ワールド―王国その4―』刊行記念インタビュー 3人のゆがんだ親と、無垢な娘のファンタジー

よしもとばなな

ライフワーク長編「王国」シリーズが執筆から10年でついに完結! これまでの3部作から、主人公も舞台設定も一新された『アナザー・ワールド』の秘密と、作品の魅力をじっくりうかがいました。

  完結編である番外編

――いよいよ『アナザー・ワールド―王国その4―』(以下『AW』と略)が刊行されます。まず、作品を書き上げられたときの心境をお聞かせ下さい。
出てくるのが、恋愛が関心の中心にある年代のひとたちだったので、1、2、3巻は、とんとんと書けちゃいました。ただ、そのあとをどうするの、人生はこのままではないよ、という思いがあって、もともと4は予定していたんです。
もともと『ゲド戦記』みたいなファンタジーをやりたかったんです。それで、小中学生のころに読んだ1から読み直してみました。『ゲド戦記』には、宮崎吾朗さんがアニメでも描いた第4巻という完結巻があって、いま、大人になってから読むと、こっちが絶対に気になる。それに似てますね。
――タイトルは、アントニー&ザ・ジョンソンズの同名曲からつきました。
ひろがっていく景色を見るようにして終わりたい。3部作が、台湾以外は、町内で完結するような話でしたから、今回は空間の拡がりを意識するような単語がいいなと。
歌詞の内容も決して、みんなでよくなっていこうよと訴えている訳ではなくて、気持ちが楽になりますよね。
――2002年発表の『王国―その1 アンドロメダ・ハイツ―』から数えて、約8年後の発表となった4作目。お書きになれると思われたのは、いつでしたか?
子供が幼児になったときです。『王国3』の取材のときに、台湾へ子供と一緒にいったんですが、まだ幼児とは何かが正直わからなかった。
そのうえ、3部作の主人公で、今回はママとして登場する雫石は、めちゃくちゃなお嬢さんで、大人としての私がみると、「いい加減にしなさい」と言いたくなる。でも、一人称だからどうすることもできなくて、心のなかにもやもやが残っていた。その大変さを感じながら、作家として書き抜いたのが「王国」の3巻シリーズでした。
もし、続編を書くとして、そんな人が子供を育てたら、もっとゆがんだ人間になるんじゃないかと心配もしたし、同時に、そのゆがみを自分に書けるんだろうかと思っていたんです。
雫石の娘である、『AW』の主人公の片岡ノニは、ゆがみすぎて、もはやピュアになっている。そういう性格になることは、書く前から揺るぎない前提としてありました。この子はどうなっちゃうんだろう、という心配を親全員がもっている状況を書きたかった。それを今回はとくに親の目で書けたのでよかったです。
――新潮文庫版『王国―その3 ひみつの花園―』のあとがきでは、『AW』を「完結編である番外編」と位置づけられていました。
3部作とこの作品で大きな上下巻という感じです。これを読んでから、3部作に移っても大丈夫なように書いてます。
大枠でいうと、3部作でのテーマは「自然と人間の関わり」みたいなことと、私自身が都会に住んでいることで疲れていて「このままいくとどうなっちゃうんでしょうね」という思いでした。
『AW』でもテーマは同じなんですが、それから時代が進んだぶん、人々の意識は高くなった反面、状況はさらに悪くなってる。まさにそのマイナス方向に進んだ「いま」をリアルタイムにしっかり書いておきたいなぁ、と。
『王国 その1』では、雫石が都会暮らしをするために山から下りてくるけれど、いまやその山の自然自体がどうなっているか、あやしいくらいですし、ほんとうに大きな自然は海外にいかないと見られなかったりする。
一方で、沖縄に行くとたまにサンゴがよみがえっている場所もある。そのちょっと微妙な、いまの時代の感覚を描いていきたかったんです。

  ファンタジーでなきゃ私じゃない

――主人公の片岡ノニは書きやすい人物でしたか。また、この不思議な名前の由来はなんでしょう。
母親の雫石よりおっとりしているし、格段に書きやすかったです。ノニという名前は、沖縄と南国調というイメージを持たせながら、薬草である、という条件を考えていって、自然と行き着きました。うちでも、ノニをずっと栽培していますから、親しみもありますしね。
――ノニ、そしてパートナーのキノは、親たちと比べ線が細い印象ですが、大自然への感度は、彼らと同じくとても高い。
総タイトルの「王国」には、そういう偏った人たちの「王国」という意味をこめてます。ただ、偏ってはいるけれど、「形式」がないというか。つまり、ヒッピーとか、トランス系のように、一目で「ああ、この人たちはこういう偏りのひとたちなのね」とは、簡単にわからない人たちというんでしょうか。あるライフスタイルを描くんじゃなく、静かだけど、プライドを持って暮らしている人たちの姿。そういうものをイメージしています。
――植物の使われ方も印象的です。主人公ノニは、植物のノニに守られ、ママは、世界中のサボテンと対話することでノニの動向を知る。植物は、人間の身近な庇護者でもあり、インターネットのような通信手段にもなります。
それはもう、自分では、ばりばりのファンタジーを書いたつもりなので。まず、呪術とはなんぞや、という思いがあって、自分なりに取り上げたということですね。そういう要素がなければ、もっと雫石の女性性を突き詰める方向で作品を進めただろうし、もっとドロドロとしたところを書こうとしたでしょう。でも、ファンタジーを書かなければ、私じゃないですから。
――その「呪術」「魔法」は、あくまでも密やかに使われますね。
やっぱり私の知っているひとたちは、みんなそういうふうにしていますからね。おおきく広げようとはしない。
――生死の問題についてはいかがでしょう。死の直前に会食を催した祖母や、家族に見守られ死を静かに受け入れるパパの姿には、神々しさが漂います。
知り合いのおばあちゃんにそういう話があったんです。毎日、朝からお酒を飲んで、肉をがつがつ食べていたような人なんですが、直前まで働いていて、もう自分はそろそろ死ぬからと言ってパーティを開き、90歳でぱったり亡くなった。これは見事だ、と思って。
いま、死ぬことに対する自由が奪われてるんじゃないでしょうか。だからなおさらその話に感心しちゃって。でも、自然にそろそろ死ぬかなぁと思って、その準備をしていくのは不可能ではない気もするので、自分もそうありたいという気持ちはこめました。
――そんな偉大な死に対し、ノニが首つり死体の幽霊と対面するように、誰にもかえりみられないみじめな死も描かれます。人間の死のクオリティ、その振れ幅の大きさを思わされます。
さすがにそれについてはずいぶん考えましたね。まわりは、親もそうですが、年寄りがいっぱいだし、着々とこの世を去っていくので。あぁ、いろんな死に方があるなぁと思って。いまはだいたいが病院に行ってチューブにつながれて死を待っている。それはそれでいいんだろうけど、そのときに本人が家にいろんなものを残してきていたりすると、つらいだろうなぁとか、考えたりしますね。あるいは、もし自分がそうなったときは、どうしたいんだろうな、とか。

  偏った人たちのための「王国」

――ミコノス島から始まる物語冒頭から、弱者に対する共感の深さに心をつかまれました。「足の悪いキノにあわせて、坂道をゆっくり歩くときに感じる足の重み」など、体感をともなう文章のひとつひとつに、涙があふれそうになります。
サブキャラの親たちの存在があまりに強いから、性格の弱いノニとキノがかき消されないように、つかみの部分はものすごく考えました。三島版『黒蜥蜴』みたいに始まりからぐいぐい魅せなきゃ(笑)、と。
小川国夫さんの『アポロンの島』を読んでると、やたら事故の場面がでてくるでしょう。実際、ギリシャという土地は、インドやベトナムと違って、とても急な坂道で車をみんなで押す大変さとか、切り立った場所に建つ建物の窓から、崖下に転げおちそうになる感じとか、景色以上に身体的に響くんです。子供が転ぶととまらないし(笑)。ここは気楽なところじゃないな、と思って。人が人を殺すというより、自然が人を殺すようなシュールさがある。
――そして、物語は世界中の島をめぐりながらすすみます。
今回はスペインのランサロテ島で、アーティストのセサール・マンリケという人物の取材をして、ここで、流れが変わってきたということはありました。このマンリケというひとは、自分の故郷ということもあるんでしょうが、完璧だったんです。島の一画をモビールで飾ったり、洞窟全体を地下庭園に造り替えたりする。破壊をせずに、自然のなかに人為的なものを加えることができるんだ、と。それを学んだことは大きかった。
それよりは、ずっと小さなものだけれど、ノニがミコノス島でつくっているアクセサリーとか、ママが沖縄につくった自給自足の家での、共生というほどいやらしくなく、破壊でもないような、創造とさりげなく一体になった自然のありようも作品に織りまぜていけました。
――改めて、キノの「猫の女王様の家来」のイメージって何なんでしょう。これは、執筆前からあったものですか?
キノなんて、とにかくこれだけ変わった境遇にいたら、そのひとたちにとっての幸せとは何でしょう、というところを考えざるを得ないでしょう。猫好きの変わった奥さんに振り回されて、結婚して死に別れれば、もう普通に恋愛とかできないと思うし、そこまでゆがんでいたらしょうがないんじゃない、という気持ちはありました。
なので、欲望とか野心を含めて、もう何もこれ以上奪われることがないほど、奪い尽くされている男の人。そんなイメージですね。これは最初からありました。

  それでも親であろうとした3人

――ヒッピー的な人物が多い『AW』の登場人物で、例外的なのが実業家のパパ2(片岡)です。彼は迷えるノニの背中を押し、『王国3』でもパパ(楓)との未来に悩むママ(雫石)に向き合って、親子2代を救い、導きました。
前半はパパ、真ん中でママ、最後はパパ2と、それぞれが、それぞれのゆがんだ立場なりに親であろうとした、ということですよね。めちゃくちゃでも、自分が親だよということを示そうとしている。その姿を描きたかったので。
パパ2だけでなく、ママも一生懸命、親としてやっているということですよね。自分と照らし合わせても、一致はしないんですけど。ほんとうに、このひとは書くのが難しかったです。ようやくこれで大丈夫だと思ったのが、ハンモックで寝ているママに、ノニが近づいていくときに、気配を察してカッと目を開く場面(笑)。これはもうこの人はこういう人だから、と、よく書けたので納得した。あと、ノニを連れて昔の彼氏の家を覗きに行くところ(笑)。
――『AW』ラストシーンとなった天草は、吉本家の父祖の地でもあります。この場所をなぜえらばれたのでしょう。
『ハネムーン』という小説を書いたとき、ラストシーンのイルカにちょっと失敗したという思いがあって、いつかああいうことをしたいというのはあったんです。なので、天草でイルカがみられると聞いたとき、行くことになるだろうとは思っていました。
天草にはいまも身内がいて詳しいせいもあるんですが、ネガティブな情報もままあるので、行ってみて土地に拒否され、何の取材も出来ないこともあり得なくないなとは思ってたんです。
でも、偶然にも、私が行っている大神神社と、吉本家が氏子でもある天草・志岐八幡宮の宮司さん同士が、かつてルームメイトであったこともわかって、これはもう絶対に行っても大丈夫だろうと。
天草で完璧な取材ができなかったら、イルカのラストシーンはボツにして、構成を変えなきゃいけないと思ってたので、うまくいって良かったです。
――単行本のカバー絵を描き下ろした、アリシア・ベイ=ローレルさんとの出会いも大きかったですか。アリシアさんは、ロングセラー『地球の上に生きる』を著したヒッピーカルチャーの中心的な提唱者であり、現役のミュージシャンでもあります。
小学生のときにかなり影響をうけた人でしたからね。あんなにお若いなんて驚いたけれど、それまでは生きているうちにお会いできるなんて思ってなかったです。伝説の人が来た!って、ドキドキしてたんですが、ちょっと話をしていたら「わたし、あなたの本の表紙を描いてもいいわよ」とおっしゃった。
たぶん、あれは直感というか、お互いの立場とか知名度とか、権利関係とか何もなしで、本当に降ってきた感じだったので、びっくりしました。これも何かあるんだろう、と。
――『王国』はライフワーク長編と呼ばれ、テーマの広がり、作品の規模それぞれに、よしもと文学の集大成ともいえる作品となりました。
ライフワーク云々というのは、新潮社のひとがそう呼んだんです(笑)。でも、書き始めから数えれば、ほとんど10年をかけて書いたことになって、長編には違いないですね。
自分では中編作家だと思ってるんです。構成においても、取材力においても。ただ、テーマ重視にしないっていう意味で、「読み物的」であろうと、心を砕いたようには思います。でも、これ以上やり過ぎると、本当に読み物になっちゃうし、反対にこれ以上書き込んじゃうと純文学っぽくなるので、その加減が、本当に難しかった。
そこは面白くもあったんですけど。また、いつか別な機会にこういうことをやってみたいと思いました。
――では、最後に読者にメッセージを。
いま、時代的に「何にもなれない人」ってものすごく増えてるんじゃないでしょうか。職業から、その人の傾向を推し量りにくいというか。とくに私の読者であるところの、多くの女性たちは「私は何です」とはっきり言えない苦しさを感じているのでは。そういう人たちがこれを読んで、少し楽になれるといいな、って思います。

(よしもと・ばなな 作家)

現在、公式HPyoshimotobanana.comと新潮社HP(shinchosha.co.jp/banana)共同企画として期間限定ツイッターを公開中です。『アナザー・ワールド―王国その4―』刊行の舞台裏など、よしもとさんのつぶやきを、随時発信しています。要チェックです!
(編集部)

著者プロフィール

よしもとばなな

ヨシモト・バナナ

1964(昭和39)年、東京生れ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。1987年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1988年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、1989(平成元)年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、『TUGUMI』で山本周五郎賞、1995年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞(安野光雅・選)を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版されており、イタリアでスカンノ賞、フェンディッシメ文学賞〈Under35〉、マスケラダルジェント賞、カプリ賞を受賞。近著に『吹上奇譚 第一話 ミミとこだち』『切なくそして幸せな、タピオカの夢』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた単行本も発売中。

よしもとばなな公式サイト (外部リンク)

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