ホーム > 書籍詳細:木蓮記

木蓮記

奥泉光/著

2,420円(税込)

発売日:2026/09/30

  • 書籍
  • 電子書籍あり

面白きこと無類、奇なること無双。語りの名手・奥泉光、鬼神を欺く大偽書!

明治の洋画家・松枝獏園──旗本・筧家の庶子に生まれ、奇人蘭学者に育てられた男の風変わりな自叙伝「木蓮記」。太平の夢に揺蕩う日々は、やがて維新の奔流に呑み込まれていく。幕末の動乱、筧四兄弟の明暗、そして木蓮にのぼり異界を見る義姉・豊根の失踪。偽書の体裁で仕掛ける、妖しくも美しい奥泉文学の真骨頂。

目次

【編者による緒言】

「木蓮記」序

一
神隠しに遭ふ/養父松枝梁園/筑波の神の化身/実父筧隆宗/筧四兄弟 松枝森三郎となる/松枝梁園の日録/筧の借地に建つ屋敷の事/竜神丹/梁園の著作と佐伯鐵之進の事/手習と学塾の事 木蓮に登つて泣かされる/悪童金太の事/凧揚げは江戸の風物詩/天狗輦(れん)/梁園の異界研究/清伊の画才 豊根の学才/剣術熱に煽(あふ)られる/春日貞蔵に師事する/まづは槍術を習ふ/霞流忍術は有益なり/忍術修行/春日師の薫陶を受く/元服して画学に邁進

二
太平の夢中に遊ぶ武家/筧の幸三郎といふ漢/武士に不向きな幸三郎/幸三郎の悪所(あくしよ)通ひ/悌二郎さんといふ人/幸三郎折檻を受く/虚ろで哀しい目/豊根の涙/梯二郎さんの気苦労

三
喧嘩の絶えぬ兄弟/兄弟の情もある/勤王家国学者・遠山季斎/桜と誠四郎の頼み事/誠四郎出奔す/天狗党の乱/誠四郎の置き文/誠四郎への書状を託される/筑波山へ向ふ/神隠しの凡識による解釈/同道する幸三郎/北条宿に泊す/誠四郎との会見/天狗党の末路/誠四郎の消息/紙の墓標

四
筧の源太郎さんといふ人/筧家中興の祖/幸三郎の大失策/仏蘭西(フランス)式の太鼓/幸三郎の遭難/迷羊亭の由来/大阪へ逃げた幸三郎/幸三郎の墓/人はわからぬもの

五
豊根はもとより奇なり/高所嫌ひを克服して木蓮に登る/木の上より見る異界/社で会ひし人/豊根は異界へ往きたい/梁園は異界を豊根に問ふ/異界の感受は小児の力なるや/豊根天狗輦(れん)に籠る/復たも籠る豊根/豊根は異界へ往つたのか/クルスの護符/豊根は無事帰還す/豊根の奇行の数々/クルスは賢人の石なりや/変調の因は悌二郎にあり/木蓮の別離/法事の夜の出来事/木蓮の逢瀬/豊根の行方は/駆け落ちを疑ふもさにあらず/クルスの行方はいかに/豊根はやはり異界へ去りしか/梁園の葬儀/牛込の借地を離れる/梁園遺品の処分と天狗輦(れん)の石室/豊根は異界の住人なり

六
梁園今際(いまは)の告白/薗倉瑞軒の事/薩摩御用盗/忍者の来訪/荘内藩の勘違ひ/薩摩藩邸焼討ち/さすがは霞流本家の者/王政復古の大号令/蹴散らされる幕軍 悌二郎さんの事/徳義の人/夢の御告げにはあらず

七
夜に木蓮に登る/東京の夜景を見る/東京の大パノラマ/現世(うつしよ)では命を燃やし尽くすべし/核心を掴んで論ず/抑(そも)豊根でない豊根とは何者なるか/理屈はもはや要らぬ/林義治の槍術道場を訪ふ/士分は無駄死にするほかなし/夢で会ふ人/突拍子もない考へ/横川氏の加勢を得る/蛇身ノ術を使ふ/道場の一場/窒扶斯(チブス)の熱夢にうなされる/上野戦争の帰結/つひに半信半疑から脱せず/きりがないので一旦筆を措く

凡例

書誌情報

読み仮名 モクレンキ
装幀 木原未沙紀/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 240ページ
ISBN 978-4-10-391205-7
C-CODE 0093
定価 2,420円
電子書籍 価格 2,420円
電子書籍 配信開始日 2026/09/30

書評

画の無責任と音楽が齎す魂の震え

町田康

 自分の周り、或いは著名な人でもそうなのだが、見てると、絵描きは長命で、ミュージシャンは短命である。どちらも自分の好きなことだけやって日を暮らし、日々のストレスもそんなにないだろうになんでそうなるのかな、と思う。で、考えたのは、やはりミュージシャンというのは演奏中、常に時間に支配され、その中で死ぬほどの緊張と集中を強いられているので、やはり死に易いのかな、と云う事。けど、だとしたら画家は緊張も集中もせず、マリファナかなんかを吸いながら、鼻歌交じりで、らくーに描いているように聞こえる。もちろんそんなことはないはずで、絵描きだって時間には追われてはいないだろうが、空間に追い詰められる、と云う事は屹度あり、種類は違えど、同じく産みの苦しみを抱えていると思われる。
 じゃあ、いったいなにが違うのか。
 それは責任をどこまで感じるか、の違いであるのかも知れない。どういう事かと言うと、ミュージシャンは、どんなヘタクソだって、その音に魂を込める、というか、勝手に籠まってしまう。なので、その出た音の全責任は自らに帰属する。然るに画家は、魂ももちろん籠まるのだけれども、画布に現出したるものは、基本、目で見た、或いは、心に映じた景色である。その景色を切り取って描く、と決めたのは自分だが、景色そのものは自分ではない。なので責任の取りようがない。例えば画家が山の景色を描いたとする。その山が人を厭な気持ちにさせたとしても、画家は、「いや、僕は(僕が)見たまま描いただけで、文句があるなら山に言ってください」と抗弁することができる。実際は、その、(僕が)、というところに問題があるのだが、同じようなものを客が見ている場合が多いので、なんとなく、「まあ、それもそっすよね。納得いかないけど」と引き下がるより他ない。つまりかなりの部分、責任を取らないでいられる。つまり、魂の部分で無責任でいられるというのが画家の長命の理由ではないか、と俺なんかは愚考している。
 奥泉光のえげつないほどの傑作小説『木蓮記』の主人公にして語り手・松枝獏園は幕末に生まれ明治に活躍した画家である。と、俺は今、さくっと画家と申し上げたが、松枝獏園は初め、狩野派末流の絵師に学び、後に洋画に転じたので、経歴のスタートは絵師、画工、という芸術家というよりは職人的な仕事の始め方をした。
 で、画家というと、さっき言った、(僕が)、の部分が非常にこの、大きく、なるが、絵師というとけっこうそれが小さくなり、したがって面倒くさい魂の表出もけっこうなくなっていく。それがこの語りにはもの凄く現れていて、というか、この語りの特徴となっていて、どういうことかと言うと、この時代はご案内の通り、世の中がムチャクチャ動いた、アホみたいな言い方で言うと、「激動の時代」ってことは個人もそれに翻弄され、変化の少ない時代からすると考えられないくらい数奇な運命を辿る人が多い。又、この獏園なる人物は武士の子ではあるが妾の子で、三歳になる前に母親を「窒扶斯(チブス)」で亡くし、七歳で養子に出され、且つ特異な霊的体験をした人物で、もしこれが音楽的魂的語りだったら、すごくなんていうのかな、感情の部分を前面に押し出して語るに違いない。況してや今日日の死ぬほど繊細で傷つきやすくて、それを全力で喚き散らすのが流行りの、昨今の小説やJ-POPなら、妾の子で母が死に養子に出された時点で、本六冊、アルバム八枚分くらいは泣き言を書きまくり唄いまくるだろうが、この語りは、目には見えない、感情・内面を排しているので、そういうものがまったくなく、さらっと流れるように、しかし驚くほど精確に描出せられ、それは勝海舟の「氷川清話」の現談話を読んでいる、というか、聞いているような、さっぱりした、だけど人間がありありと目の前に泛ぶ、文章になっている。そしてその根底にあるのは自らの経歴も含めて、人間の有り様すべてを、景色、として描いて、それを、評価、しない無責任性である。
 だけど、この、なめとんのか、と思うほどの名作にはまだ仕掛けがある。それは、冒頭に掲げられた、【編者による緒言】という文章で、この語りが、本人の語りではなく、西洋稗史研究家・前田賢永なる人物が発見した自筆原稿を校訂編集、その際、本文にかなり手を入れたもので、「テクストの真正性」に疑問が残るものである、とされている点で、つまり、なんかあっても前田の責任であって、語り手の責任ではない、と云う事になっている。
 でさらにもっと大きな無責任がこの、あり得ないほどの大傑作には仕込まれているのだけれども、それはまだ読まぬ読者の為にここには書かないでおこう。けど俺は、なにが、西洋稗史じゃ、とか思ったし、奥泉光はふざけた男だ、と思ったが、そのおもしろさと素晴らしさ、画の無責任と音楽が齎す魂の震えを小説において両立させたこの作品を前にして拝跪するより他ない。奥泉光は当代随一の作家である。ところが彼はフルートの名手、則ちミュージシャンでもある。果たして彼は長生きするのか。早死にするのか。しかしもうけっこうな年だから多分、長生きしてこの手の傑作を多くものにするのだろう。楽しみでならない。

(まちだ・こう 小説家)

波 2026年10月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

奥泉光

オクイズミ・ヒカル

1956(昭和31)年山形県生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。同大学院修士課程修了。1993(平成5)年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、瞠目反文学賞、1994年『石の来歴』で芥川賞、2009年『神器―軍艦「橿原」殺人事件』で野間文芸賞、2014年『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞、2018年『雪の階』で柴田錬三郎賞、毎日出版文化賞を受賞。主な作品に、『バナールな現象』『「吾輩は猫である」殺人事件』『シューマンの指』『死神の棋譜』、「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」シリーズなどがある。

バナール主義 (外部リンク)

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

書籍の分類