ゆうじょこう
1,980円(税込)
発売日:2013/04/26
- 書籍
たたみの 上では しにませぬ あたいは なみの上で しにまする
硫黄島から熊本の廓に売られてきた海女の娘イチ。廓の学校『女紅場』に通いながら、一人前の娼妓となっていくイチが眼の当たりにする女たちの悲哀。赤ん坊を産んだ紫花魁。廓から逃亡したナズナ。しかし明治の改革は廓にも及び、ついに娼妓たちがストライキを引き起こす。苦界に生きる女のさまざまな生を描く連作短編集。
目次
なみ(波)の上
へ(灰)がふっと(降る) おもいだす
いやい(蟻)が な(泣)いておりも(申)した
じ(地)のそこ(底)がほげ(抜け)も(申)した
しろい ちば(血を) す(吸)いも(申)した
あたいたっちゃ(私たちは) 一つこと(おんなじに) ないもした(なり申した)
あたいは たちいお(太刀魚)に なりも(申)した
あか(赤ん坊)の たんじょっ(誕生)の ゆえごっ(祝い事)に
にんがい(人外)
ぶにせ(醜男)の しょっきち(正吉)
しょうぎ(娼妓)に おや(親)は いりませぬ
しょっがつ(正月)みてな(みたいな)日
なみ(波)の上で し(死)にまする
へ(灰)がふっと(降る) おもいだす
いやい(蟻)が な(泣)いておりも(申)した
じ(地)のそこ(底)がほげ(抜け)も(申)した
しろい ちば(血を) す(吸)いも(申)した
あたいたっちゃ(私たちは) 一つこと(おんなじに) ないもした(なり申した)
あたいは たちいお(太刀魚)に なりも(申)した
あか(赤ん坊)の たんじょっ(誕生)の ゆえごっ(祝い事)に
にんがい(人外)
ぶにせ(醜男)の しょっきち(正吉)
しょうぎ(娼妓)に おや(親)は いりませぬ
しょっがつ(正月)みてな(みたいな)日
なみ(波)の上で し(死)にまする
書誌情報
読み仮名 | ユウジョコウ |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 320ページ |
ISBN | 978-4-10-404104-6 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 歴史・時代小説、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,980円 |
インタビュー/対談/エッセイ
波 2013年5月号より [村田喜代子『ゆうじょこう』刊行記念特集インタビュー] 少女は、書くことで考え始めた
――『ゆうじょこう』は、硫黄島から熊本の遊郭に幼くして売られてきたイチという少女が主人公です。遊女という題材を選んだのはどうしてですか。
熊本には二本木遊郭という廓があり、なかでも東雲楼は全国でも五本の指に入るといわれていました。いまはすっかり様変わりしているのですが、最近まで東雲楼の建物が一部、残っていたのです。それがいよいよ取り壊されるというので見に行ったのがきっかけです。
――東雲太夫の部屋子としてイチは廓での生活をスタートさせます。
東雲楼の主人は大阪堂島の米相場をしきっていました。京都島原のよりすぐりの遊女を金に糸目をつけず引き抜いて、熊本に連れてきます。そして彼女に楼の名・東雲を与えたのです。東雲太夫は読み書きはもちろん、和歌、茶、生け花なども嗜む一種の教養人です。新入りの娘たちに化粧の仕方や言葉遣いなどを教える教育係でもありました。
――イチは遊女の学校にずいぶん熱心に通う少女ですね。
遊郭のそばには手紙を代筆する代書屋が必ずありました。客への恋文などの代筆を頼んだりしたからです。でも遊女自身も読み書きがまったくできなくては困ります。楼主と交わす証文が読めないと、せっせと働いているのに、インチキされていつまでたっても借金が減らないということにもなりかねません。
大きな遊郭街には、明治になると女紅場という遊女のための学校ができました。そこでは、作文や習字のほか料理や裁縫、活け花など女性として嗜むべきことも教えていました。二本木遊郭の女紅場の開設は新聞記事にもなり、生徒が三百人以上いたそうです。
――イチが書く作文がなかなか魅力的です。
女紅場でイチは元士族のお師匠さん・赤江鐵子に言葉や文字を教わります。自分の名前に始まり、太陽や月、山、海、風など世界を知るべき言葉を少しずつ学んでいきます。
お師匠さんはイチたちに日記を書かせ、イチは毎日懸命に文章をひねりだします。そうやって言葉を書くことがとても重要です。というのは、私たちは生まれながらに物事を考える能力をそなえているわけではありません。言葉を知り、使うことによって、はじめて人間らしく思考し始めたのではないでしょうか。新たに獲得した言葉によって、それまで知らなかった男と女の世界をイチはきちんと考えるようになります。素朴な少女が書くという行為を通じて、世の中をみつめ始めるのです。
でも、幼い少女の拙い作文を大人の私が作るというのもなかなか一筋縄ではいきませんでした。そこで、イチの文章を鹿児島弁にしたら、少しでも作文の味わいが生まれるのではないかと思いました。井上ひさしさんの『吉里吉里人』でも、川端康成の『雪国』を東北弁に変えるなどとても効果的ですよね。
――妊娠して生まれた子とともに廓を去る紫太夫や廓を脱走するナズナという少女などもこの作品には登場します。ついには、イチは東雲太夫たちとともにストライキを起こします。
紫太夫やナズナのことを作文に書くことによって、イチはそれまで当然のことだと信じていた廓の世界のしきたりに疑念を抱き始めます。そして、ついにはストライキに加わるという大胆な決断をするまでに至るのです。
この作品は、明治三十三年、実際に東雲楼で起きたストライキ事件をもとにしています。五十人もの女性が参加、さまざまな妨害にも抵抗し続けました。結局楼主側も妥協せざるをえませんでしたし、そののち各地で盛んになった廃娼運動をもたらすことにもなりました。イチのように自分に目覚めた少女は現実にもおおぜいいたのでしょう。
熊本には二本木遊郭という廓があり、なかでも東雲楼は全国でも五本の指に入るといわれていました。いまはすっかり様変わりしているのですが、最近まで東雲楼の建物が一部、残っていたのです。それがいよいよ取り壊されるというので見に行ったのがきっかけです。
――東雲太夫の部屋子としてイチは廓での生活をスタートさせます。
東雲楼の主人は大阪堂島の米相場をしきっていました。京都島原のよりすぐりの遊女を金に糸目をつけず引き抜いて、熊本に連れてきます。そして彼女に楼の名・東雲を与えたのです。東雲太夫は読み書きはもちろん、和歌、茶、生け花なども嗜む一種の教養人です。新入りの娘たちに化粧の仕方や言葉遣いなどを教える教育係でもありました。
――イチは遊女の学校にずいぶん熱心に通う少女ですね。
遊郭のそばには手紙を代筆する代書屋が必ずありました。客への恋文などの代筆を頼んだりしたからです。でも遊女自身も読み書きがまったくできなくては困ります。楼主と交わす証文が読めないと、せっせと働いているのに、インチキされていつまでたっても借金が減らないということにもなりかねません。
大きな遊郭街には、明治になると女紅場という遊女のための学校ができました。そこでは、作文や習字のほか料理や裁縫、活け花など女性として嗜むべきことも教えていました。二本木遊郭の女紅場の開設は新聞記事にもなり、生徒が三百人以上いたそうです。
――イチが書く作文がなかなか魅力的です。
女紅場でイチは元士族のお師匠さん・赤江鐵子に言葉や文字を教わります。自分の名前に始まり、太陽や月、山、海、風など世界を知るべき言葉を少しずつ学んでいきます。
お師匠さんはイチたちに日記を書かせ、イチは毎日懸命に文章をひねりだします。そうやって言葉を書くことがとても重要です。というのは、私たちは生まれながらに物事を考える能力をそなえているわけではありません。言葉を知り、使うことによって、はじめて人間らしく思考し始めたのではないでしょうか。新たに獲得した言葉によって、それまで知らなかった男と女の世界をイチはきちんと考えるようになります。素朴な少女が書くという行為を通じて、世の中をみつめ始めるのです。
でも、幼い少女の拙い作文を大人の私が作るというのもなかなか一筋縄ではいきませんでした。そこで、イチの文章を鹿児島弁にしたら、少しでも作文の味わいが生まれるのではないかと思いました。井上ひさしさんの『吉里吉里人』でも、川端康成の『雪国』を東北弁に変えるなどとても効果的ですよね。
――妊娠して生まれた子とともに廓を去る紫太夫や廓を脱走するナズナという少女などもこの作品には登場します。ついには、イチは東雲太夫たちとともにストライキを起こします。
紫太夫やナズナのことを作文に書くことによって、イチはそれまで当然のことだと信じていた廓の世界のしきたりに疑念を抱き始めます。そして、ついにはストライキに加わるという大胆な決断をするまでに至るのです。
この作品は、明治三十三年、実際に東雲楼で起きたストライキ事件をもとにしています。五十人もの女性が参加、さまざまな妨害にも抵抗し続けました。結局楼主側も妥協せざるをえませんでしたし、そののち各地で盛んになった廃娼運動をもたらすことにもなりました。イチのように自分に目覚めた少女は現実にもおおぜいいたのでしょう。
(むらた・きよこ 作家)
書評
波 2013年5月号より
[村田喜代子『ゆうじょこう』刊行記念特集]
もう一つの近代日本を描く、魔術的教養小説
もう一つの近代日本を描く、魔術的教養小説
田中弥生
無垢な主人公がさまざまな人と出会い体験を重ね、規定された社会的成功とは違う形で自己を成熟させていくジャンルとして教養小説はあるが、明治期の日本を舞台に、一人の少女の遊郭での日々を描く本書もまた、確固としたドラマ性と、そこにとじこもらないにぎやかな多声性を併せ持つ、非常に優れた教養小説のひとつになっている。
主人公は硫黄島で生まれ、海女の母のもとで育った少女、青井イチ。初潮とともに売られた彼女は、売れっ子花魁、東雲の部屋子として熊本の東雲楼で暮らし始める。ウミガメと泳ぐ島でののびのびした暮らしとまったく違う、小さないけすでつつかれる亀のような日々。廓の主人はイチの資質を買い、「小鹿」という源氏名のもと、東雲並みの花魁に育てようとするが、陸の価値観を信じないイチは、周囲が持ち込む娼妓としての成功のチャンスを次々と台無しにしてしまう。自分が自分として生きられなくなる事態はどんなに得に見えても、実際得でも回避する。海から来た少女の一見愚かだが不思議な絶対性を持つ判断のありようが爽快だ。
全十三章、読者はこのぶれない主人公イチを案内人に、江戸情緒の名残がのどかでありつつ、むきだしの性や暴力がそこかしこに口を開ける華やかな魔窟をくまなく巡ることになる。廓の頂点にある東雲の生活、若い娼妓のための性技講座、廓が設置した娼妓のための学校「女紅場」。イチの移動とともにさまざまな場所が活写され、読んでいると自分が小さな魚となり、遊郭の中を泳いでいるかのようだ。そして旅の頼もしいガイド、イチは、どこに行っても何を体験しても、陸の人間になりきることがない。小鹿として客に手紙を出せるよう「女紅場」で文字を習っても小鹿として使わず、誰にも分からない島の言葉で自分の怒りや疑問を書くことに使ってしまう。稼げる娼妓になるために学ぶ知識が、イチにかかると娼妓でない自分を確認する技術になる。あるいは教養小説における知の本質を示すこのイチの奇妙な作文こそ、村田作品本来の性質を示す部分なのかもしれない。他作品ではそのままの場合もある強い方言の使用だが、本作はルビや地の部分によって翻訳、解説されているので理解しやすく、方言の生な味を生かしつつ、読みやすい一作になっている。
各章はそれぞれ独立した話としても読め、東雲や女紅場の鐵子先生など、何人かの女性の出自や運命が断続的に示されていく。階級社会においてまったく離れた出自の女たちが、廓という水族館で隣り合い交錯する様は、さながら明治日本の縮図だ。また背景として、福沢諭吉の教えや社会主義的な運動、キリスト教といった当時の新しい思想の数々が人々の心を翻弄する様が描かれる。後半それらは一つのうねりとなって、娼妓のストライキという社会的な事件に収斂していく。島からやってきた小さなイチの物語が、いつのまにか大河に合流し遊郭の外にあふれだす。村田の筆が自在に描き出すその流れの急激な変化と、激動の明治を実感させるその自然さには驚かされるばかりだ。
描かれる事件は実際にあったものを大枠とするが、郷土史的な事件を虚構化することで、歴史に忠実でありつつ史実として扱った場合には見えない、人の心に寄り添う物語が語られている。マーク・トゥエインが自然児ハックを通して黒人の状況を描いたように、村田は明治の現実を海から来た異人、イチの眼を通して描き、その先に、史実と違う未来の可能性を拓いている。作中、娼妓たちは事件を通してさまざまな選択をし、一つの原理を選び、自由な市民として目覚めていく。その変化と成長を、イチの中にある巨大なウミガメの眼が見、語っている。二〇一三年の今、物語を通して、架空の明治を舞台にもう一つの近代日本が産まれる瞬間を体験する。読書の不思議と醍醐味のすべてが詰まった、奇跡的なまでに完璧な一冊だ。
(たなか・やよい 文芸評論家)
著者プロフィール
村田喜代子
ムラタ・キヨコ
1945(昭和20)年、福岡県北九州市八幡生れ。1985年、自身のタイプ印刷による個人誌「発表」を創刊。1987年「鍋の中」で芥川賞を受賞。1990(平成2)年「白い山」で女流文学賞を、1992年「真夜中の自転車」で平林たい子賞を、1998年「望潮」で川端康成賞を、2014年『ゆうじょこう』で読売文学賞を、2019年『飛族』で谷崎潤一郎賞を受賞した。ほかに、『花野』『蟹女』『龍秘御天歌』『八幡炎炎記』『屋根屋』『故郷のわが家』などの著書がある。
判型違い(文庫)
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