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水 本の小説

北村薫/著

1,925円(税込)

発売日:2022/11/30

  • 書籍

本を愛する作家が、言葉と物語の発する光を掬いとり、その輝きを伝える7篇。

懐かしくて新しい物語の言葉が、映像や詩や短歌、歌のことばに結び合わされて光を放ち、豊かに輝き出す。向田邦子、隆慶一郎、山川静夫、遠藤周作、小林信彦、橋本治、庄野潤三、岸田今日子、エラリー・クイーン、芥川龍之介――思いがけなく繋がっていく面白さ。本の達人ならではの探索と発見が胸を打つ〈本の私小説〉。

  • 受賞
    第51回 泉鏡花文学賞
目次

まる



ふだ

書誌情報

読み仮名 ミズホンノショウセツ
装幀 大野隆司/装画、(C)Getty Images/カバー、Grant Faint/カバー、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-406616-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,925円

書評

豊かな水脈

江國香織

 わくわくする本だ。これからそれへ、それからあれへ、思いがけない道筋で次々つながることの妙味。遠藤周作梅原猛を、塚本邦雄と三島由紀夫を、芥川龍之介チェーホフをつなげられる人が北村薫以外にいるだろうか。由紀さおりと戸板康二を、大辻司郎と松本清張をおなじ文脈で語れる人が? 本が主役ではあるけれど、歌舞伎、落語、映画、小唄、漫談、童謡、テレビやラジオの番組や、コマーシャルや歌謡曲まで、言葉にまつわるものはみんなつながってしまう。なるほど、と腑に落ちたり、へえ、と驚いたり、おお! と快哉を叫んだり、それでそれで? と好奇心をかきたてられたりするこの本を読む喜びは、ほとんど肉体的と呼びたいような快楽だ。無論これは著者の博識抜きには存在し得ない本だけれど、おもしろいのは(そしてとても美しいのは)、著者の博識以外の要素がしばしば躍り込んでくることで、ここにはたくさんの人の記憶や記録や知識や、偶然および必然の出会いや時の流れが折り重なり、響き合っている。
 たとえば著者の子供のころの記憶。『巌窟王物語』のなかに「たまらなく恐ろしい場面」があり、それは「孤島の牢に閉じ込められるところより、袋詰めのまま荒海に投げ込まれるところより、ずっとずっと嫌でした」と語られる(これだけでもう、どんな場面か知りたくてうずうずすると思うけれど、続きは本文で読んでいただくとして、記憶の例を続けます)。獅子文六の新聞小説『バナナ』を読んで、「蒸しタオル」のでてくる場面が強く記憶に残ったのはなぜか。あるいはまた、新聞の連載漫画にでてきた小唄、「からかさの~ ほねはァばらばら」に対して抱いた違和感のこと。ああ、わかる、と、それらの作品を知らないのに思ってしまうのは、たぶん誰もが子供のころに(時代や作品こそ違え)、似た経験をしているからで、つまりここで著者の記憶は本からはみだして、読者のそれとつながってしまう。加えて、本書の重要登場人物である「プー編集長」や「担当さん」や「恩藏さん」の記憶もひもとかれる。それだけでも十分重層的なのだが、この本が特別なのは、著者の記憶とおなじ比重、おなじ鮮烈さで、いまはもういない岸田今日子の、團伊玖磨の、小沢昭一の、芥川龍之介の記憶が息づいているからだ。記憶は個人のものだけれど、この本のなかで、それらは個人を越え、時代も場所も越えて地下水脈みたいにつながっている。そのことが心愉しく、心強い。
 創作カルタあり、謎の本探しあり、文豪話あり、東京弁考察あり。びっくり箱のような一冊で、発見に満ちている(ええっ、「駅ー、駅ー」というコントはドリフターズのオリジナルではなかったのか!!! とか)。ときに憂いをのぞかせながら(味わうのに楽をすることへの警鐘や、「もし理解出来ないなら、バーを下げるのではなく読者の方が跳べるようにならなくてはいけない」という基本原理、「ならぬことはならぬものです」という言葉の重さや、「今のあの音この音も、保存されなければ時の流れの中に溶けてしまうことでしょう」に滲む無念さ)、それでもここには書物や言葉、あるいは文化そのものへの圧倒的な、そして頑固な信頼がある。
 書名通り“水”みたいに流れて広がる文章世界だ。あっちで跳ね、こっちでこぼれながら無数の支流を発生させ、自在に、けれど自然の地形にそって――。
 この美しい本にはたびたび庄野潤三がでてくるのだが、著者が彼の作品について言う、「それが決して、一人だけのものではないからでしょう」はまさに水脈が存在するしるしだし、最終章における犀星から庄野への流れ(犀川からミシシッピ・リバーへ)といい、犀星に戻って本全体をしめくくる「山水のやうな味のする水」という一文といい、気がつけばあたりはいちめん清烈な水、という場所に読者は運ばれていて、船頭たる著者の見事なオールさばきに舌をまくことになる。
 ところで、この本のなかに、「何となく、一行一行、蟹の味がするようでしょう」という文章があり、確かにその通りの(蟹の味がするような)ものが読めるのだが、私にはその事実より、「何となく、一行一行、蟹の味がするようでしょう」という文章そのものの方が驚きだった。この味わい能力! 凡人には書けない一文だと思う。

(えくに・かおり 作家)
波 2022年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

北村薫

キタムラ・カオル

1949年埼玉県生まれ。早稲田大学ではミステリクラブに所属。1989年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。小説に『秋の花』『六の宮の姫君』『朝霧』『太宰治の辞書』『スキップ』『ターン』『リセット』『盤上の敵』『ニッポン硬貨の謎』(本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞)『月の砂漠をさばさばと』『ひとがた流し』『鷺と雪』(直木三十五賞受賞)『語り女たち』『1950年のバックトス』『ヴェネツィア便り』『いとま申して』三部作『飲めば都』『八月の六日間』『中野のお父さん』『遠い唇』『雪月花』『水 本の小説』(泉鏡花文学賞受賞)などがある。読書家として知られ、『謎物語』『ミステリは万華鏡』『読まずにはいられない 北村薫のエッセイ』『神様のお父さん――ユーカリの木の蔭で2』など評論やエッセイ、『名短篇、ここにあり』(宮部みゆきさんとともに選)などのアンソロジー、新潮選書『北村薫の創作表現講義』新潮新書『自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室』など創作や編集についての著書もある。2016年日本ミステリー文学大賞受賞、2019年に作家生活三十周年記念愛蔵本『本と幸せ』(自作朗読CDつき)を刊行。近著に『中野のお父さんと五つの謎』。

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