風聞き草墓標
1,980円(税込)
発売日:2016/03/22
- 書籍
父は何者だったのか。元禄の繁栄を築いた勘定奉行の突然の死と20年後の相次ぐ変死。史実に基づく歴史ミステリ。
書評
荻原重秀父子の奇怪な死の真相に挑む
諸田玲子さんからメールをいただいたのは四年前。私のような無名の大学教師へ、著名な作家からのお便りに驚いたけれど、「用件は、荻原重秀のことかな」と察せられた。私も、『勘定奉行 荻原重秀の生涯』(集英社新書、2007年)を書いたとき、諸田さんの『其の一日』(講談社文庫、2005年)を読んでいた。全四篇のうち、荻原重秀を主人公にした一篇「立つ鳥」を収録した同書で、諸田さんは第二四回吉川英治文学新人賞を受賞している。
荻原重秀は、元禄時代に貨幣改鋳を指揮した勘定奉行だ。小判に含まれる
対策の正解は、貨幣量の増加しかない。質はどうでもよろしい(紙でもいい)。逆に、政府(幕府)が倹約するなどもってのほか。デフレ期に緊縮財政を敷いたり、流通貨幣量を減らしたりしたら、事態を一層悪化させることくらい、今や高校生でも知っている。通常は美徳とされる「倹約」「貨幣の質の維持・向上」が庶民をひどく苦しめ、「浪費」「貨幣の質の低下」という悪徳(?)が、実は好景気と繁栄をもたらす。この逆説と政策対立が、『風聞き草墓標』の時代背景だ。
五代将軍・綱吉時代に幕府財政を一手に握っていた荻原重秀は、1712年に失脚し、翌年、変死を遂げた。室鳩巣の手紙を編集した『兼山秘策』(早稲田大学蔵)は、重秀の死を、「
そして二○年以上経った1736年にようやく、大岡越前の建議によって、再び元禄小判と同じ低品位の元文小判が発行される。『風聞き草墓標』の幕開けはその二年前の、享保一九年。秘蔵されていた『兼山秘策』が筆写され、写本が出回りだした時期だ。元文改鋳を計画していた大岡越前は、当然、前例の元禄改鋳について研究していただろうし、荻原重秀の業績や死亡の経緯にも関心を持っていたはずである。この大岡越前が、主人公・せつを訪ねるところから小説は始まる。
せつは、諸田さんが造形したヒロインだが、実在の人物で、『寛政重修諸家譜』第八巻八一頁に記載がある。萩原美雅の次女で「根来平左衛門長時が妻」。父の萩原美雅は、荻原重秀の部下でありながら、重秀を失脚させたとされる人物(『折たく柴の記』)。いわば敵の娘なのだが、小説では荻原重秀の嫡男・源八郎の元許嫁という
『風聞き草墓標』は、荻原重秀・源八郎父子の死の真相を、せつが謎解きしていく推理小説であり、同時に、時代小説家・諸田玲子さんによる、一連の奇怪な事件の真相はこうだ! という仮説の提示でもある。捜査は証拠に基づかなければならない。どこまでが史実として確定でき、どこからは不明なのか、その境界確定を、というご依頼を請け、少しお手伝いさせていただいた。身分のある登場人物の事跡・生死・居住地などは考証済みなので、「丸毛家は牛込御門を出て橋を渡った左手、外堀の西岸にある」(一八四頁)といった記述はすべて史実通り。読者はできれば江戸の切絵図を見ながら読まれると、登場人物の地理関係がよくわかり、一層興味深いと思う。
諸田さん、新潮社の担当のお二人と、出雲崎や佐渡、江戸を実地に歩いたのは本当に楽しい体験でした。素晴らしい小説の誕生に立ち会えて、とても光栄です。
(むらい・あつし 金沢大学教授)
波 2016年4月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
諸田玲子
モロタ・レイコ
1954年生まれ、外資系企業勤務の後、翻訳・作家活動に入る。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、2007年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、2012年『四十八人目の忠臣』で歴史時代作家クラブ賞、2018年『今ひとたびの、和泉式部』で親鸞賞を受賞。ほかの著書に『お鳥見女房』シリーズ、『源内狂恋』(文庫化に際して『恋ぐるい』と改題)、『ちよぼ 加賀百万石を照らす月』など多数。