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別れの季節 お鳥見女房

諸田玲子/著

1,650円(税込)

発売日:2019/11/27

  • 書籍

黒船来航に大地震で世情騒然。でも、あの人の待つ家さえあれば、何も怖れることはない。大人気シリーズ『お鳥見女房』ふたたび。

次男二女も独立し、孫にも恵まれ、幸多い日々を過ごしていた珠世。が、浦賀に黒船が来航し、雑司ヶ谷の居宅にも激震が。またかつて居候していた石塚源太夫の郷里、小田原は大地震に見舞われた。珠世は思い知る、時の流れは出会いとともに、別れを連れてくることを。不穏な時代を生き抜く人の知恵と日々の歓びを描く連作短篇集。

目次
第一話 嘉永六年の大雪
第二話 大鷹の卵
第三話 黒船
第四話 御殿山
第五話 天狗の娘
第六話 別れの季節

書誌情報

読み仮名 ワカレノキセツオトリミニョウボウ
装幀 深井国/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 240ページ
ISBN 978-4-10-423516-2
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,650円

インタビュー/対談/エッセイ

私の理想の女性です。

諸田玲子

 私の実家の裏手には小さな山があって、麓はちょっとした公園。子供たちが滑り台やブランコで遊ぶかたわらで、老人たちが日がな一日、のんびり碁や将棋に興じていました。夏の盆踊りは浴衣に兵児帯へこおび姿で踊り、大晦日は中腹にあるお寺で鐘をつき、年が明ければ初詣に出かけました。子供のころは大木のほこらをくぐりぬけて遊んだり、真っ赤な雲のような蜻蛉とんぼの群れを追いかけたり、団栗どんぐりを拾ったり、亡き父と犬をつれて山頂へ登るのも週末の楽しみでした。
 今からちょうど二十年前、初めて小説誌で連作シリーズを書かせていただくことになったとき、すでに東京暮らしのほうが長くなっていた私ですが、厳めしいかぶもんの武家やごみごみした長屋ではなく、小川が流れ、急勾配の坂道ややしろの森があり、豊かな自然の中で武家屋敷と町家と農家が隣り合っている――そんな江戸の郊外を舞台にしたいと思いました。池波正太郎さんの「剣客商売」では市中と郊外とを小舟で自在に行き来する場面が印象的です。実際、江戸にはいたるところに川が流れていました。田畑があり森があり坂があり寺社があって、四季折々の情緒に彩られていました。私自身が郷愁にかられ、そんな暮らしを懐かしんでいたのでしょう。
 江戸の雑司ヶ谷は自然豊かな郊外です。田畑の中を弦巻川が流れて、小さな木の橋を渡れば鬼子母神の社の森。その先には、御鷹部屋御用屋敷がありました。武家屋敷が立ち並ぶ中にはささやかな町もあって、大通りへ出る手前には左右から木々の枝が突き出して昼も仄暗い幽霊坂があります。
 この御用屋敷に勤める御鳥見役――組屋敷の一軒でつつましく暮らす下級武士――の妻を主人公に選んだのは、会社員の家庭で育った私には親近感の抱ける存在だったからです。あまり知られてはいませんが、御鳥見役は、将軍家の御鷹狩の準備に奔走する役目ながら、裏では各地の情勢や諸家の内情を探る密偵役を課せられることもあったそうです。一見、ありふれた平穏な一家が、お役目ゆえに大小の事件に翻弄されてゆく――それは時空を超えて、私たちにとっても身近な物語であるように思えました。
 もうひとつ書きたかったのは家族です。昭和から平成を経て令和へ、私たちの暮らしは大きく変わりました。つい目に見える変化にばかり気をとられがちですが、家族の姿も今や一変してしまいました。老人から子供まで大家族が肩を寄せ合って生きてゆく――そんな家族をぜひとも書きたい、と。
 一家を支える要は、なんといってもお鳥見女房の珠世さんです。家を守り、家族を愛しみ、来る者は拒まず去る者は追わず、いつもえくぼを浮かべて両手を差し伸べてくれる珠世さんは私の理想の女性です。珠世さんは「禍福はあざなえる縄」だということを肝に銘じています。ですから他人の幸福を羨まないし、自分の不運を嘆かない。珠世さんのように生きたいと思いながら、欠点だらけの私はとてもそんなふうにはできません。そのせいでしょう、行き詰ったり悲しいことがあると珠世さんに会いたくなります。
 小説を書きながら自分自身が癒される、というのは本当にふしぎな経験でした。私にとって本書は「いつも帰りたいと夢みている故郷」のような存在でした。この二十年、折あるたびに「お鳥見女房」の世界へ戻り、珠世さんや登場人物たちに再会して元気をもらい、また次の作品にとりかかるという贅沢なマイペースをつづけさせていただきました。
 その珠世さんもさすがに齢を重ねました。前作で区切りをつけて次の世代にバトンタッチを、と思っていたのですが、どうしてもその前に書いておきたいことがありました。もちろん珠世さんと源太夫一家のその後、そして時代の大きな流れです。長閑な時代から激動の維新へ……親から子、そして孫へ……時代と共に人も変わります。同じところに留まることのできない寂しさは切実で胸が痛みますが、別れの季節は一方で、出会いの季節でもあります。自らの手で「珠世さんのお鳥見女房」を締めくくることができて、今はほっとしています。「お鳥見女房」を愛して下さった皆さまに感謝をこめて、今ひとたび雑司ヶ谷の矢島家にしばし身を置き、名残りを惜しんでいただければと願っています。

(もろた・れいこ 作家)
波 2019年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

諸田玲子

モロタ・レイコ

1954年生まれ、外資系企業勤務の後、翻訳・作家活動に入る。2003年『其の一日』で吉川英治文学新人賞、2007年『奸婦にあらず』で新田次郎文学賞、2012年『四十八人目の忠臣』で歴史時代作家クラブ賞、2018年『今ひとたびの、和泉式部』で親鸞賞を受賞。ほかの著書に『お鳥見女房』シリーズ、『源内狂恋』(文庫化に際して『恋ぐるい』と改題)、『ちよぼ 加賀百万石を照らす月』など多数。

諸田玲子オフィシャルサイト (外部リンク)

判型違い(文庫)

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