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玉電松原物語

坪内祐三/著

1,870円(税込)

発売日:2020/10/20

書誌情報

読み仮名 タマデンマツバラモノガタリ
装幀 いとう良一/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 190ページ
ISBN 978-4-10-428105-3
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,870円
電子書籍 配信開始日 2020/10/20

急逝した評論家の「遺作」は、私小説のごとき昭和文化論だった。

幼少期を過ごしたかつての世田谷では、チンチン電車が走り、牧場には牛が群れ、神社は奉納相撲で盛り上がる。そして駅前の商店街には、様々な人びとがいた。自らを育んだ街と文化を卓越した記憶力で再構築し、令和が喪ったものを鮮やかに甦らせる。昭和カルチャーの申し子たる著者の、集大成とも言うべきラストメッセージ。

目次
第一章 四谷軒牧場とブースカ
第二章 スーパー「オオゼキ」がリニューアルオープンした
第三章 サヨウナラ「遠藤書店」
第四章 松原書房、「安さん」、そして切手ブーム
第五章 「ももや」のブルート、米屋のカルロス、そしてヒッピーそうちゃん
第六章 落合博満は赤堤小学校のPTA会長だった
第七章 「布川電気」で買ったレコード、そして赤堤の家の生き物たち
第八章 和泉多摩川、京王多摩川、そして二子玉川
第九章 世田谷八幡の秋祭りの奉納相撲で学生横綱だった農大の長濱を見た
第十章 「ハマユウ」と「整美楽」が謎だった
燃える牛と四十七の扉 吉田篤弘

書評

坪センパイの世田谷

岸本佐知子

 坪内祐三さんに初めてお目にかかったのは今から十五年ほど前だが、そのときどんな話をしたのかはまるで記憶にない。とにかくちょっと怖かったことだけ覚えている。辛辣な話をするのも冗談を言うのも表情と声のトーンがいっしょで、怒っているのか上機嫌なのかさっぱりわからないからだ。
 それが何度めかにお会いしたときに一変したのは、私が赤堤小学校で坪内さんの一学年後輩だとわかってからだ。坪内さんはうってかわってにこにこしながら、当時の赤堤周辺の思い出話をすごい情報量と熱気で語りだした。私が住んでいた社宅まで言い当てられたのには驚いた。私の書いたものから推理して割り出したのだそうだ。楽しそうだった。そのときから私の中で「坪内さん」は「坪センパイ」に変わった。
 私たちが赤小に通っていた当時の世田谷のあのあたりは、それはもう大した田舎だった。そこらじゅうに畑があった。道路は舗装されていなかった。赤小の裏手には牧場まであって、廊下の窓を開けると牛と目があった。でも、私は年を追うごとにあれはぜんぶ幻覚だったんじゃないかと思うようになっていた。私の記憶の不確かさと、人としての信用度のなさから、当時の話をしても誰にも信じてもらえなかった。「まさか、都内に牧場なんかあるわけないでしょ」と言われれば、「ですよねー」と気弱に引き下がっていた。
 けれども坪センパイは超人的な記憶力と地理感覚でもって、私のあやふやな記憶を一つひとつ裏付けてくれた。私が近所にあった店や場所のあいまいな思い出を自信なさげに口にすれば、「ああ、あそこね」と脳内の地図と即座に照合してくれて、おまけに「あの店の店主はじつはね……」などといったトリビアまで授けてくれた。
 極めつきは「べぼや橋」だ。私が住んでいた社宅の近くをドブ川が流れていて、川向こうに行くにはいつもその橋を渡っていたのだが、家族の誰に聞いてもそんな橋は知らないと言う。グーグルで検索しても自分の文章しかヒットしない。それを確かに「あった」と請け合ってくれたのも坪センパイだった。
 坪内さんとの世田谷談義は、私にとっては心おどる「答え合わせ」の時間だった。センパイの「ああ、あそこね」のたびに、頭の中で曇りガラスのようにぼんやりしていた記憶のピントが合い、色が戻り、地図上の確かな一点として定着した。
『玉電松原物語』は、その答え合わせの文字バージョンだ。とちゅう出てくる懐かしい固有名詞に、何度も大きくうなずいた。センパイの出たマリア幼稚園には私の妹も通っていた。当時は洒落たショッピングセンターだった経堂ストア。レイク・ヨシカワは、私が初めて筒井康隆の本を買った書店。OSK(大阪松竹歌劇団)の振付師だった赤小のW先生(運動会のし物の集団演舞は、今思えば小学生に要求するレベルのものではなかった)。
 驚かされるのは、小学生とは思えない坪内さんの行動半径の広さだ。たとえば当時の私にとって世界とは、赤小と自宅を起点に玉電山下駅までと経堂駅までですべてだったが、坪内さんはその何倍もの広域を自分の庭とし、さらに玉電や自転車を駆使して三軒茶屋や下高井戸にまで版図を広げていたのだ。
 坪内さんは、まるで筆を散歩させるように、連想の赴くままにつぎつぎ思いついたことを書いていく。そのゆるやかなリズムに、こちらも昭和の世田谷をいっしょに散歩しているような心持ちになる。それにしても坪内少年はつくづくヘンだ。古本屋めぐりや焚き火や花見など、趣味が小学生と思えないほど爺くさかったり。セキセイインコを五十羽も飼っていたり。肥満児で一日に牛乳を二十本飲んだり。野球少年でプロレス小僧でマンガ少年で。ワルガキでおたく、自由で博識で社交の達人。もしも小学生当時、私が坪センパイと知り合いだったらどうだっただろうと想像せずにいられない。もっともセンパイは、「おれはもちろん君のことだって知っていたぜ」と眉をひこつかせながら言うのだけれど。
 読んでいて、ふと愕然とする。こんなふうに紙と文字ごしに「答え合わせ」をするしかなくなってしまったことに。私の地図は、まだまだらに曇りガラスのままだ。坪センパイ、学校の向かいにあったグライダー工場のことはどうなるんですか? べぼや橋のことも、連載が続いていれば書くつもりでしたか?
 最後に美しい玉虫の死骸のことなんか書いて、それきりいなくなってしまって、坪センパイは本当にひどい。

(きしもと・さちこ 翻訳家)
波 2020年11月号より
単行本刊行時掲載

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著者プロフィール

坪内祐三

ツボウチ・ユウゾウ

(1958-2020)1958(昭和33)年5月8日東京都渋谷区生まれ、3歳から世田谷区育ち。早稲田大学第一文学部人文専修卒、同大学院英文科修士課程修了。1987(昭和62)年から1990(平成2)年まで「東京人」編集部員。1997(平成9)年、『ストリートワイズ』(晶文社)でデビュー。2001(平成13)年9月、『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)で講談社エッセイ賞を受賞。2020(令和2)年1月13日、心不全のため急逝。主な著書に『靖国』『古くさいぞ私は』『変死するアメリカ作家たち』『探訪記者 松崎天民』『昼夜日記』など。「小説新潮」に連載中だった『玉電松原物語』が遺作となった。

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