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神さまショッピング

角田光代/著

1,760円(税込)

発売日:2025/09/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

開運、良縁、健康、商売繁盛、金運、子宝、長寿、縁切り。あなたの願いは何ですか。

夫にも誰にも内緒でひとりスリランカへ向かった私が、善き願いも悪しき願いも叶えてくれる神さまに祈るのは、ぜったい誰にも言えないあのこと──。神楽坂、ミャンマー、雑司ヶ谷、レパルスベイ、ガンジス川。どこへ行けば、願いは叶うのだろう。誰もが何かにすがりたい今の時代に、私のための神さまを求める8人を描く短篇集。

目次

神さまに会いにいく
落ちない岩
弾丸祈願旅行
にせ巡礼
聖なる濁った川
モンゴルの蓋
神さまショッピング
絶望退治

書誌情報

読み仮名 カミサマショッピング
装幀 KAORU SATO(vision track)/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 216ページ
ISBN 978-4-10-434609-7
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2025/09/25

書評

彷徨を続けるための体力

大森静佳

「にせ巡礼」「神さまショッピング」「絶望退治」──タイトルのかろやかさに油断していると、いつのまにか心の深いところを静かに抉られている。おそろしい短編集だ。
 私は子どもの頃から、初詣などでどこかに参拝したときには「弟ふたりが幸せでありますように」と頼むと決めて生きてきた。自分のことは自分で何とかしたほうが速いし、世界の紛争や飢餓については神頼みよりも寄付など具体的な行動をしたほうが良い。そんな、ある意味で非常に不遜で現実的な考えが当時はあったと思うのだが、弟たちがとっくに大人になった今でもその習慣を変えられないのは、自分の本当の願いと真正面から向き合うのが怖いからだ。
 だからだろう。合掌した両手を早々にほどき目をあけた自分の隣で、友人や夫が目を閉じたまま長く願いごとをする姿を見るとぎょっとしてしまう。このひとは一体、どんなことを願っているんだろう。ぎょっとすると同時に、真剣に何かを祈っているひとの姿に羨望の念を抱きもする。
 本書に収められた八篇の主人公たちは自分にとっての特別な「神さま」を探し求め、スリランカ、香港のレパルスベイ、ガンジス川、パリなどへそれぞれ旅立つ。彼女たちは私を含めた多くの日本人と同じく特定の信仰を持たない。宗教とは無関係にショッピング感覚で「神さま」を探訪する態度はいかにも現代日本人的なのだが、ここには著者の前作『方舟を燃やす』に続き、何かを「信じたい」私たち、何かにすがらなければ生きていけない人間の弱さとそれゆえの生の愛おしさが真摯に語られている。
 どこかへ行き、帰ってくること。ひとつの願いや逡巡を通過すること。何も変わっていないように見えて、その前後で何かが決定的に違ってくる。つまり、短編小説という形式と物語の内実が強靭に嚙み合った一冊でもある。
 主人公の多くは、外から見れば比較的平坦な日々を送っているように映る女性たち。三十代から五十代、もう若くはないが年老いてもいない。彼女たちの内面には濃淡の差こそあれ空虚が巣食い、あるいは家族との齟齬や孤独をうっすらと感じている。願いごとは必ずしも善の側のものばかりではない。「神さまに会いにいく」「絶望退治」での願いごとは、人に言えないような冷えびえとしたものだ。また、主人公のうち何人かは自分の願う「しあわせ」が何なのか、自分の願いが何なのかを摑みきれずにいる。たとえば「落ちない岩」の「私」はミャンマーの聖地チャイティーヨーを再訪するが、「しあわせになりますように」と願った十七年前の自分をもはや別人のように遠く感じる。「しあわせ」とは一体どんな状態なのか。「神さま」を前にした瞬間にかえってそれがわからなくなったり、おそろしいことを祈る自分に耐えられず結局何も願わずに帰ってきたり、猥雑な観光地と化した聖地に拍子抜けしたり。彼女たちの辿る旅路は単純ではなく、リアルな感情の起伏に富む。
 印象的なのは、主人公たちが目撃する他人の「神さま」との距離感である。サンティアゴへの巡礼に犬の写真を持参した女性、縁切り神社で母親がこの世からいなくなるよう願う青年、スピリチュアルな世界に傾倒しガンジス川で無邪気に沐浴する夫。屈託なく「信じる」の側に身を置く人物たちと主人公との感情のズレがひんやりと浮きあがる。〈浄められるというのは、存外におそろしいことなのではないだろうか〉。「信じる」「信じたい」をめぐって、一篇一篇にほの暗い枝々が重層的に張りめぐらされている。
 引きこもりの息子の癎癪に怯えながら暮らす「絶望退治」の主人公・鶴子は独白する。〈私たちの日常生活のそこここに裂け目があり、そこから洞穴は暗闇を覗かせていて、幸運にも、まったく気づかず、裂け目に足を取られることなく歩いていく人もいれば、気づいてしまって恐怖に立ちすくむ人もいる。気づいたときには足を踏み入れていて、深く深く落ちていく人もいる。私たちはそういう場所で暮らしている〉。
 孔雀が横切り、自撮り棒が蠢き、無数の絵馬に願いごとがきらめく。足元にぽっかりと口をあける絶望という洞穴に対抗するかのように、国内外各地の願掛けの場は人間の営みの猥雑なエネルギーに満ちている。ときに滑稽で、ときに過剰。世界の裂け目を覆い隠すほどの眩しい光だ。その眩しさに触れた感覚は、彼女たちが家に帰ればたちまちに消えてしまうものかもしれない。それでも、はるか昔から人間はそうして眩しさと裂け目の間を行き来しながら必死に生きのびてきた。この心細い現世を彷徨い続けるための体力が腹の底から湧いてくる一冊だ。

(おおもり・しずか 歌人)

波 2025年10月号より
単行本刊行時掲載

アゲ鑑定と「信じる」のあいだで

鏡リュウジ

「アゲ鑑定」という言葉がある。占い業界だけで通用するジャーゴンだ。相談客に、占いで出た結果とは関係なく、相手が求める言葉だけを伝えて気持よくさせる、つまり気分を「アゲ」させる占いを言う。
 占いなんて気休めなのだから、それでいいではないか、不吉な予言を並べ立てて脅すよりずっとヘルシーだろう、「アゲ鑑定」をしてくれる占い師は善い占い師だ……そう思えるあなたは占いに毒されていない。醒めた目で占いを見ている向きにはポジティブに響くであろうこの言葉は、実は多くの占い師にとってはかなり侮蔑なのだ。
 良い結果だけを告げれば確かに客は喜ぶ。外れたとしても、慰めを求めてもう一度占ってくれと何度もリピートする。さらに、中毒性のある優しい言葉に惹かれ、別の問題でも相談にくるかもしれない。「アゲ鑑定」は占いの本質を歪めて金儲けに走る堕落した占い師の所業だ、というのがこの「業界」での通念なのである。
 古来、占いは同じ質問にたいしては「一回だけ」真剣に行うものだとされてきた。これは東西を問わないルールである。易では「初筮は告ぐ。再三すれば瀆る。瀆るれば則ち告げず」(最初の占いは真実を告げる。何度もやると汚れる。そうなると当たらなくなる)とされる。何度も同じ問題をかかえてリピートする客を作るなどというのは、占いの倫理から外れる。マジメな占い師ほど「アゲ鑑定」という評を嫌がるわけだ。
 そういうマジメな占い師は自分の望む答えだけを求めて占い師を転々と渡り歩く相談者、つまりドクターショッピングならぬ占い師ショッピングを続ける依存的な客も歓迎はしないだろう。「善い」占い師ならその依存的な浮遊状態をストップさせようとさえ心を砕くだろう。
 それが占いの良心であり、本道だというのは僕もよくわかる。だが、そこまで「良心的」に、もっといえば占いに対してまっすぐで純粋にもなれない僕もいるのである。
 こう書いている今、子どものころ聞いた大ヒット曲「ハートのエースが出てこない」(キャンディーズ)が何度も脳内再生される。「願いをこめ あいつとのことを 恋占いしてるのに ハートのエースが出てこない ハートのエースが出てこない やめられないこのままじゃ」。大きな声では言えないけれど、僕だって何度も「占い直す」ことはある。「やめられないこのままじゃ」の誘惑に飲まれるのである。
 未熟さ、情けなさと笑いたければ笑えばよい。が、僕は強く思う。これを笑える人はよほどの聖人か、あるいは人の心の精妙な動きを感知しない愚鈍な輩であろうと。そしてそういう輩は角田光代『神さまショッピング』を読んで己の鈍感さを顧みるべきだと。
 この短編集には自分の心の深い所にうごめく疑念や罪悪感、人に言えぬ想いを抱えた登場人物たちが自分だけの「神さま」を求めて旅する物語が描かれる。父の死を、寿命の延長を願うもの、いかんともしがたい罪悪感への贖罪を求めるもの……心を支え信じることができる「神さま」を探す現代の巡礼者たち。だが、彼女たちは「神さま」を目の前にしても揺れ動く。「神さま」と自分の間にある薄い、しかし確固たるバリアの前で逡巡する。彼女たちの巡礼にはカタルシスも達成感もなく、結果、終着点もないのである。やるせないし、無駄で不毛だと言われたらそれまでだ。だが、真摯に信じようとすればするほど「信」には届かないというこのパラドクスこそ、人の心の実相ではないだろうか。
 そもそも巡礼者ピルグリムとは土地(ager)を通り抜ける(per)者(inus)を語源とする。一つ所に留まることができない、永遠の異邦人が巡礼者なのだ。安易に定住できる者は巡礼などできない。
 考えてもみて欲しい。そもそも信じることを人は決断できるのか、自分で信じると決められるくらいなら、それは本当に信じているといえる強度を持っているのか。そしてその「信じる」は真実にたいしてのものなのか、単に騙されて自らの主体性を誰かに明け渡すだけのものではないのか。この作品には、日常のなかに潜む、パラドクスとアイロニーに満ちたヒリヒリするような「信じたい気持ち」が驚くほどの解像度で描かれているのである。そこに浮かび上がるのは、何かを信じられぬ弱い人間ではあるが、その弱い心を抱えて生きようとする誠実な人の姿なのだ。
 そうそう、最後にもう一つだけ。『神さまショッピング』のもう一つの魅力は日本を含め世界各地の「神さま」の地の素敵なガイドになっていること。旅好きな作者のことだ。実際に取材された聖地が多く描写されているのだと推察する。生き生きとした聖地の描写に導かれ、読者は居ながらにして世界中に「巡礼」に出ることができる。この本は素晴らしいバーチャル・ピルグリムのガイドとしても読めると付け加えておこう。

(かがみ・りゅうじ 心理占星術研究家・翻訳家)

波 2025年10月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

角田光代

カクタ・ミツヨ

1967年神奈川県生れ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞、2021年『源氏物語』(全3巻)訳で読売文学賞(研究・翻訳賞)、2025年『方舟を燃やす』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『キッドナップ・ツアー』『くまちゃん』『笹の舟で海をわたる』『坂の途中の家』『タラント』他、エッセイなど多数。

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