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こんな四十にだけはなりたくなかった! 21世紀の『人間失格』が今、降臨。

死んでも何も残さない―中原昌也 自伝―

中原昌也/著

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2011/03/18

読み仮名 シンデモナニモノコサナイナカハラマサヤジデン
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 174ページ
ISBN 978-4-10-447203-1
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 1,512円
電子書籍 価格 1,210円
電子書籍 配信開始日 2011/09/09

青山生まれ。「暴力温泉芸者」で世界デビューし、蓮實重彦も一目置くシネフィルにして画伯。三つも文学賞を受賞しているのに、なぜかホームレス寸前。《書きたくて書いているんじゃないことしか書きたくないことが、どうして、わかってもらえないのか》――もはや生ける伝説となった最後の無頼派作家/ミュージシャンの魂の軌跡全告白!

著者プロフィール

中原昌也 ナカハラ・マサヤ

1970年6月4日東京都生まれ。1988年頃よりMTRやサンプラーを用いて音楽制作を開始。1990年、アメリカのインディペンデントレーベルから「暴力温泉芸者=Violent Onsen Geisha」名義でスプリットLPをリリース。その後も『OTIS』『QUE SERA,SERA(THINGS GO FROM BAD TO WORSE)』などのアルバムを発表。ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンらの来日公演でオープニング・アクトに指名され、1995年のアメリカ・ツアーを始め海外公演を重ねるなど、日本以外での評価も高い。1997年からユニット名を「Hair Stylistics」に改める。音楽活動と並行して映画評論も手掛け、阿部和重との共著『シネマの記憶喪失』(文藝春秋)、14名の批評家や映画監督、小説家などとの対談集『映画の頭脳破壊』(文藝春秋)などが発売中。また1998年に初の短篇小説集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』(河出書房新社)を発表した後、2001年に『あらゆる場所に花束が……』(新潮社)で三島由紀夫賞、2006年に『名もなき孤児たちの墓』(新潮社)で野間文芸新人賞、2008年に『中原昌也作業日誌 2004→2007』(boid)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。

書評

波 2011年4月号より 着地点が最初に用意されることはない

陣野俊史

中原昌也、初の自伝である。四〇歳。この年齢で「自伝」を書くということ自体、稀有なことというか、まあ、あまり他の人はやらないことである。ただ、形式的には語り下ろし。中原が自身の人生を語り、それを聞き取り、書き留めた人がいる。だから彼の幼少期から時間軸に沿って構成されている。話は前後したり、重複したりするのできちんとした構成になっていないところもあるのだが、この「構成」という語がじつはこの本の中で鍵になっているので、もの凄く整序化された書物を、中原が拒否している、とも言える。
以下、読んで感じたことを書いていくのだが、ちょっと前提になっていることを書こう。小説を書き、音楽を作っている「中原昌也」という存在がいる。中原はこの二年半ほど小説を書かなかった(最近、また少しずつ書き始めている)。そのきっかけになった文章があって、その中に「中原昌也あたりに『キャラ萌え』して仲間褒めばかりしているような連中」という文言が含まれていた。中原はその言葉を書いた批評家よりもそれを載せた雑誌を批判しているけれども、この点は措く。中原に「キャラ萌え」して「仲間褒めばかりしているような連中」の中にたぶん私も入っているのだろうが、どう思われようと以下の書評は、「仲間褒め」ではないとお断りしておく。
中原昌也の小説を読んで、人はどう思うのだろうか。何を書いているのかわからない、タイクツだ、単調だ、そんなふうに思う人がいるだろう。じじつそうした批判がある、と中原自身が明かしている。だがそれは小説に「構成」を求めるからではないだろうか。
中原がミュージシャンとしてやっているのはノイズと呼ばれるジャンルの音楽だ。ノイズにはある程度リズムを感じさせるものとそうではないものとがある。中原の音源にも両方がある。ただ中原はあるノイズバンドについてこう書いている。「僕の好きだったノイズバンドは予測不可能なフレーズを楽しむものではまったくない。むしろ単調で、予想通りのことしか起こらずに、聴いていると何が楽しくてこんなことをやっているのか、というハテナマークが出てくる。だから面白いのだ。構成が生まれれば単調さは消えてしまう」。
どこまでも続く単調さ。構成と無縁にずっと続く感覚。中原の小説にもそれは感じ取れると思う。登場人物のキャラが設定され、何がしかの事件が起こり、みんなが悩み、大団円へと向かう……といった、定番の物語など、中原昌也名義の小説には皆無だ。不穏な文章がひとつ書きつけられ、そこにまた一文、書き足される。登場人物はいる。だが彼がどんな人なのか、説明的な文章はいっさいない。小説がどこへ向かっているのか、作者にも読者にもわからない。ひとつの文章が書かれ、そこにまたひとつ文章が加わることで小説は始まって終わる。着地点が最初に用意されることはないのだ。
この書法は、ある種の混沌と無関係ではないだろう。中原はかなり繰り返しはっきりと語っているが、八〇年代、彼は「都会の子」(東京・青山の生まれ)として十代を過ごした。混沌とした、夜のような文化状況があった。そこに首を突っ込んでいた。わけのわからないものが、まだギリギリ残っていた時代だ。混沌を混沌のまま放置しておく余裕が世の中にあった。
中原はそこから吸収したものを、いまでもダイレクトに表出している。できれば混沌を混沌のまま、単調さは延々と単調なまま、表出したいと考えている。だが九〇年代以降、極端な棲み分けが進行し、そうした混沌や単調さは絶滅の危機に瀕している。作風を変えるよう求める人間もいる。こうした状況に敏感な作家はつねに沈黙にさらされる。書かなくなる。中原はそうしたギリギリのところで小説を書いてきた。「書きたくて書いているんじゃないことしか書きたくないことが、どうして、わかってもらえないのか」。悲痛な叫びのような言葉がどうして吐き出されるのか、答えはこの自伝の中にある。

(じんの・としふみ 評論家)

目次

第一夜 気づいたら満州引揚者の息子
ただいま断筆中
だれも歴史を俯瞰できない
「四」
オカルトブームが入ってしまい
放任だけは止めよう
やっぱ「ウイークエンダー」
ホテルニュージャパンに逆噴射
世間は生首と血だらけ
僕の闘争
第二夜 ろくな大人にならない
これ人形じゃん
本当にバカ
筒井康隆とブラック・ユーモア選集
阿久悠は最高!
世界の休業
芸術は金にならん
第三夜 教育なんてまっぴら
人間はただの器
「ピンク・フラミンゴ」の衝撃
暗い人生劇場
死ね、怪獣ども!
わかりやすさが敵
第四夜 どんよりとした十代
二〇一二年世界滅亡説
ゾンビの欲望
自主映画殺人事件
バイトしちゃ、レコード
黒い解放感
はやく人間を止めたい
あ、アレイスター・クロウリーの本だ
第五夜 暴力温泉芸者は高校四年生
ふざけるな! 地デジ
高校四年生
何はなくともSPK
激情に突っ走れない
女衒、女衒、女衒、女衒、女衒……
「暴力温泉芸者」誕生
なぜかメジャー
常に記憶喪失
すべては仕組まれている
暴力温泉芸者≠中原昌也
資本主義の恐怖
第六夜 世間の茶番には勝てん
さらばHMV渋谷
いつの間にやら文筆業
小説は野菜投げ
文学って何の役に立つのか
しょせん金持ちのぼんぼんの趣味
器の上に目ん玉
終章 死んでも何も残さない
真の敵は?
では、消去

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