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抱擁

辻原登/著

1,540円(税込)

発売日:2009/12/21

  • 書籍
  • 電子書籍あり

この美しい少女は、たしかに今、見えるはずのない《誰か》の姿を見ている――。

二・二六事件から間もない、昭和十二年の東京・駒場。前田侯爵邸の小間使として働くことになった十八歳の「わたし」は、五歳の令嬢・緑子の異変に気づく。彼女は、見えるはずのない《誰か》の姿を見ている――。歴史の放つ熱と、虚構が作り出す謎が、濃密に融け合う世界。イギリス古典小説の味わいを合わせ持つ、至高の物語。

書誌情報

読み仮名 ホウヨウ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 144ページ
ISBN 978-4-10-456304-3
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,540円
電子書籍 価格 1,232円
電子書籍 配信開始日 2017/03/10

インタビュー/対談/エッセイ

波 2010年1月号より 【辻原 登『抱擁』刊行記念インタビュー】

辻原登

歴史の熱と言葉が生む「幽霊」
二・二六事件の翌年、昭和十二年の東京・駒場。前田侯爵邸の小間使として働く十八歳の「わたし」は、五歳の令嬢・緑子が、見えるはずのない何かの姿を見ていることに気づく――。歴史と虚構が濃密に絡み合って生まれる魔法のような物語。その創作秘話を著者に聞いた。

  モンゴルの草原で執筆

――最新作『抱擁』は、二・二六事件後の東京を舞台に、前田侯爵邸の小間使となった十八歳の女性が不思議な体験について語る物語です。冒頭から最後の一行まで、一つ一つの部品が隙間なく噛み合っていくのが感じられ、細部の息苦しいまでの鮮明さにも圧倒されました。非常に短い期間で、集中して執筆されたそうですね。
辻原 こういう作品を書いてみたいとはずっと思っていて、おととし(二〇〇七年)ぐらいには構想もできていたんですが、今年の夏にそれを一気に形にしました。八月末から十日間ほど取材で日本を離れ、この作品の大部分はその間に書きました。これだけ集中的に書いて一作完成させるというのは、稀有な体験です。これっきりだと思います。
――モンゴルの草原で執筆されたそうですね。
辻原 そうです。別の小説(「韃靼の馬」)のための取材中に、ろくに景色も見ずに書き進めました。北京から内モンゴル自治区の呼和浩特、黄河沿いにある包頭などへ足を延ばしたんですが、頭の中はずっと昭和十二年の東京・駒場の屋敷。馬に乗っているときも、この『抱擁』の世界のことを考えていました。帰ってきてから取材中の写真を見て「えっ、こんなところにも行ったのか」と気づいたほどです。ああいう日常から遠く隔たった場所というのは、意外に執筆向きの環境だったのかも知れません。
――取材をしながら『抱擁』についても考え、宿泊先で執筆されたということでしょうか。
辻原 いえ、宿泊先でも書きましたが、移動中の車内や屋外でも『抱擁』を書き進めました。丸めた原稿用紙の束とペンを小さなバッグに入れて腰に提げ、ちょくちょく取り出しては立ったまま書いていたんです。

  ジェイムズ「ねじの回転」が出発点

――創作のきっかけを教えていただけますか。
辻原 これは、ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」という作品にインスピレーションを受け、その枠組みを踏まえて書いたものです。五年ほど前に、ジェイムズの長篇をまとめて読む機会があり、これは凄い作家だと興味を持ちました。そして中篇「ねじの回転」には、長篇とはまた違った、特別な魅力を感じたんです。
「ねじの回転」は、言わば「幽霊は出たか、出なかったか」をめぐる作品です。幽霊譚というもの自体は珍しくはなくて、むしろ神話の時代からの物語の基本とも言えるほどです。現実の外側にいるものが現実の中に入ってきたときに、ドラマが起きる。中国なら六朝時代(紀元三~六世紀)にさかんに書かれた志怪小説や唐の伝奇小説、清代の『聊斎志異』というものがあるし、日本のものでは「雨月物語」や「四谷怪談」、ヨーロッパのゴシック・ロマンなど。私自身も幽霊には惹かれるところがあって、一昨年には『円朝芝居噺 夫婦幽霊』という小説も書きました。
ただ、「ねじの回転」の場合、ポイントはむしろ、幽霊そのものよりも「出たかどうかわからない」というところにあるんです。一人称の語り手、つまり「わたし」が考え感じたことを語っているのであって、それが本当に起こったことなのかどうかはわからない。幽霊が出た話、ではなくて、「わたし」が幽霊を見た話、そのことを語っている話、なんです。
――客観的な事実が語られているわけではない、ということでしょうか。
辻原 そうですね。そもそも、幽霊というのは「わたし」が見ることのできない領域に出るものなんです。妄想、ということですね。妄想は言葉にしたときに亢進します。亢進すると、ある時点でぱっと目に見えるようになり、外側にまで滲み出していく。幽霊が出たと「わたし」が思えば他の登場人物も「出たんじゃないか」と思ったりするし、読者もそうです。
初めて「ねじの回転」を読んだときには、それほど面白いとは思わなかったんですよ。でも変な小説だな、と思って何度か読むうちに、語りの構造がすごく面白いと思うようになって、さらに何度も何度も読んだ。そして、一度これを真似してみたいと思ったんです。場所だけを移して、あとはそっくりそのまま、模写してみようと。実は、それを作品として発表しようとは思っていなかったんですよ。
――習作のつもりだった。
辻原 そうです。画家が、たとえばレンブラントの絵を模写するみたいに。そのうちに頭の中で詳細なイメージができあがってきたので、いろんな人に話してみたら、妙に反応が良い。編集のみなさんから「どうしても書いて欲しい」と言われて、逃げられなくなりました。
――かなり詳細な構想をお持ちのようでしたので、まさか発表されるつもりがなかったとは思ってもみませんでした。
辻原 発表するつもりのない、自分のための小説だったからこそ、いくらでも話すことができたんですよ。もし書けたら本当に面白いだろうとは思っていました。でも、実際に書くのは相当つらいだろうとも思った。書き始めたときには、できるかもしれないしできないかもしれない、半々ぐらいの気持ちでした。

  内側と外側が融け合う物語

――若い女性が不思議な体験について語るという枠組みや、大邸宅が舞台になっているところなどは共通していますが、全体としては『抱擁』は「ねじの回転」とはずいぶん印象の違う作品になっていますね。
辻原 習作ではなく誰かに読んでもらうからには、ジェイムズと同じではいけない。むしろ、まるで違ったものにしたいと思いました。それから、「ねじの回転」にはやはり難解なところがあるんですが、自分の小説はもっと楽しんで読んでもらえるようなものにしたいという気持ちもありました。
「ねじの回転」は「わたし」が書きとめた体験を別の人物が語るという婉曲的な構造で、時代や場所の設定もはっきりさせていません。『抱擁』では「わたし」が自らの体験を検事に直接語るという生々しい形にし、時代は二・二六事件の翌年、場所は駒場の前田侯爵邸と、具体的にしました。
――臨場感が強く感じられる設定ですね。
辻原 誰もが知っている具体的な場所、具体的な事件が物語の外側にあって、それが物語内部と絶えず交流する中でものごとが進んでいく、そんな小説にしたいと思いました。
――現実のできごとや人物と創作とが融け合って、特異なリアリティーを持った世界が生まれています。まさに辻原作品ならではの魅力ですね。
辻原 言わばひとつの異空間みたいなものを作っているんです。それは異空間なんだけれど、現実と非常に良く似ている。その空間がぐっとねじれることで、物語に決定的に必要な何かが起こる。そのねじれの具合が、この小説ではかなりうまくいっていると思います。
――時代を二・二六事件のころに設定されたのは、どのような意図からですか。
辻原 屋敷の内部で進行する「幽霊を見たか見なかったか」をめぐる物語に、外側から強力に働きかけてくる現実の力が欲しい。二・二六事件当時の緊迫感というのは、それに相応しいものではないかと感じたんです。この時期は、日本の歴史の中でひとつの重要な変わり目だったと私は思います。
――「幽霊」と対峙しようと決意したときの「わたし」の昂揚感が、クーデターを企てた将校たちの思いと繋がっていく場面は圧巻でした。
辻原 将校たちの思いが「わたし」に憑依するんですね。あの場面は、最初から意図していたものではないんです。詳細な設計図を作ったうえで書き始めるんですが、それでも書いている間に、意外なこと、重要なことが必ず起きる。物語に動かされるんです。
――作品中の言葉を使えば、物語に「possess(ポゼス)された」(取り憑かれた)とも言えますね。
辻原 まさにそのとおりです。物語にポゼスされなければ、こんなふうには書けなかったと思います。この作品はいろいろな意味で、私の何十年かの小説家修業のひとつの結実だと、書き終わってみて思いました。

(つじはら・のぼる 小説家)

書評

波 2010年1月号より
目も眩む美しい絨毯の下絵
鴻巣友季子

 唐突ですが、幽霊はどこに出るでしょう?―― 鬱蒼とした森の奥の城。時計が真夜中を打つと、稲妻が光り甲冑が倒れる。あるいは風の吹きすさぶ荒野を彷徨う霊が、家の窓を叩く……。近代以前の幽霊はそうしたゴシックな道具立てのもとに出現したものである。ところが、時代がくだるにつれ、外界から内界へとその舞台を移す。幽霊、悪鬼、物の怪は、心の中に出るようになった。言いかえれば、化生が心を棲み処としたときに現代文学が始まったのだ。ちなみに、辻原登氏はそこからもう一歩踏みこんで、「幽霊は『私』のいない所に出る。『私』が不在の場所を想うとき、それは出てくるのだ」と、ある文芸論の講義で語っている。
 さて、その氏の新作『抱擁』は、古式ゆかしい正統のゴースト・ストーリーである。時代は昭和十年代、背景には二・二六事件が描かれる。前田利為侯爵邸の地所が、東洋一壮麗な洋館を擁す「駒場コート」として登場し、女学校を出たまだ十代の「わたし」がそこへ小間使としてやってくる。お世話する五歳の「緑子」はたいそう愛らしく一目で虜になるが、じきに緑子の不思議な挙動と眼差しに気づく。何かを目で追い、交流しているように見えるのだ。なんでも、前任者の小間使「ゆきの」が二・二六事件で将校の夫を失い、飛びこみ自殺をしたという。「わたし」は邸付きの米国人家庭教師に相談するが……。
 前作の『許されざる者』は明治の大逆事件に取材しながら、トルストイ、フローベールといった世界文学への暗示に充ちていたが、『抱擁』はどうだろう。まず、小間使、女中、家政婦というのは、オデュッセイアから『嵐が丘』などなど、西洋とくにイギリス文学では重要アイテムである。そして彼女が一家の勝ち気なお嬢様にぞっこん、というのも伝統的な図式だ。『レベッカ』に出てくる女中頭など典型例で、レベッカひとすじ、それで後妻を苛めぬくのである。それから、当時の教養ある女性にとってほぼ唯一の自活手段だったガヴァネス(女家庭教師)という職業。『ジェイン・エア』にも『虚栄の市』にも、それからヘンリー・ジェイムズによる心理小説の傑作『ねじの回転』にも出てくる。と書いた時点で、「あっ」と気づいた方も多いだろう。そう、『抱擁』は『ねじの回転』の驚くべき日本版パスティーシュなのだ! ジェイムズには『絨毯の下絵』という作品があるが、『抱擁』の中にはまさに、イギリス古典文学の目も眩む美しい下絵が隠され、読むうちにそれがさり気なく透かし見える。森の中に建つ館。幼子をどこかへ誘いにくる死んだ元使用人らしき存在。だが、それは語り手にしか見えない。しかも話は彼女の独り語りのみで進行している。そのゴーストは本当にいるのか、彼女の狂気の産物なのか?
 作者は前述の講義でこうも語った。「幽霊が見える見えないは幻覚妄想などの問題ではなく、それを正確に描写する力の有る無しの問題だ」と。なるほど、『ねじの回転』で女中に何も見えないのは、彼女が文盲だからなのだ。「見えません」というのは「読めません」ということなのだ(フランス人の多くは河童には遭遇しないし、日本人の多くはゴブリンは見ないだろう)。ここに、外界と内界の現代文学的な境が鮮やかに示されている。では、これを『抱擁』にも当てはめてみると? あああ、そういうことか!と声をあげてしまった。ちなみに、両作とも最後は抱擁で終わっているのも見逃しがたい。
 面白い小説を分析するのは野暮だが、語り手の「わたし」について。前任者が「ゆきの」と名前で呼ばれているのに、「わたし」のことは誰も名前で呼ばず無名のままというのは、『ねじの回転』と同じだが、「名前は何ていうの?」と訊かれる場面など作りながら名前を明かさない手法は、ちょっと『レベッカ』をも想起させる。また、緑子が想像の中で創りあげるこびとの国はメアリー・ノートンの名作『床下の小人たち』から借りているし、人を誘う美しいハンミョウは、もしや安部公房『砂の女』へのオマージュ、かな?
 まさしく『抱擁』は、文学がmodern periodへ足を踏みだした頃の小説のスリルをみごとに再現している。そうしながら辻原登だけに可能な文学の深い森を創出しているのは言うまでもない。
(こうのす・ゆきこ 翻訳家)

著者プロフィール

辻原登

ツジハラ・ノボル

1945(昭和20)年和歌山県生れ。1990(平成2)年「村の名前」で芥川賞、1999年『翔べ麒麟』で読売文学賞、2000年『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞、2005年『枯葉の中の青い炎』で川端康成文学賞、2011年『闇の奥』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。他に『許されざる者』、『韃靼の馬』、『冬の旅』、『寂しい丘で狩りをする』など著書多数。

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