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笑う森

荻原浩/著

2,420円(税込)

発売日:2024/05/30

  • 書籍
  • 電子書籍あり

神森で行方不明になった5歳児と迷い込んだ4人の男女。拭えない罪を背負う彼らの真実と贖罪。

原生林で5歳のASD児が行方不明になった。1週間後無事に保護されるが「クマさんが助けてくれた」と語るのみで全容を把握できない。バッシングに遭う母のため義弟が懸命に調査し、4人の男女と一緒にいたことは判明するが空白の時間は完全に埋まらない。森での邂逅が導く未来とは。希望と再生に溢れた荻原ワールド真骨頂。

書誌情報

読み仮名 ワラウモリ
装幀 都築まゆ美/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 464ページ
ISBN 978-4-10-468907-1
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,420円
電子書籍 価格 2,420円
電子書籍 配信開始日 2024/05/30

書評

そこにあるのは、“希望”の光

吉田伸子

 あぁ、やっぱり荻原さんの物語には、人間に対する信頼があるんだな。読後、改めてそう思う。
 本書の真ん中にいるのは、神森と呼ばれる小樹海で、一週間行方不明だった五歳児・山崎真人だ。発達障害があり、軽度ではあるが知的障害もある。そんな真人が、何故、樹海で生き延びることができたのか。物語はその謎を中心に回っていく。
 実は、真人が行方不明になっていた同じ時期、神森に足を踏み入れた人間がいた。死体を遺棄しにやって来た美那、「タクマのあくまで原始キャンプ」というユーチューブチャンネルでソロキャンプを配信している戸村拓馬、組の上納金を盗み、逃走中の谷島、そして神森を死場所と定めた畠山理実。たまたま神森にやって来た四人は、図らずもそれぞれに真人と遭遇していた。
 彼らがどうやって真人と接点を持ったのか。それを明かしていくのが、真人の母・岬と、亡くなった真人の父の弟であり、岬には義弟にあたる保育士の冬也だ。ただでさえ五歳児という幼さに加え、発達障害のある真人から、具体的なことを聞き出すのは難しい。それでも、樹海から生還後の真人の言動をつなぎ合わせたり、自らも樹海へ足を運び、真人視線で現場を確認したりすることで、冬也は少しずつ“真人の空白の一週間”の真実に近づいていく。
 巧いな、と思うのは、美那、拓馬、谷島、理実それぞれのドラマの描き方だ。美那が殺めたのは、交際相手の一也で、突発的な事故のようなものだった。別れ話を切り出された時、たまたま美那が持っていたのが柳刃包丁で、勢いで刃を向けたところ、相手が殴ろうとする気配を感じて、思わず腕を前に突き出してしまったのだ。あっけなく死んでしまった一也を、ホームセンターで買った布団袋に押し込み、同じくホームセンターで買った台車とシャベルを持って、神森に。この美那のキャラがね、どう読んでもお馬鹿キャラなんだけど、彼女の調子っぱずれな感じが、可笑しいんだけど、切なくもある。
 拓馬も拓馬で、お調子者というか、三十六歳で売れないユーチューバーというだけで、お察しな感じだ。ちなみに、ユーチューバーは四つ目の転職先である。「道具や食材は最低限のものしか用意せず、極力、山の中のものを利用する」ことを売りにしてはいるものの、その実は、編集でうまく誤魔化している“なんちゃって”ソロキャン。火起こしだけは本格的な「縄文式」でやっているが、それとて途中からカメラを止めてライターで着火。おい、世の中舐めてんのか、と突っ込みつつ読んでいくと、拓馬にも拓馬の、ここに至るまでの不運と挫折があることがわかる。なんというか、今どきあるある、な拓馬の在り方は、妙にリアルだ。
 谷島は谷島で、どうして組の上納金に手を出してしまったのかといえば、偏に心臓に病を抱え、移植手術が必要な一人娘のためだ。フィリピーナの妻からは離婚を言い渡されているが、娘を助けるための、この金さえ届けられれば、自分の身はどうなろうとかまわない、と腹を括っている。その背景があるから、読んでいるこちらまで、逃げろ、谷島、なんとか逃げ延びろ! と思ってしまう。
 理実は、担任している中学校のクラスで、生徒からいじめを受けているばかりか、周りの教職員からもハブられるわ、クラスの保護者にモンペがいて、もう渡る世間は鬼だらけ、の状態。命を終わらせたくなるのもむべなるかな、なのだけど、この理実、ビミョーに自意識過剰系で、ピントがずれている感じがまたなんとも。
 ともすればヘビーになりそうなこの四人を描き出す荻原さんの筆の塩梅が絶妙で読ませるのだが、それに並行して、真人が行方不明になったことで、ネット上で岬を手酷く中傷する書き込みのうち、とりわけ悪質な投稿者二人を冬也が拓馬の協力のもと、特定していくあたりも読ませる。
 随所にちりばめられている、思わず吹き出してしまうようなディテール(過去、あることを機にボクシングを始めた岬のリングネームとか、死を決意した理実が、折しも紅葉の季節なので、「そうだ、冥土行こう。」と思うところ、等々)も効いている。
 何よりも素晴らしいのは、樹海で真人と出会った四人に起こる変化だ。そこにあるのは、荻原さんが見せてくれる“希望”の光だ。ささやかではあるが、強い光だ。
 四百頁を超える長編だが、読み始めると一気。読み終えた後、世界がほんの少し優しく思える一冊だ。

(よしだ・のぶこ 書評家)

波 2024年6月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

荻原浩

オギワラ・ヒロシ

1956(昭和31)年、埼玉県生れ。成城大学経済学部卒。広告制作会社勤務を経て、フリーのコピーライターに。1997(平成9)年『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2005年『明日の記憶』で山本周五郎賞を、2014年『二千七百の夏と冬』で山田風太郎賞受賞を、2016年『海の見える理髪店』で直木三十五賞を受賞。著作に『ハードボイルド・エッグ』『神様からひと言』『僕たちの戦争』『さよならバースディ』『あの日にドライブ』『押入れのちよ』『四度目の氷河期』『愛しの座敷わらし』『ちょいな人々』『オイアウエ漂流記』『砂の王国』『月の上の観覧車』『誰にも書ける一冊の本』『幸せになる百通りの方法』『家族写真』『冷蔵庫を抱きしめて』『金魚姫』『ギブ・ミー・ア・チャンス』など多数。

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