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出会いはいつも八月

ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 、旦敬介/訳

2,420円(税込)

発売日:2024/03/27

  • 書籍

この島で、母の死を癒してくれる男に抱かれたい。束の間、夫を忘れて。

音楽家の優しい夫と、二人の子宝にもめぐまれ何不自由ない結婚生活をおくるアナ。毎年、母親が埋葬されているカリブ海の島へ出かけるアナだが、人知れず、現地の男と一夜限りの関係を結ぶことを心待ちにしていた。刹那的な関係に心身を燃やすアナが出会った男たちとは――。ノーベル文学賞作家が最期まで情熱を注いだ未完の傑作。

目次
はじめに
出会いはいつも八月
オリジナル原稿
編者付記
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 デアイハイツモハチガツ
装幀 Silvia Bachli 83.4:without title, 1983, “LIDSCHLAG How It Looks”, Lars Muller Publishers, 2004 through WATARI-UM/Drawing、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 128ページ
ISBN 978-4-10-509021-0
C-CODE 0097
定価 2,420円

書評

グラジオラスの花束と共に

小池真理子

 私のガルシア=マルケス初体験は遅い。初めて読んだのは、八十七歳で没した彼の、いわば最後の作品となった『わが悲しき娼婦たちの思い出』である。2006年、新潮社で日本語訳が刊行された直後、なぜか読みたくてたまらなくなり、書店に走って買い求めた。電車の中で読み始めたのだが、やめられなくなって困った。
 言わずと知れたラテンアメリカを代表するノーベル文学賞作家である。それまで、ラテンアメリカに関する私の知識はあまりにも貧困すぎた。暑さも熱気も、嵐の凄まじさや獰猛な動植物たち、さらに言えば、昂ぶっても絶望しても、嘆いてもはしゃいでも、いつだって命のほむらが燃え立っているとしか思えない、その国民性に至るまで、アジアのおとなしい小さな島国から見れば圧倒されることばかり。若いころから親しみ、なじんできた欧米の小説や物語とは、何もかもが異なっているとしか思えない。ただそれだけの理由で、長い間、ガルシア=マルケスという作家を敬遠していたことを深く羞じたのもその時だった。
 以後、彼の代表作『百年の孤独』(身近な友人知人に、面白い物語を読ませたい、という理由だけで書いたという長編。世間の小難しい文学批評など吹き飛ばしてしまうほどのスケールで描かれた、勇壮で芳醇な人間ドラマ)、『コレラの時代の愛』(奇妙なタイトルだが、五十年以上にわたる長い歳月、たった一人の女性に恋い焦がれ、待ち続けた男の物語)などの長編のほか、傑作中編として名高い『大佐に手紙は来ない』、若いころに書かれた幻想的な短編『青い犬の目』等々を読むようになった。読めば読むほど、この作家に惹かれていった。
 彼の小説は長編短編を問わず、おしなべて桁外れに面白い。そうとしか言いようがない。語りにつられて読み進めていくうちに、ページをめくる手が止まらなくなる。映像が浮かび上がる。音が聞こえてくる。においが漂う。頭の中のスクリーンで、毎度、ガルシア=マルケス原作の映画が勝手に上映されるのである。
 人生の闇をどれほど複雑に深刻に描いていても、どこかしら開けっぴろげで明るい印象がある。生きることを肯定する、理屈のいらない天性の明るさ。それは彼が生まれたカリブの土地の気質そのものであるような気もする。
 子ども時代、彼はケルト系生まれの祖母から、連日のように謎めいた神秘的な民話や幻想的な言い伝えの数々を聞かされ続けていた。その影響は計り知れない。
 死者が平然と彼岸から戻ってくる。主人公は説明のつかない直感や予知能力を働かせて、ふしぎな体験をする。こんなことはあり得ないだろう、と思われるようなことでも、彼の生み出す物語はきわめて現実的であり、どこかでこのようなことが実際に起こっている、と感じさせる。読者は我知らず、物語の宇宙に誘われ、のめりこみ、現実と虚構の境目がおぼろになっていく。カリブ的気質とケルトふうの神話が溶け合い、シャッフルされて、ガルシア=マルケスの世界が生まれたのだと思う。
 この天才的な物語の魔術師は、2010年ころから記憶力の減退を呈するようになった。認知症である。老いは誰にでもやってくる。ガルシア=マルケスにすら。改めてそのことを思い知らされる。
 そのため、『わが悲しき娼婦たちの思い出』の次に発表されるはずだった本作、中編小説の『出会いはいつも八月』は、未完のままの状態で放置されることになった。
 未完、ということの意味は定かではない。筆が途中までしか進んでおらず、ラストシーンに至ることができなかった、ということなのか。それとも、一応は予定通り、最後まで書き上げはしたものの、全体として入念な推敲がされていない、という意味なのか。
 いずれにしても、作家当人はすでにこの世のものではないのだから、出版の了解を得ることはできない。しかし、その完成度の高さから、捨ておくにはしのびないとして、遺族が出版に踏み切ったのだという。
 作家亡きあと、新たな遺作が出版されたケースはこれまでなかったわけではないが、たいそう珍しいことである。文字通り、最後の作品だからこそ遺作と呼べるのであり、第二第三の遺作、というのは理屈上、あり得ない。何よりも、作家は自分の死後、満足な推敲もできていない作品が許可なく出版されることを決して望まないはずなのだ。
 だが、遺族や関係者らにとって、この『出会いはいつも八月』は、たとえ故人への礼を失することになったのだとしても、読者に届けなければならない作品だった。ガルシア=マルケスは認知能力が損なわれていたからこそ、自身が書いた本作の真の魅力がわからなくなってしまったが、実はこの作品には、往年の語りくちがそっくりそのまま息づいていて、何ら遜色がない、というわけである。本作を読み、私も改めてつくづく、記憶障害とはいったい何なのか、認知症は作家にとって何ほどの影響も与えないではないか、と思った。ここには何ひとつ衰えていない、あのガルシア=マルケスがいる。
 主人公は、アナ・マグダレーナ・バッハという名の、四十代後半になる教養豊かな女性。指揮者マエストロとしても活躍中の、たいそう魅力的な音楽家の夫との間には、息子と娘が一人ずつ。夫婦関係はきわめて良好で、何年たっても恋人同士のような情熱的な性愛を交わし合っている。
 そんなアナは、毎年八月になると、カリブの島の高台に埋葬されている母の墓にグラジオラスの花束を供えるため、一人で連絡船に乗って出かけて行く。鳴き交わす賑やかな鳥の声に囲まれ、鬱蒼とした原生林や黄金色のビーチを見下ろせる「世界で唯一の場所」での墓参を終えると、定宿にしている古いホテルで寛ぐ。ベッドに寝ころがって、持参した読みかけの小説を読み、着替えてからホテル内のレストランで簡単な夕食をすませる。そしてゆっくり眠った翌朝はもう、帰りの連絡船に乗り、帰路に着く。
 恵まれた家庭生活、これといった不満のない人生を送っていながら、それは彼女にとって、独りになる快適さを味わえる、夫公認の一泊旅行だった。
 ある年の夏、アナは夜遅く、ホテルでの遅い夕食のあと、ドビュッシーの「月の光」を弾き始めたピアノ伴奏家の横で歌う、混血ムラータの少女の歌に心揺さぶられ、めったにないことだったが、ジンのソーダ割を注文した。すっかり陽気な気分になり、同じく一人で席に座っていた男と会話を交わした。たちまち親しくなり、気がつくと彼女は自分の部屋に男を招き入れ、ベッドを共にしていた。夫以外、男を知らなかった彼女が、生まれて初めて体験した秘密の冒険だった。
 それ以後、アナは毎年、八月になると、母の墓参を名目に島を訪れ、自分でも滑稽なほど興奮しながら、一夜限りの相手を探すようになる。だが、母の墓に向かって秘密の情事を告白する彼女の中に、自分でもどうすることもできない変化が起こり始める。当然、夫にも気づかれる。夫婦の間には不穏な空気が流れ……といった具合に物語は進められていく。
 よくある不倫ドラマのごとき展開、などと、したり顔で評する者がいるのだとしたら、それはガルシア=マルケスが生前、嫌っていた西欧の知識人特有の通俗的な感想と言うほかはない。青く続く浅瀬ラグーンが見渡せる古いホテル、天井でけだるく回り続ける扇風機、夕暮れの暑さの中、滴り落ちてくる汗、墓地の藪の奥から姿を現すイグアナ、焼けついた砂とバナナの木々など、貧困と富とが同居しているカリブの島が、文字を通して脳内で鮮やかに映像化される。男と女が一夜限りで睦み合う時の、シーツにしみこんだ汗のにおいを嗅ぎとる。読者は現実なのか、一篇の官能的な散文詩なのかわからない物語の中で、知らずアナと同化していく。
 作中、グラジオラスの花がたびたび登場するが、色については言及されていない。この作家は黄色が大好きで、黄色い花が室内に飾られているだけで、何かいいことが起こる、と信じていたというが、このグラジオラスも黄色だったのか。
 ちなみに思いたってグラジオラスの花言葉を調べてみた。「密会」「禁断の逢瀬」「忍び逢い」などといった言葉が並び、ひょっとすると、作家はこのことを知っていて、小説にグラジオラスを使うという酔狂なことをしたのかもしれない、と楽しい想像をめぐらせた。
 主人公の名前……アナ・マグダレーナ・バッハ、というのも、音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハの二度目の妻と同名である。推測の域を出ないが、主人公の父、夫、義父母、さらには長男を成功した音楽家に設定したためではないか、と考えられる。
 物語を芸術の域にまで高めた、この偉大な作家は、人生の終わりに認知症と闘いつつも、カリブふうの茶目っ気のある遊びを見せてくれている。生前のガルシア=マルケスの魅力を何ひとつ損なうことなく、ここにきてまた一つ、心躍る「遺作」が誕生した。

(こいけ・まりこ 作家)

波 2024年4月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

最晩年の新しい冒険

旦敬介

『出会いはいつも八月』は、コロンビアのカリブ海地方で生まれ、2014年にメキシコ・シティで没した作家ガルシア=マルケスの最後の作品と、とりあえずは呼べる。作者が認知症によって執筆できなくなる直前の時期に書いていたという作品で、時期的には、『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書きあげた直後から2004年にかけて取り組んでいたようである。前半はいかにもガルシア=マルケス的な表現の多い作品としてしっかり書かれているのに対して、後半に行くにつれて、徐々に時間軸の矛盾や、人物造形の乱れなど、不完全な部分が目立つようになっていく。いちおう最後まで書かれて、結末はあるものの、最終的には作家自身がボツにしたものであるため、未完成に終わった作品と見なすのが順当な文書である。しかし、途中までは、かなり乗り気でOKを出していた。
 最終章にはとくに、さまざまな要素が説明不足のまま放りこまれているような乱雑さが感じられ、それゆえ、かえってガルシア=マルケスが作品をどのように彫琢して磨きあげていっていたのか、その途中の形態を覗くことができるような面白さがある。つまり、少なくとも晩年の彼は、作品の全体を均一に書きあげていたのではなく、書きこむ予定の要素やイメージを、部品のようにとりあえず放りこんだものを忘備録的に書いておいて、最初のほうから、章単位で完成形へともっていくような方法をとっていたことがうかがえるのだ。そのような意味で、この本は全集に収められて他の作品と同列に読まれるべきものというよりも、作者の手法を読みとる文学的ドキュメントとしての側面が強いといえる。
 しかし、ガルシア=マルケスの作品の中で、めずらしい特徴をそなえているものとして評価すべき面もあり、晩年の彼が新しい挑戦をしていたこともうかがえるのである。ひとつには、はっきりと現代を舞台にしている点だ。ガルシア=マルケス的な世界といえば、ラテンアメリカのどこの国だかはっきりとはわからない場所、そして、いつのことだかよくわからないが、読者の現代と同時代ではないことがはっきりしている時代背景というのが広く見られる特徴だった。それが神話的な時間と言われたりして広く評価されたものである一方、私はそれを彼の空想の中にだけ存在する無時間的な世界と呼んで、批判的にとらえてきた。問題の多い現代のラテンアメリカ社会から目をそらして逃げる方法という面があったからだ。しかし、この作品では明らかに、ガラス張りの高層ホテルが毎年建築されていく現代のカリブ海のリゾート地が舞台に設定されている。
 もうひとつの新しい特徴は、老人の世界が扱われていないことだ。これもまた初期の作品から彼の妄執だったもので、祖父をモデルとするブエンディーア大佐というキャラクターを獲得して、それで評価を得たことによって、その世界からなかなか逃れられなくなってしまった面があるのである。ところが本作では、魅力的な四十代の女性が中心に据えられ、その娘を通じて現代の若者世界までもが視野に入ってきている。若者世界の面はあまりうまく書かれていないのだが、これはやはり八十歳になろうとしていた作家にとっては大きな冒険だったからだろう。
 ラテンアメリカにおいてガルシア=マルケスは、『百年の孤独』が高校での必読図書とされるなどして神格化されたが、その一方、以後の世代からは目の敵にされた面もあった。ラテンアメリカの作家が国外で出版されるためには、商業的に「魔術的リアリズム」と名づけられた彼の手法(先に述べた無時間的な世界や老人の世界はそれと密接にかかわっていた)を踏襲することが期待され、自分たちにとってもっと切実な主題や方法に取り組む妨げになったからだ。また、『百年の孤独』という題名があまりに名高くなって陳腐化したため、スペイン語の作家は「孤独」という単語を使えなくなったというほどなのである。「百」と書けば予測変換によって「百年」や「百年の孤独」と出てくるので、「百」とすら書きたくなくなったと言った作家もいた。
 そのような大作家が、作家としての人生のいちばん最後の時期に、自分を更新して、自分に新しい挑戦を課していたというのは、勇気づけられる知らせではある。

本書「訳者あとがき」より構成しました。

(だん・けいすけ 作家/翻訳家/明治大学教授)

波 2024年3月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

(1927-2014)1927年コロンビアの小さな町アラカタカに生まれる。ボゴタ大学法学部中退。自由派の新聞「エル・エスペクタドル」の記者となり、1955年初めてヨーロッパを訪れ、ジュネーブ、ローマ、パリと各地を転々とする。1955年処女作『落葉』を出版。1959 年、カストロ政権の機関紙の編集に携わり健筆をふるう。1967年『百年の孤独』を発表、空前のベストセラーとなる。以後『族長の秋』(1975年)、『予告された殺人の記録』(1981年)、『コレラの時代の愛』(1985年)、『迷宮の将軍』(1989年)、『十二の遍歴の物語』(1992年)、『愛その他の悪霊について』(1994年)など次々と意欲作を刊行。1982年度ノーベル文学賞を受賞。

旦敬介

ダン・ケイスケ

作家/翻訳家/明治大学教授。

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