土曜日
2,420円(税込)
発売日:2007/12/20
- 書籍
別格の地位を誇る英文学界の手練れマキューアンが贈る最新作、全英ベストセラー。
突発的なテロ、見知らぬ若者の激発、親友との仲違い。なにが起こっても起こらなくとも不思議ではないその日、ヘンリーの周囲は危機の予兆に満ちていた。そう、世界はあの日以来変容してしまったから――。果たして安息の日曜日は訪れるのか。名匠が優美極まる手つきで鮮やかに切り取る現代ロンドンの一日、ブッカー賞候補作。
書誌情報
読み仮名 | ドヨウビ |
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シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 352ページ |
ISBN | 978-4-10-590063-2 |
C-CODE | 0397 |
ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
定価 | 2,420円 |
書評
波 2008年1月号より 小説嫌いのための小説 イアン・マキューアン『土曜日』
その意味で、イアン・マキューアンの『土曜日』に出てくる脳神経外科医ヘンリー・ペロウンは、小説の中で描かれることがきわめて稀な主人公だ。なぜなら、彼は積極的に文学嫌い、小説嫌いというキャラクターだからである。ペロウンは、「お父さんの驚くべき無知」を矯正しようとする、詩人としてデビューしたばかりの娘のデイジーから、おすすめの小説を次々と読まされてはいるが、なにしろ医学書以外の本を読んだことがない。どだい、文学が専売特許のような顔をして描く「死」など、日常的に目にしているので、それをわざわざ本で読もうという気が起こらない。自宅に書斎を持っていて、そこで世界文学の傑作をゆったりとした気分で読むのも悪くはないなと想像するものの、さてそれでは何を読むかと考えると、具体的な作品が浮かんでこない。
娘に言われて読んでみた作品についても、ペロウンの反応は芳しくない。ヘンリー・ジェイムズの『メイジーの知ったこと』はもってまわった言い回しに辟易して途中でさじを投げたし、『デイジー・ミラー』にしてもそれを読んでどんな結論を出していいのかわからない。『アンナ・カレーニナ』や『ボヴァリー夫人』ですら、その細部描写に感銘を受けることはなかった。もっとひどいのはいわゆるマジック・リアリストたちの小説で、彼には一冊も読み通すことができなかったという。これでは娘による文学教育も実を結ぶことはないな、と『土曜日』の読者であるわたしはやれやれという気分になる。しかし、その一方で、現在の世界じたいがじゅうぶん奇妙なのに、なぜわざわざ架空の世界を作り上げる必要があるのか、というペロウンの小説に対する根本的な懐疑に、ある程度うなずかされるものがあることを認めざるをえない。
とはいえ、そういう小説嫌いの主人公を、マキューアンは小説で書いている。だとするならば、小説あるいは文学というペロウンにとっては無用のものを、なんらかの形で肯定する瞬間が訪れるのではないか。『土曜日』の読者は、そのようなかすかな予感を持って読み進めることになる。
その契機となるのは、認知症の母親リリアンがとりとめもなく語る内容が、ジェイン・オースティンの小説に出てくる話題と同質のものだ、とペロウンが気づくときである。そのときに、母親はけっして愚かでもなく、不運な人生を送ったわけでもない、とペロウンには見えてくる。さらに決定的な出来事は、言うまでもなく、『土曜日』のクライマックスを成す恐怖の事件であり、そこでペロウンはまったく思いがけない形で文字どおりに文学によって命を救われる。
彼の命を救ったのは、他でもない、人間が持つ「生への執着」である。それは本人も気づいていない、弱さなのだろう。ペロウンにとっては「人間的な欠陥が多すぎ」ると見えた文学が、むしろそれゆえに意味を持つことになる。『土曜日』が小さくはあるがたしかな声で語っているのは、そのような文学の苦い肯定なのである。
インタビュー/対談/エッセイ
波 2008年1月号より 刊行記念インタビュー イアン・マキューアン『土曜日』
『アムステルダム』『贖罪』(いずれも新潮社)とベストセラーを連発し、新作『土曜日』も英国で大ヒットを記録した小説家イアン・マキューアンは、『土曜日』の主人公の脳神経外科医ヘンリー・ペロウンと同じく、ロンドンの中心部、テレコム・タワーの近くに居を構えている。また、『土曜日』の原書の裏表紙にはペロウンらしき人物がシルエットで映っているが、シルエットの髪型はいささかマキューアンを思わせる。筆者が原書刊行後しばらくしてインタビューしたマキューアン本人も、体格こそ長身のペロウンと違うものの、穏やかで愛想がよくて知的な物腰は共通している。くつろいだ表情は、一般に流布されている著者写真の険しげな顔つきとはだいぶ違う。
我々の会話は、前作『贖罪』から始まって、フィクション一般に及んだ。筆者が、日本語の「架空」という言葉には「虚無の上に築かれたもの」という意味があると言うとマキューアンが興味を示して筆者に漢字で書かせたりしたあと、話題は『土曜日』へ向かう。
――『土曜日』は『贖罪』とはまったく異なったタイプのプロット、文体、そして雰囲気を持っていますね。『贖罪』では作家が主人公でしたが、『土曜日』の主人公は文学嫌いで、彼があなた自身の過去の小説を批判する場面さえある。
ポール・オースターやアンジェラ・カーターなどの「マジック・リアリスト」たちの作品を娘に読まされた主人公が、苛立ちを覚える場面ですね。あそこは、自分も入れておかないと不公平に思えて(笑)。ですが、『土曜日』の語りの調子がマジック・リアリズムとまったく相容れないものであるのは確かです。これはソール・ベローのいわゆる「アクチュアルなもの」、リアルな日常生活に捧げられた小説ですから。
――主人公のヘンリー・ペロウンは脳神経外科医ですが、そのような職業の人物を選ばれた理由は?
医者を主人公にしたいという思いが先にあったわけではないんです。『贖罪』という、過去を舞台にした小説を書き終えつつあった頃の私は、この次には現代の小説を書きたいと考えていました。それも、舞台が現代であるだけでなく、現代について考察する小説を。九・一一のテロ事件以降、現代は以前に増して切実な恐ろしさを帯び始めました。
私に『土曜日』を書かせたより具体的な要因としては、私が抱いた二つの望みを挙げることができます。オクスフォードからロンドンのこの家に引っ越したのがきっかけで、私はロンドンという街を舞台に、フィクションと現実の日常生活を融合させた小説を書きたくなった。そしてまた私は、仕事についての小説を書きたいと思っていました。仕事というのは人生を左右するもっとも大きな要素であり、人のアイデンティティを決定するものなのですから。
――『サロン・ドット・コム 現代英語作家ガイド』(研究社)にも、「9時から5時まで 仕事の小説」というエッセイを寄稿していらっしゃいますね。
あっ、そうか。あのエッセイのことはすっかり忘れていたのですが、そう言われると、あれを書いたのは『土曜日』の構想が浮かんできた頃のはずです。私は現代小説が仕事というものに眼を向けないことが残念だった。昔は、キプリングやコンラッドやヘミングウェイのように、人々の仕事を見事に描き出せる小説家がいたのですがね。ところが、モダニズムの大勢は、いわゆる「意識の流れ」を描こうとするあまり、仕事のような日常的リアリティを意識から切り離してしまった。
『土曜日』において私が試みたのは、宗教抜きに、だが宗教と同じくらいの豊かさでもって我々の日常生活を擁護するということができる人物を描くことでした。作中にも使ったダーウィンの言葉で言えば、「崇高なものがある世界観」を抱いている人物ですね。そして、意識という豊かなものが脳という物質の産物であるならば、脳そのものを扱うことを仕事にしている人間を主人公にしてもいいのじゃないかと考えたわけです。
この小説の最後に大きな手術の場面が来るのは、最初から決まっていました。仕事の小説を書きたいという漠然とした望みを抱いていた段階で考えたことなのですが、仕事において最良の瞬間とは、人の意識がすべて仕事に集中される瞬間ではないでしょうか。時間の感覚も、欲望も、自分のアイデンティティも消え去り、そこにあるのは仕事そのものだけ。脳神経外科医には、きわめて要求の高い仕事の性質上、そうした瞬間が常人よりも頻繁に訪れるようです。
――手術室の外でのヘンリー・ペロウンの生活は、金銭的にも、家庭的にも不満がないし、性格や人間関係の上でも彼は目立った問題を抱えていませんね。これは、小説の主人公としては珍しいのでは?
それは、ペロウンが家族や周囲の人間たちとの関係にわずらわされず、現代世界について自由に思いを馳せることができるようにするための設定です。ただし、彼の人格にも欠点がないわけではない。彼が文学や小説に無理解な人間だということですね。『土曜日』は、小説にしかできないやり方でペロウンの生活を描き出しているわけですが、当のペロウンは小説というものをさっぱり分かっていない。
――そこの皮肉は、『土曜日』の文章にある種のユーモアを与えていますね。
しかしそれは、逆説的な意味合いで『土曜日』をよりリアルなものにするためのものでもあります。読者に「これは小説なんだ」と感じさせないための。
――「仕事の小説」といえば、あなたの『アムステルダム』も、ある意味で「仕事の小説」ですね。しかし、小説全体の効果において、主人公である編集長と作曲家の「仕事」ぶりは、きわめて突き放した形で描かれている。あの編集長や作曲家を、少なくともある程度は好意的に描かれている『土曜日』のヘンリー・ペロウンと分かつものは何でしょうか?
ペロウンが私と共通の要素をたくさん持った人間であることでしょうか。家庭での生活のディテールや、ものの考え方など。ただし私は、過度に共感を呼ぶ人物としてペロウンを造形したくはありませんでした。ペロウンが米英軍のイラク進攻について抱いているアンビバレンスなどは、多くの読者には受け入れられないでしょう。とりわけ、文学好きの読者には。
もっとも、ペロウンが妻子を愛する人間であり、彼の妻が不倫をしておらず、子供たちが麻薬中毒でないからという理由で『土曜日』が好きになれないという反応をする読者――特に批評家――は、ちょっと軽率ではないかという気がします。小説は社会調査とは違うのであって、個々の平凡な人間の生活を興味深く描かなければならないのですから。
――しかし、『土曜日』の重要な登場人物であるストリート・ギャングのバクスターは、その文脈で言うと異質ではありませんか? 彼は、きわめて極端な要素だけで構成されている人物のように思えるのですが。
まあ、バクスターは人格の崩壊した人間ですから。彼の役割は、理性というものの限界を我々に突きつけることにあるわけです。
――精神の崩壊というテーマは、『愛の続き』(新潮社)『アムステルダム』『贖罪』『土曜日』と、あなたの最近の作品に、執拗なまでに繰り返して姿を見せますね。
私は、意識とは人間が持っている最大の贈り物(ギフト)だと思っています。この「ギフト」という言葉は宗教的な意味合いで使っているわけではなくて、ある意味『土曜日』はきわめて反宗教的な書物だと思うのですが、それにしても、精神が崩壊することへの恐怖を私は人一倍抱いていると思います。同時にまた、精神の崩壊・狂気の行動という題材は、「狂信的に死をあがめる思想に直面したときにリベラル・デモクラシーは何ができるのか」という、この小説の背後にある問題にもつながっていくのでしょう。
短評
- ▼Tadashi Wakashima 若島正
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土曜の一日、優秀な脳神経外科医として幸せな生活を送っている男に、さまざまな想念が去来する。グローバルなテロの脅威から、国内の政情、さらには妻や子供たちのこと、認知症を患う母親のこと……。彼の心理にこっそりと忍び込み、やがては具体的なかたちとなって目の前に現れてくる恐怖を、マキューアンはあざやかな筆致で描き出す。そのデリケートな指先は、不安に満ちた現在の世界に生きる人間の病巣を、的確に探り当てているのだ。
- ▼Anita Brookner アニータ・ブルックナー
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小説のお手本。読者の心を奪い、最後まで引っ張ってゆく。間違いなくマキューアンのベスト。
- ▼The Times タイムズ
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幸福というものの脆さ、幸福を脅かすあらゆる脅威に対する美しいまでに鋭敏な感覚。現代人必読の書だ。芸術的達成、倫理観、政治観の全てにおいて、この作品は卓越している。
- ▼Michiko Kakutani ミチコ・カクタニ[ニューヨーク・タイムズ]
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9.11以後を扱った小説の中でもっとも力強い作品。
- ▼Sunday Times サンデー・タイムズ
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無類の正確さを誇り、複雑で、サスペンスに満ち、思索的でしかも温かい。やはり、マキューアンは彼の同世代を代表する小説家だ。
- ▼The Daily Telegraph デイリー・テレグラフ
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豊饒な小説。官能的で、しかも深い。
著者プロフィール
イアン・マキューアン
McEwan,Ian
1948年、英国ハンプシャー生まれ。シンガポール、トリポリなどで少年時代を過ごす。イースト・アングリア大学創作科で修士号を取得後、第一短篇集『最初の恋、最後の儀式』(1975)でサマセット・モーム賞を受賞。『アムステルダム』(1998)でブッカー賞受賞。『贖罪』(2001)で全米批評家協会賞など多数の賞を受賞。2011年、エルサレム賞受賞。現代イギリスを代表する作家のひとり。他の作品に『初夜』『ソーラー』『甘美なる作戦』『未成年』『憂鬱な10か月』など。
小山太一
コヤマ・タイチ
1974年、京都生れ。ケント大学(英国)大学院修了。立教大学教授。マキューアン『愛の続き』『アムステルダム』『贖罪』『土曜日』、ピンチョン『V.』(共訳)、オースティン『自負と偏見』、ジェローム『ボートの三人男』など、訳書多数。