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善き女の愛

アリス・マンロー/著 、小竹由美子/訳

2,640円(税込)

発売日:2014/12/22

  • 書籍

昨年度ノーベル文学賞に輝いたマンローの円熟期の傑作短篇集。

独身の善良な訪問看護婦が元同級生に寄せる淡い思いと、死にゆくその妻。三者の心理的駆け引きをスリリングに描くO・ヘンリー賞受賞の表題作ほか、母と娘、夫と妻、嫁と小姑など、誰にも覚えのある家族間の出来事を見事なドラマとして描きだす、マンローの筆が冴える金字塔的短篇集。1998年度全米批評家協会賞受賞作。

目次
善き女の愛
ジャカルタ
コルテス島
セイヴ・ザ・リーパー
子供たちは渡さない
腐るほど金持ち
変化が起こるまえ
母の夢
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 ヨキオンナノアイ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 448ページ
ISBN 978-4-10-590114-1
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,640円

書評

波 2015年1月号より 時間の酸をくぐって

加藤典洋

表題作は「善き女の愛」。「善き女」とはどういう人か。
主人公のイーニドは思う。あの人を説得しよう。ボートに誘うのだ。そしてボートが十分に深いところまで来たら、私が泳げないことを断る。その上で、あの人に、あのことが本当なのかどうか尋ねる。そしてもし本当なら、私は口外しない、黙っているけれども、「あなたは言わなくちゃ」という。なぜなら、「そんな重荷を背負ってこの世で生きていくことはできない」、そんなことをしたら「自分の人生に耐えられなくなる」からだ。そしてもし、そこまでいっても、誰一人見ていないボートの上で、あの人が私の尋ねたことを否定せず、また私を川へ突き落とすこともしないのなら、私は賭けに勝ったことになる。さあ、このままボートを岸に漕ぎ戻せと、私はあの人にいうだろう。
作品の終わり近く、この小説のこんなくだりに来て、読者である私はどきりとする。訳者小竹由美子さんも、そうだったのではないか。
准看護婦のイーニドの想像は続く。二人は岸に上がる。彼女は別れの挨拶をする。その後、彼は庭を横切って家に戻る。翌日自宅で待っていると彼女に警察から電話が来る。そして彼女は刑務所まで彼に面会にいく。
「毎日、あるいは許可してもらえる限りの頻度で、刑務所で、座って彼と話をする。それに手紙も書く。もし彼がべつの刑務所へ移されたら、彼女もそこへ行く。たとえ面会は月に一度しか許されなくとも、近くにいるのだ」。
読めばわかるように、ここにあるのはほとんどドストエフスキーの『罪と罰』の終盤、殺人者ラスコーリニコフをシベリヤの流刑地に行けと促す、元娼婦ソーニャの呟きそのものだからである。
しかしこの小説は、そこまでを想像し、準備し、そして実際に岸辺の写真を撮りたいからという口実でボートで河のなかばまで連れていってほしいとイーニドが男に頼み、男が肯い、二人が岸辺に降りる、するとボートが見えてくる。その場面で終わる。
その先がどうなったか。その一端は、このときから「数十年」過ぎたこの町の博物館の様子を記す作品の冒頭に、印象深く、でもわずかに語られるだけである。
これまで二〇一三年のノーベル賞受賞作家としか知らなかったアリス・マンローの作品を、はじめて読んだ。いま日本の文芸誌に載っている中短編の作品にもこういうものがあるのだろうかと思う。フラナリー・オコーナー、カーソン・マッカラーズ。また少し色あいが違うけれども、イサク・ディーネセン。そんな名前が思い出されるけれども、これら異才の女性の小説家たちとも違う、一種独特の感じがある。
この人の小説を読むと、いま書かれている小説の多くが、肌のすべすべした、感じやすくて清新、かつ疑いを知らない、若い男女の物語であることがわかる。一方この人の世界では、時間が緩急自在に物語を動かし、誰もの肩の上に等しく歳月が降りつもる。本文の一行あきの後、世界が数十年過ぎていたりする。その間に、高速度撮影の空を過ぎる雲のように、子供は傷つき、若い人は年老い、仲のよかった夫婦は別れ、老人は死ぬ。
ひそかな回復と希望が、語られないというのではなく、時間の酸をくぐり、ささくれだった手の甲の荒れた皮膚のうえに鉄のペンで記される。この小説の世界では「傷つく」こと「打ちのめされる」ことが大人になるための「道」である。
印象的なのが、時間の使われ方、そして人の出てき方だ。
「ジャカルタ」には、夫コターの死に自分を支えきれず、実は夫は生きているのではないかと偏執的に考えるようになった女性ソンジェが出てくる。彼女はかつては輝くように聡明で魅力的な女性だった。当時赤ん坊を生もうとしていたキャスは一目見てこの人と友達になりたいと思う。この短編は、かつてキャスの面白みのない夫だったケントが、数十年をへて、その時赤ん坊だった娘のノエルよりもさらに年下の妻デボラと、北米大陸を自動車で移動しながら、最初の妻キャスとのつながりを求める気持ちで、ある日、オレゴンにソンジェの住む家を探して訪れる話だ。いまはいない夫のとりとめもない探索の話。ついで、若い人ならいいわ、消えてもたいした問題じゃない、とソンジェがいうと、ケントは返す。「逆だよ」。いま消えてよいのは「僕たち」のほうなのだ。
ほかに「子供たちは渡さない」、「腐るほど金持ち」、「母の夢」など。表題作のほか七編を収めるが、すべての作品がそれぞれに面白い。

(かとう・のりひろ 文芸評論家)

短評

▼Kato Norihiro 加藤典洋

水がある。川なのだが、おだやかで、「鍋のなかの水のように静まりかえっている」。そこには一艘のボートが浮かんでいる。誰も乗っていない。少しだけ揺れているようだ。アリス・マンローは、そんな光景をある日、思い浮かべ、「善き女の愛」という静かで恐ろしい小説を書いたのではないだろうか。誰もいない水の上のボートは人の心のようだ。水は大きな瞳のようだ。この寒村の話が「ニューヨーカー」誌に一挙掲載され、オー・ヘンリー賞を貰ったと聞くと、世界は広く、深く、しかも少し楽しいという感じを私は受ける。


▼New York Times ニューヨーク・タイムズ紙

ヴァージニア・ウルフはジョージ・エリオットのことを数少ない「大人のための」作家のひとりだと評した。現在ではアリス・マンローについて同じことが、同等の正当性をもって言えるのではないだろうか。


▼New Yorker ニューヨーカー誌

マンローの飾り気がなく厳然とした情欲と喪失の物語は、ますます謎めいていながらも、その不透明さこそが希望に似たものを指し示してくれる。


▼Library Journal ライブラリー・ジャーナル誌

マンローの短篇小説にはつねに、ゆったりとした空間とみっしり重いディテールがある。注意深く保存されているホームムービーのように、くっきりと鮮やかで、かつ示唆に富む、過去の瞬間を捉えている。

著者プロフィール

1931年、カナダ・オンタリオ州の田舎町に生まれる。書店経営を経て、1968年、初の短篇集 Dance of the Happy Shades(『ピアノ・レッスン』)がカナダでもっとも権威ある「総督文学賞」を受賞。以後、三度の総督文学賞、W・H・スミス賞、ペン・マラマッド賞、全米批評家協会賞ほか多くの賞を受賞。おもな作品に『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』『ディア・ライフ』『善き女の愛』『ジュリエット』など。チェーホフの正統な後継者、「短篇小説の女王」と賞され、2005年にはタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選出。2009年、国際ブッカー賞受賞。2013年、カナダ初のノーベル文学賞受賞。

小竹由美子

コタケ・ユミコ

1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。訳書にマギー・オファーレル『ハムネット』、アリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』『ディア・ライフ』『善き女の愛』『ジュリエット』『ピアノ・レッスン』、ジョン・アーヴィング『神秘大通り』、ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』、カリ・ファハルド=アンスタイン『サブリナとコリーナ』、ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』(共訳)、ディーマ・アルザヤット『マナートの娘たち』ほか多数。

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