
西への出口
1,980円(税込)
発売日:2019/12/24
- 書籍
西へ、さらに西へ。自由を求める人々を追いかける、新しい同時代移民文学。
中東を思わせるある街で若い男女が知りあった。人目を忍んで二人は恋人同士になるが、内戦の拡大で街は荒廃し、命の危険を感じるようになる。そんな中、国境を越えられるという「扉」の噂を耳にした。果たしてその出口はどこへ通じるのか――パキスタン出身の作家が、世界中の移民たちの風景を交え、新天地を目指す人生を鮮烈に描く。
書誌情報
読み仮名 | ニシヘノデグチ |
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シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
装幀 | Rachel Willey/オリジナルジャケットデザイン、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 192ページ |
ISBN | 978-4-10-590162-2 |
C-CODE | 0397 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,980円 |
書評
不透明な出口に向かって
小説は好むと好まざるとにかかわらず、作品が書かれる時代を映し出す。それぞれの時代を特徴づける大きな問いがあるとすれば、現在であれば何になるだろう? 格差、移民・難民、環境といった言葉が思い浮かぶ。そうした主題に意識的に向きあう作家もいれば、そうでない作家もいる。モーシン・ハミッドは明らかに後者だろう。
ハミッドはパキスタンに生まれ、アメリカの名門大学を卒業し、世界的なコンサルティング会社に勤務した。グローバル・エリートと呼ばれておかしくない彼が、移民や難民という「持たざる者」を小説の主題として選択するとき、それはどのような小説になるのだろうか。
内戦下にあるとおぼしき国で、サイードとナディアという若い男女が出会う。サイードはナディアに強く惹きつけられる。武装勢力が街に迫り、銃撃戦が繰り広げられる危険な日々のなか、サイードは苦労してひとり暮らしのナディアのアパートを訪れ、ふたりは親密になっていく。
しかし、戦闘が激化し、夜間外出禁止令が出される。停電も生じ、携帯電話もつながらなくなり、たがいに会うことも連絡を取りあうことすら困難になってくる。経済は混乱をきたし、ふたりはともに職を失う。さらにはサイードの母が流れ弾に当たって命を落とす。事態はとめどなく悪化するばかりだ。
多くの人々がそうしているように、サイードとナディアもまた、武装勢力に支配された街からの脱出を決意する。そのためにふたりは「代理人」と呼ばれる人物にお金を払う。すると、男はふたりに「黒い扉」を指し示す……。
ふたりが暮らす国や武装勢力の名もナディアに黒いローブを着させている宗教の名も作中では明示されないものの、この小説は、内戦によって人々がどのようにして難民と化していくかをリアリズムの手法で描いている……そう思って読んでいると思わぬ肩すかしをくらう。なんと「黒い扉」を通り抜けるだけで(!)、ふたりは故国を離れ、ミコノス島にたどり着いているのである。ほとんど瞬間移動だ。
島の難民キャンプで数週間過ごしたのち、ふたりは新しい「扉」を通り、今度はロンドンに到着する。そのロンドンはわれわれの知る現実のロンドンとはちがい、多くの地区を大量の移民や難民に占領されており、彼らを排斥しようとする公権力や市民とのあいだに戦闘が生じている。
その後サイードとナディアはふたたび「扉」を通り、アメリカ西海岸サンフランシスコ近くの移民や難民によって作られた「マリン」という新しい都市に移り住むのだが、そこでふたりの関係に大きな変化が生じることになる。
ハミッドが描く世界は、われわれが暮らす世界と似ているが微妙にちがう。それは、映像を二倍速や四倍速で見る感じで、移民や難民の移動を加速させた世界の姿なのかもしれない。多くを奪われた移民や難民がなおも所有しているものが二つある。一つはもちろん彼ら自身の身体だが、もう一つが携帯電話である(僕がフランスで知りあった難民はパスポートもお金もなく文字通り身ひとつだったが、それでも携帯電話を持っていた)。この小説でも携帯は移民や難民にとって命綱のような役割をしている。だが、空にはつねにドローンが飛び、携帯の通話やネット上のやりとりは特殊なネットワークによって監視されている。もしかしたら、これは僕たちを待ち受けている世界などではなく、僕たちの世界そのものではないのか。
ハミッドは移民や難民にとっては忘れえぬ苛酷な体験であるにちがいない移動そのものを描かない――それはこの小説の弱点ではないか? 『ドラえもん』の「どこでもドア」のような「扉」などというアイテムで、移民や難民の体験を語ってよいのだろうか、と。
しかし、それが他者の言葉や経験を搾取してはならないという作家の強い倫理観ゆえの選択だとしたら? 僕たちが出会う移民や難民は、つねにすでに移動とその困難を経験したあとの人たちである。その体験は彼らだけのものだ。何があったのか聞くことはできるが、いま目の前にいるこの人たちとどう生きるかを考えることが大切なのだ。
黒いローブで身を隠しながらもナディアが知的にも性的にも自由であり続けるのに、サイードは次第に信心深く保守的になっていく。この対照は実にリアルだ。ところが、ふたりはずっと寝食をともにし、機会は幾度となくあったのに、セックスするには至らない。でもなぜ?
すぐれた小説がそうであるように、『西への出口』は読者を迷わせはしても、わかりやすい出口は決して与えない。
(おの・まさつぐ 作家)
波 2020年1月号より
単行本刊行時掲載
短評
- ▼Ono Masatsugu 小野正嗣
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内戦の激化する街で恋に落ちたナディアとサイード。殺戮と破壊から逃れようとするふたりの前に「扉」が開かれる。それがどこに通じているのかは誰にもわからない。「扉」をくぐり抜けるたびに、ギリシャ、イギリス、アメリカと、より「西」に運ばれていくふたり。その移動は、グローバル化した世界の悪夢から逃れようと苦闘する移民と難民の軌跡と重なる。世界のリアルを描く小説? 難民となった女と男のあいだの心の距離を微細に測定しながらハミッドの果敢な想像力は、この世界の現実に内包された、思いも寄らぬ〈別次元のリアル〉への扉を開く。
- ▼Viet Thanh Nguyen ヴィエト・タン・ウェン
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乱れるような緊迫した出来事から目を背けようとしない、ハミッドのような優雅な筆致をもつ作家が、我々には必要なのだ。共感を呼び起こし、よりよい世界を想像させるという、小説の力を十二分に発揮しているのだから。
- ▼The New Yorker ザ・ニューヨーカー誌
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ハミッドはおとぎ話の手法によって、抽象化から魅力を引き出してみせる。……現代に対するハミッドの理解は確かであり、緊迫した問題を扱ったこの小説は、すでに名作の予感を漂わせている。
- ▼Boston Globe ボストン・グローブ紙
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もし、私たちの時代の物語、私たちが思い描くよりさらに暗いと同時に希望に満ちた未来を見せてくれる物語を探しているのであれば、この小説は完璧な作品だ。
- ▼ミチコ・カクタニ(ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビュー)
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現実と超現実を混淆させ、古いおとぎ話の魔法を駆使することによって、ハミッドは今日のニュースの見出しの下ににじみ出るグローバルな危機をとらえつつ、未来に待ち構えているかもしれない不気味なディストピアを描き出す小説世界を作り上げてみせた。
著者プロフィール
モーシン・ハミッド
Hamid,Mohsin
1971年、パキスタン・ラホール生れ。小学校時代の一時期をアメリカで過ごし、のちにパキスタンに戻るが、再びアメリカにわたってプリンストン大学およびハーヴァード大学ロースクールに学ぶ。卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに勤務する傍ら執筆をつづけ、2000年に小説Moth Smokeでデビュー。2007年発表の The Reluctant Fundamentalist(邦題『コウモリの見た夢』)がブッカー賞の最終候補に残る。2019年12月現在はラホールとロンドンとニューヨークを行き来しつつ創作を続け、著名な新聞や雑誌に政治や芸術に関するエッセイを寄稿している。
藤井光
フジイ・ヒカル
1980年大阪生れ。同志社大学教授。訳書にテア・オブレヒト『タイガーズ・ワイフ』、セス・フリード『大いなる不満』、ダニエル・アラルコン『夜、僕らは輪になって歩く』、レベッカ・マカーイ『戦時の音楽』等。2017年、アンソニー・ドーア『すべての見えない光』で日本翻訳大賞を受賞。著書に『ターミナルから荒れ地へ』『21世紀×アメリカ小説×翻訳演習』等がある。