ホーム > 書籍詳細:オルガ

2,200円(税込)

発売日:2020/04/24

  • 書籍
  • 電子書籍あり

北の果てに消えた恋人へ、あなたは誰のためにそこに行くのか。

女は手が届く確かな幸せを願い、男は国家の繁栄を求めて旅に出た。貧富の差や数々の苦難を乗り越え、激動の20世紀ドイツを生きた女性オルガ。彼女が言えなかった秘密、そして人生の最期にとった途方もない選択の意味が、最果ての町に眠る手紙で解き明かされる――。ひとりの女性の毅然とした生き方を描いて話題となった最新長篇。

書誌情報

読み仮名 オルガ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Misato Ogihara/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 232ページ
ISBN 978-4-10-590165-3
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,200円
電子書籍 価格 2,200円
電子書籍 配信開始日 2020/05/01

書評

小さな幸せという救い

山崎佳代子

 ドイツの女教師オルガの一生を縦糸に、十九世紀末から二十一世紀までの激動の歴史を横糸として織り上げた愛の物語。いくつか謎が織り込まれ、あなたは迷路に誘いこまれ、最後に謎が解き明かされる。三部からなり、それぞれ語り手が異なり、オルガとヘルベルトの若き日の恋が多面鏡に映し出され、様々な姿を見せる。
 第一部は十九世紀末から第二次大戦直後までのオルガの半生を中立的な視点から語る。ポーランド系の洗濯女を母に、ドイツ人港湾労働者を父として生れたオルガは、両親を発疹チフスで失い、父方の冷淡な祖母に引き取られる。裕福な農園主の息子ヘルベルトとの初恋。だが彼の家族は許さない。彼女は田舎町で教師となり、ヘルベルトは近衛兵として「広大な土地」を求めドイツ領南西アフリカへ渡りヘレロ族との戦闘にも参加、その後もドイツ国家の拡大を唱えアルゼンチンなど世界各地をめぐる。遠距離恋愛。オルガの孤独を癒す少年アイクとの友情はどこか秘密の香りがする。植民地主義に批判的なオルガ、だがドイツの拡張を主張するヘルベルトは1913年に北東島探検に出て遭難した。1914年のサラエボ事件を契機に第一次大戦が始まり、やがて祖母も死ぬ。第二次大戦を目前に、ナチスの党員となったアイクと訣別。大戦中にオルガは聴覚を失って解雇され、裁縫の仕事で生計をたてていたが、1945年2月、戦禍で難民となり西へ逃げて終戦を迎えた。
 第二部の語り手の「ぼく」は、オルガが裁縫師として働く牧師一家の息子フェルディナント。1950年代から二十一世紀までを語る。オルガの回想を「ぼく」が語り直し、彼女の人柄や思想を綴る。オルガは1968年の学生運動を「自分たちの問題を解決する代わりに、世界を救おうとしている。目標が大きすぎる」と批判。ヘルベルトやアイクを破滅に導いたのは、ドイツを統一したビスマルクだと、彼女は考えていたのだ。ある晩、オルガはビスマルクの像の傍らでテロの犠牲となり死亡。だが死は謎のベールに包まれている。オルガの死後、「ぼく」は文化省に勤め結婚し年金生活に入るが、妻を交通事故で失った。ある日、ベルリンの女性記者アーデルハイトから連絡が入る。アイクの娘で、父親の人生を調べている。父はソ連抑留から帰還し結婚したが、愛のない家族だったと、彼女は回想。一方、ノルウェーの古本屋で、オルガがヘルベルトに宛てた手紙が発見される。
 三部は書簡小説の形をとり、オルガの数々の手紙が愛と死の秘密を解いていく。物語の終わりは軽やかだ。「ぼく」はアーデルハイトの顔の中に懐かしいオルガの面影を見つけて再会を心待ちにしており、淡い愛の余韻を残す。
 本書を、私はセルビアの首都ベオグラードで読んだ。小説にも言及される第一次世界大戦の発端となったサラエボ事件は、民族自立を求めるスラブ系の若者たちによるテロ事件。また第一次大戦を綴るオルガの手紙には、ドイツの村で「セルビア人はくたばれ」と叫ぶ子供が描かれている。第二次大戦中、セルビアはナチス・ドイツの占領下で大量殺戮に耐えた。両大戦はセルビア文学に実存主義の詩学をもたらし、アンドリッチやキシュなどによる珠玉の作品が生まれた。大戦の悲惨をドイツ文学が描くと、歴史は別の表情を見せる。
 だがオルガが示したように、大国の拡張主義は小国を不幸にするだけではなく、大国の民からも幸せを奪う。愛という小さな幸せを求める人は、誰もが拡張主義の犠牲になるのだ。オルガから愛する人を奪ったのは、「広大な土地」を求める思想だった。
 オルガたちの人生の救いはどこにあるのだろう。本書では牧師の家庭だけが温かで愛情に満ちている。だがオルガを引き取った祖母の家にも、ヘルベルトの裕福な家族にも温もりがなかった。オルガとヘルベルトを救うのは愛だ。愛とは、沈黙を分かちあえる人との出会い。思想や社会的地位の違いをこえ、二人を結ぶのは明るい沈黙だった。聴覚を奪われて音のない世界に生きるオルガとフェルディナントも、フェルディナントとアーデルハイトも、優しい沈黙に結ばれている。
 今、私はコロナウイルスによる非常事態の中でこの文章を書いている。外出も制限された今、愛の大切さが透き通って見えてくる。「広大な土地」を求めるのではなく「小さな幸せ」を大切にすることで世界は救われる。それを信じたい。

(やまざき・かよこ 詩人・翻訳家)
波 2020年5月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼Yamazaki Kayoko 山崎佳代子

歴史は光と闇から生まれる。出会いと別れ、愛情と憎悪、殺戮とパン……。ポーランド系ドイツ人女性オルガの人生を縦糸に、十九世紀末期から二十一世紀までの欧州を横糸に、色鮮やかな模様を織り込んだ本書には、オルガの親しい少年アイクをはじめ謎がいくつか隠され、読み手を謎解きの迷路に誘う。不幸な出生に負けず正義を求めて生きるオルガと、広大な地を求め探検の旅に出た農園主の息子ヘルベルトとの若き日の純愛……。沈黙を分かちあうことのできる人との出会いこそが愛。愛とは希望。恋人に届かなかった手紙の束が、物語を静かに結ぶ。


▼Suddeutsche Zeitung 南ドイツ新聞

主人公は映画のヒロインに必要なすべての要素を備えている。まっすぐで、好感が持てて、清らか。帝国主義からナチズムへ、そして連邦共和国の引き揚げ者に待ち受ける運命……。彼女の歩んだ人生は常に説得力を持ち、結末においてオルガはドイツ史に対する「ユートピア的な鏡像」として心に刻まれるのだ。


▼Der Spiegel Online シュピーゲル・オンライン

シュリンクの創り上げた強い女性像は、読む人の心に敬意を抱かせるだろう。それは、彼女が決して流されず、欺かれることなく政治的な勘を持ち続け、ナチズムを軽蔑するからだ。


▼DW Online DWオンライン

複雑で入り組んだストーリーを想像させるが、驚くほど読みやすい。少なからぬ感動的な場面のなかで、著者はここに描かれた数十年間、戦争と平和、過去と現在の狭間において、ドイツの人々がどのように感じてきたかを読者に伝えようとしている。

著者プロフィール

1944年ドイツ生まれ。小説家、法律家。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、ボン大学、フンボルト大学などで教鞭をとる。1987年、『ゼルプの裁き』(共著)で作家デビュー。1995年刊行の『朗読者』は世界的ベストセラーとなり2008年に映画化された(邦題『愛を読むひと』)。他の作品に『週末』(2008)、『夏の嘘』(2010)、『階段を下りる女』(2014)、『オルガ』(2018)など。ベルリンおよびニューヨークに在住。

松永美穂

マツナガ・ミホ

早稲田大学教授。訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞受賞)『階段を下りる女』『オルガ』、ウーヴェ・ティム『ぼくの兄の場合』、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下で』、ヨハンナ・シュピリ『アルプスの少女ハイジ』、ラフィク・シャミ『ぼくはただ、物語を書きたかった。』ほか多数。著書に『誤解でございます』など。

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