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ウォーターダンサー

タナハシ・コーツ/著 、上岡伸雄/訳

3,080円(税込)

発売日:2021/09/28

書誌情報

読み仮名 ウォーターダンサー
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Shirako/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 484ページ
ISBN 978-4-10-590174-5
C-CODE 0397
ジャンル 文学・評論
定価 3,080円
電子書籍 価格 3,080円
電子書籍 配信開始日 2021/09/28

忘れることは、本当の奴隷になること――。全米図書賞作家の大ベストセラー!

19世紀中盤、アメリカ・ヴァージニア州。神秘的な力を持つ黒人奴隷のハイラムは、奴隷逃亡のネットワーク「地下鉄道」の活動に加わることで、自らが持つ力の意味とその秘密を知っていく。秘密を解く鍵は失われた母の記憶――。トニ・モリスンが「ボールドウィンの再来」と絶賛した、いま最も注目される作家による初長篇小説。

書評

すべての物語はひとびとを渡す橋となる

いしいしんじ

アメリカの人種差別を冷徹に見つめた『世界と僕のあいだに』で全米図書賞を受賞し、コミック原作を担当した『ブラックパンサー』は映画化され大ヒット。いま最も注目される作家が、初めての長編小説に挑んだ。

 はじめに、橋が崩れる。
 馬車は川に落下し、黒人奴隷の青年ハイラムは御者台からとばされ、激流にもまれ溺死しかかる。気がついたら川岸に身を横たえている。失神する寸前、青い光が躍っていた。その青い光に導かれ、ハイラムの、物語をめぐる長い物語がはじまる。
 アフリカからさらわれてきた先祖の思い出が、夕食や集まりのとき、まだ口々に語られる、19世紀半ばのヴァージニア。奴隷のひとりである黒人の母、奴隷たちの主である白人の父とのあいだに、ハイラムはうまれる。
「僕は変わった子供だった」。見聞きしたすべてを、記憶にとめおくことができる。一匹ずつの野犬の顔。流れてくる労働歌。奴隷のみながうちあける、ひとりひとりの来歴。
 馬車の事故をきっかけに、ハイラムの新しい才能が少しずつひらかれる。遠く離れた場所から場所へ、「土地を折り畳んで」移動する能力。黒人奴隷のなかに、たまに、同じ才能を持つ者が現れる。それどころか、ハイラムの祖母はその能力を使って、五十人ほどを連れてアフリカへ帰還した。真実か伝説か。それは筋金入りの、ほんものの物語だ。
 ただ、小説を読んでいる、という気がしない。ハイラム本人の、ソフィアの、シーナたちの声が、吐息が、読んでいる僕の、生きている実感にたえまなく触れる。「子供を――たぶん女の子を――」とソフィアが切れ切れにいうとき、その声はページからまっすぐに僕の胸を突き刺す。
 また、ハイラムが、遠く新しい町をあてどなく歩き、工場や船着き場やあらゆる肌の色の市民を眺めているとき、「一輪車に乗った男が笑いながら通り過ぎる。僕はそのときふと、これが生まれてから最も自由な瞬間だと気づいた」。この「僕」はハイラムであると同時に、読者である「僕」でもあった。胸が冴え冴えと晴れてゆく。小説を読む、というより僕は、小説を生きている。
 霊、スピリット、スピリチュアル。著者と読者が重なり、ハイラムと僕が同期しあう。まさしく「言霊」が鳴っている。夜明けの鐘のように。真夜中の山中でみあげる星空のように。霊は、ときと場所を折り畳み、離れ合ったひと同士をめぐり会わせ、互いの魂のなかに溶けこませる。はじめに橋が崩れたそのとき、いま思えば、この僕も、川底で溺れかかった身を救われたのだ。
 青い光とともに、能力の持ち主は奴隷たちをつぎつぎと北部の町へ逃がす。ハイラムも自然とその有力な仲間となる。あらたに語られるすべての物語が、ひとびとを渡す橋となり、奴隷を、僕を、読者を、自由へとつなぐ。ページをめくればめくるだけ、苦難を、喜びを胸に、僕たちは解放されてゆく。
 物語にリズムが加わればそれは歌になる。おさないハイラムのまわりに響くハミングはうまれたての原初のブルースだ。
〈天国の楽団、みな楽器を掻き鳴らし オーブリーが見張り、よいたちが宙返り〉
〈でっかい屋敷の農場へ あったかい家にでかけてく おらを探すときには、ジーナ、はるか遠くにいるはずだ〉
 土と雲の上をつなぐゴスペルでもある。
 みなから「モーゼ」と呼ばれるハリエットが、みずからの兄弟たちを連れ、ハイラムとともに川を渡る場面。ページはうねり、物語がはじけ、声が声を呼んで鳴りひびく。
「戻ってきたとき、私は同じ女ではなかった」
「モーゼは畑を開墾した!」
「しかし、自分の言葉はしっかりと守った」
「強いモーゼ」
「そして私のジョンのために戻った」
「そう、戻った!」
「ジョンはほかの女と暮らしていた」
「辛い、モーゼ! 辛い!」
「私はそのことで気を揉んだ。二人を見つけ、騒ぎを起こそうかと考えた」
「モーゼは牡牛を操った!」
 僕はかつてないスピリットの力に巻かれ、眼球を振り絞って唱和した。歌がつづくあいだ僕は、夜の川を渡る浅黒い黒人のひとりにほかならなかった。
 ハイラムの語りは、ひとびとの歌は、一見はなれてみえるこの世のさまざまな物事が、じつはその裏でつながれ、響きあっていることを教えてくれる。僕たちの鼓動もそうだ。目にみえない、耳にきこえない、けれどもたしかに感じられるつながりの源、それを霊、スピリット、と呼ぶとしたなら、小説を読むとは、なんとスピリチュアルな行為なのだろう。

(いしい・しんじ 作家)
波 2021年10月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

差別と貧困の根源に挑んだアメリカで最注目の論客

上岡伸雄

「白いアメリカ」は、僕たち黒人の肉体を支配し、管理するための独占的なパワーを守ろうと勢揃いしたシンジケートだ。
     *
 これは、タナハシ・コーツの『世界と僕のあいだに』の一節である(池田年穂訳、慶應義塾大学出版会)。アメリカの黒人は隠しようのない肉体的特徴によって区別され、劣る者たちとして扱われてきた。そのことを「肉体を奪われている」と表現し、その意味や起源を考察する本だ。息子に語りかける形で、こうした状態でいかに生きるかを説いている。
 タナハシ・コーツは、この『世界と僕のあいだに』で全米図書賞を受賞し、アフリカ系アメリカ人のスポークスパーソン的な存在になった文筆家である。1975年生まれで、大学在学中から文筆活動に入り、「アトランティック」誌を中心に論説を次々に発表、アメリカの差別について鋭い考察を示してきた。それらはボルティモアの貧しい黒人地区に育った生い立ちと、ヒップホップやコミックなどの多様な文化への関心、そして歴史に関する豊富な知識に基づいており、アメリカが抱える問題がいかに根深いか、黒人たちがいかなる心情を抱えて生きているかを生々しく描き出している。いまは亡きトニ・モリスンは、彼をジェームズ・ボールドウィンの再来と評価した。
 彼のほかの著作としては、『美しき闘争』(奥田暁代訳、慶應義塾大学出版会)と『僕の大統領は黒人だった』(池田年穂・長岡真吾・矢倉喬士訳、慶應義塾大学出版会)がある。前者はボルティモアの犯罪多発地区で育った生い立ちと、急進的な黒人解放闘争の闘士であった父の影響を語る回想録。後者はオバマからトランプの時代にかけて書いた評論を集めたもので、なかにはオバマ自身との対話も含まれている。彼のこうした著作を読んでいくと、黒人差別がいかに社会に構造的に埋め込まれてきたか、黒人たちがいかに不利な立場に立たされ続けてきたかがよくわかる。
 言うまでもなく、「黒人の肉体を支配し、管理する」ことが字義どおりの形で、組織立って行われてきたのが、北米で十七世紀から十九世紀まで実践されてきた奴隷制である。いまも続く差別、そして黒人たちの相対的貧困の根源が、ここにあることは間違いない。コーツはその立場から、アメリカ政府は奴隷制に対する賠償金をアフリカ系アメリカ人に支払うべきだと主張している。
 コーツ初の小説、『ウォーターダンサー』は、彼の奴隷制への関心から生まれた本である。彼は奴隷の逃亡に身を捧げたハリエット・タブマンの物語に魅せられ、彼女に関する本や、彼女を助けた活動家、ウィリアム・スティルの著作などを読んでいったという。スティルは逃亡奴隷の記録を詳しく残した人物であり、彼の著作は奴隷制や奴隷解放活動の貴重な資料となった。それが本作のなかでも生かされている。
『ウォーターダンサー』の舞台は十九世紀半ばのアメリカ南部、ヴァージニア。主人公の若い奴隷、ハイラムは、奴隷主が奴隷に産ませた子供だが、にもかかわらず母は彼が幼いときに別の地域に売られてしまう。このような試練を幼少期に経験しながらも、彼はある特別な能力と類まれな記憶力に恵まれており、それを生かして奴隷の身分から脱却。さらにハリエット・タブマンその人や、ウィリアム・スティルをモデルとするホワイトなどとも知り合って、奴隷解放の活動に身を投じることになる……。
 タイトルの「ウォーターダンサー」とは、黒人奴隷たちの踊りの一つ、「ウォーターダンス」の踊り手のこと。このダンスは、水を入れた水がめを頭に載せ、中身をこぼさずに踊るもので、実はハイラムの能力と大きく関わっている。ハイラムの母はウォーターダンスの名手であり、彼の能力が呼び覚まされるときは、踊る母の幻影が必ず現われる。彼の能力を呼び覚ます(そして制御する)鍵が母の記憶と水であるらしい。しかし、何でも記憶できる彼なのに、母のことだけはよく思い出せない。それはなぜか? どうしたら母の記憶を取り戻せるのか? 物語はその答えに向かってスリリングに展開していく。
 物語の重要な要素には、黒人たちの家族像もある。母を奪われたハイラムが、同じように子供たちを奪われたシーナという老女と築く二人だけの家族。フィラデルフィアで知り合った自由な黒人たちの明るい家庭。そして、ハイラムが愛する女性、ソフィアとのあいだに模索する対等な関係。虐げられた者たちが大切に育てようとする愛こそ、読後の心に残る部分であろう。

(かみおか・のぶお 翻訳者)
波 2021年10月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼Toni Morrison トニ・モリスン
ジェームズ・ボールドウィン亡きあと、私を苛んできた知的空白を埋めてくれるのは誰だろうとずっと思ってきた。それは、明らかにタナハシ・コーツだ。

▼Oprah Winfrey オプラ・ウィンフリー
人生で読んだなかで最高の本の一冊。私は魅了され、打ち砕かれた。希望を感じ、感謝を感じ、喜びを感じた。タナハシ・コーツは素晴らしい作家だ。

▼Ishii Shinji いしいしんじ
グース川に架かる橋から馬車ごと落下した黒人青年ハイラムは、未知の力に救われ、運命の手で人生の先へ運ばれる。新しい家族、伴侶。命を賭した使命。ニグロ・スピリチュアルとはなにか、はじめて、はらわたの奥深くのみこめた。読んでいる間、たえまなく歌を、吐息を、血と汗を全身に浴びた。循環する声に巻きこまれ、はるか遠い記憶をめぐり巡った。そうして僕は知った。ひとは、ひとを渡す橋になり得ると。物語と歌こそ、その建材だと。橋の上ではいつも、青い光に包まれ、なつかしい誰かが水の踊りをおどっているのだと。

▼The Boston Globe ボストン・グローブ紙
衝撃的で独創的な小説。コーツの熟練の腕は、アメリカの歴史についての深い知識に、煌めくような文章技巧を溶け込ませ、複雑なアイデアを伝えてよこす。歴史の厳しいレンズを通して語られる、忘れがたい冒険物語。

▼San Francisco Chronicle サンフランシスコ・クロニクル紙
一級の作品であり、アメリカの最も恥ずべき罪についての強力な本だ。

▼Washington Post ワシントン・ポスト紙
素晴らしい。現代の人種差別に対するコーツの理解が、本作の19世紀の描写を照らし出している。そこに同時代の反響を聞くことは難しくない。

▼Rolling Stone ローリング・ストーン誌
圧倒的な想像力と豊富な歴史的意義を兼ね備えた作品。時代を超越し、即座に聖典とするに値する。

著者プロフィール

タナハシ・コーツ

Coates,Ta-Nehisi

1975年、メリーランド州ボルティモア生まれ。アフリカ系アメリカ人を代表するジャーナリスト。2015年、『世界と僕のあいだに』で全米図書賞を受賞。マッカーサー基金の「天才奨学金」を授与される。その他の著書に『美しき闘争』『僕の大統領は黒人だった』など。『ウォーターダンサー』が初の小説。2021年9月現在は、妻、息子とともにニューヨーク市在住。

上岡伸雄

カミオカ・ノブオ

1958年、東京生まれ。学習院大学文学部教授。訳書にドン・デリーロ『墜ちてゆく男』、ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』、シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』、グレアム・グリーン『情事の終り』など多数。著書に『テ口と文学 9・11後のアメリカと世界』など。

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