
フォンターネ 山小屋の生活
1,980円(税込)
発売日:2022/02/28
- 書籍
スマホを捨てよ、山へ出よう。自然との新たな共生を啓く21世紀版『森の生活』。
30歳になった僕は何もかもが枯渇してしまい、アルプスの山小屋に籠った。都市での属性を解き放ち、生きもの達の気配を知り、五感が研ぎ澄まされていく――。世界的ベストセラー『帰れない山』の著者が、原点となった山小屋での生活と四季の美を綴る。コロナ時代に先駆け二拠点生活を実践してきた著者の、思索に満ちた体験録。
地形図
名残り雪
畑
夜
隣人
干し草
アイベックス
野宿
登山小屋
格別な一本
むせび泣き
言葉
来訪者
幸運な犬
牧下り
銀世界で
最後のワイン
書誌情報
読み仮名 | フォンターネヤマゴヤノセイカツ |
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シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
装幀 | Takumi Sugiyama/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 176ページ |
ISBN | 978-4-10-590179-0 |
C-CODE | 0398 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 1,980円 |
書評
黄金の沈黙の日々と、その豊かな謎
イタリアの新進作家が、深い思索から心の障壁につきあたり、小説などを書けなくなってしまった。苦悩をかかえてひとり山小屋に籠もって暮らしていく過程を書いている。邦訳二冊目。
そういう作品を紹介する者が、ぼくのような歳老いた粗製濫造作家であるとはずいぶん役割が違うようでこれはミスキャストではないか、と読みながら狼狽してしまった。
本書について短文の感想を出版社に伝える約束があったので、読みながら本文のあちこちに思うところをメモしていた。それらを読みかえしてみると、いちばん最初に書いた感想が幼稚ながらもっとも正直な反応だったように思うので、はじめにそれを書きたい。
「逃げ込んだ山での暮らしの日々を語っているだけなのに、どうしてこんなに読む者の心をふるわせるのだろうか。読んでいるときも、読みおわったあとも、それが豊かな謎だった」
それから随分時間が経ってしまったので、いまこの小文を書くために読みかえしてわかったのは、まず「文章」が圧倒的に爽やかで美しい、という基本的なことだった。それを静かに着実に表現した翻訳者の、懐の深い日本語のつみかさねも素晴らしい。
本書で語られるアルプスの山小屋は標高二千メートル近くにある。木と石によって作られた頑丈なもので、四軒あるうちの一軒。山小屋といっても日本とちがって別荘的なものらしい。雑駁かつ煩い都会(ミラノ)の無神経な「攻撃」に傷ついた作家は山の生活にゆらりと邁進していく。黄金の沈黙の日々だ。
山の生活は当然ながら厳しいが、近くを流れている沢のおいしい水を飲み、暖房は薪ストーブぐらいだがその燃料は雪の重さによって倒壊した木を切って乾燥させて使うなど、とらえかたによっては山小屋の生活は手がかかるぶんむしろ贅沢なようでもある。
こういう記述がある。
「雪の上に野生動物の足跡がいくつかついている。一匹の野兎に、つがいのノロジカ、そして何羽もの鳥たち。そのほか、どんな動物のものか見分けられない足跡もあった。僕が家のなかで孤独に酔いしれ、苦悩している最中に、これほど多くの動物が行き交っていたことに驚いた」
ある日この作家に山小屋を貸した家主レミージョが様子を見にきた。コーヒーを飲みながらさまざまな話をし、互いに読書好きであることを知りよろこびあう。こんな小さな出会いも、別れとなるとおもいがけず「重い」ということに気がつく。
もともと夜の闇は苦手だったが、眠れない夜は研ぎ澄まされた外の音にことさら敏感になり、子供じみた恐怖にとらわれたりする。
ミラノの自宅にいた頃のことを夜更けに思いだす。夜中でも車の途絶えることのない大通りに面していたので、通りすぎる車のヘッドライトや点滅する信号、救急車両の回転灯、夜間でも営業しているドラッグストア。それらの刺激のなかで眠りについた日々を追憶する。
ある日、セーターを重ね着して水筒にワインを入れ、寝袋を持って外で野宿することにした。気弱になっている自分へのショック療法だった。
その夜、近くの牧草地で野宿する。あたりが真っ暗になっていくなかで持って出た僅かな腸詰などをかじり、ワインを飲み、遠いむかし父と行った山の記憶にひたる。山道の遠くにオルガンが鳴っていた記憶だ。その小さな野宿旅では帰りにキツネと出会う。
六月になると牛飼いが牛や牧牛犬たちと山にやってきた。いちめんにタンポポの花がひろがっている季節だ。
三匹の牧牛犬にはブラック、ビリー、ランポと名前がついていて、作家は彼らと仲良くなる。ブラックは「ちぎれ耳」と別の名前をつけた。
ちぎれ耳は毎日七時になるとビスケットをもらいにやってくる。それぞれ個性ゆたかでなによりも牧牛犬としての働きぶりがすばらしい。この三頭の犬との交友が楽しい。その主人、牛飼いのガブリエーレとのつきあいがはじまり、山小屋の生活もけっこう忙しくなる。賑やかな交流は夏へと続いていき、「音や色やにおいという暴力」という一節の本意がつかめず、読む者には新たな不安となる。
(しいな・まこと 作家)
波 2022年3月号より
単行本刊行時掲載
短評
- ▼Shiina Makoto 椎名誠
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男はアルプスの山小屋に一人で暮らす。ゆっくり変っていく光や風。あたりにひろがる生きものたちの息吹。男は風景を眺め、その日の過ごしかたを決めていく。なんという贅沢な沈黙だろう。山に放牧されている牛たちと三匹の牧牛犬。ときおりの客。チーズにナイフ。とっておきのワイン。命の音はときに賑やかに騒ぎ、男を山懐に誘い込む。ここちのいい疲れと静寂。喜びや苦悩。山でのいくつもの日々を男と一緒に見つめていく。
- ▼Avvenire アッヴェニーレ紙
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人はその気にさえなれば何でもできるようになるが、独りでいることだけは例外だと気づかせてくれる。真の山とは、星座のようにちりばめられた無数の孤独を私たちに与えるものである。大切なのは、それらを一瞬、ともに輝かせることができるかどうかだ。
- ▼Il Post イル・ポスト・オンライン
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コニェッティの素晴らしさは、山岳小説のあらゆる怠惰なステレオタイプを覆すことにある。彼が薪ストーブで暖められた部屋の音や、新雪の匂いについて語るとき、そのいずれもが読者の頭のなかで具体的な形を帯びはじめる。
著者プロフィール
パオロ・コニェッティ
Cognetti,Paolo
1978年ミラノ生まれ。大学で数学を学ぶも中退、ミラノ市立映画学校で学び、映像制作の仕事に携わる。2004年、短篇集『成功する女子のためのマニュアル』で作家デビュー。2012年刊行の短篇集『ソフィアはいつも黒い服を着る』でイタリア文学界の最高峰「ストレーガ賞」の候補となる。初の本格的な長篇小説となる『帰れない山』で、「ストレーガ賞」と同賞ヤング部門をダブル受賞した。幼い頃から父親と登山に親しみ、2022年2月現在は1年の半分をアルプス山麓で、残りをミラノで過ごしながら執筆活動に専念する。
関口英子
セキグチ・エイコ
埼玉県生まれ。翻訳家。訳書に、パオロ・コニェッティ『帰れない山』、カルミネ・アバーテ『風の丘』『海と山のオムレツ』、プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』、アルベルト・モラヴィア『同調者』、ベアトリーチェ・サルヴィオーニ『マルナータ 不幸を呼ぶ子』など。『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』で第1回須賀敦子翻訳賞受賞。