
わたしがナチスに首をはねられるまで
2,530円(税込)
発売日:2025/05/29
- 書籍
女性はなぜナチスに斬首されたのか。真実を求め「あなた」は歴史を越える。
占領下のブリュッセルでナチスの将校を単身で襲い、斬首刑に処された女性。抵抗運動の最初の狼煙をあげながら、女性であったが故に歴史から消されたその生涯を調べる著者の「あなた」もまた、女性として抑圧や差別を経験してきた。彼女の人生を甦らせるのは「あなた」しかいない──史実を元にし、それを踏み越える小説。
書誌情報
読み仮名 | ワタシガナチスニクビヲハネラレルマデ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
装幀 | Akitaka Ito/Illustration、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-590200-1 |
C-CODE | 0397 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 2,530円 |
書評
忘却にあらがう小説の力
小説家が、国家の歴史に刻まれた事象を作品モチーフとして構想する際、それはときに教科書的な記述とはまったく異なる。客観的で確定的な大文字の出来事ではなく、より個別的でささやかで、人目につかずに打ち捨てられたような断片を、じっくり拾い集めて語っていく手法を、小説は可能にするのだ。
ベルギーの作家でジャーナリストであるミリアム・ルロワが書いた『わたしがナチスに首をはねられるまで』は、ナチスによるベルギー占領時代に生きた市井の人々を描くが、その目の付けどころはきわめてユニークだ。無名のひとりの女性の墓を端緒に、その人物はどう生きたのか、どんな背景とともにここに葬られることになったのか、調査をじっくりと進めるというスタイルをとる。メタ的であり、いま流行の言い方をかりれば「モキュメンタリー」的な方法だ。ドキュメンタリーかのような緊張感にいつのまにかフィクションが忍び寄ってきて、リアルと創作の境があいまいになる。私たち読者は著者にいざなわれ、ともに謎多き女性の生涯を脳裏に焼き付けることになる。
すべては新型コロナウイルスの蔓延する2020年、著者がブリュッセルの墓地を散歩中、「1942年に斬首された」と奇妙な文言が刻まれた墓碑を見つけたことではじまった。名はマリーナ・シャフロフ=マルターエフ。インターネットの検索エンジンでは詳細がヒットしないが、ただひとつ、スペイン語で記されたブログ記事に行き当たる。翻訳ソフトを通じてわかったのは、ロシア人移民の若き主婦にすぎないマリーナが、1941年の12月のある晩、占領中のドイツ軍将校を刺す事件を起こしたということ。ジャーナリスト魂に火がついた著者は歴史学者のもとや公文書館を訪ね、マリーナの足跡を見出そうと奮闘する。
ずいぶんと昔の、固有名を持たないに等しい存在の、情報の大きな欠落の部分を埋めることは当初不可能に思えた。それでも彼女が二三歳で一七歳のロシアの美青年ユーリと出会い、翌年には一緒に暮しはじめたこと、ドイツ軍の占領下のブリュッセルでラジオのモスクワ放送を聴き、その内容をつたないフランス語に翻訳して通りの樹に貼りだしたこと、小さな反逆の行為を積み重ね、やがて周囲のベルギー人の体たらくを横目に「実戦」に備えていたことがわかってくるのだ。
マリーナと血縁でもない著者をして調査にのめりこませたのは、およそ八〇年という時間の隔たりはあれどふたりとも同じ場所に出入りをし、同じようにロシアの美男子に恋をし、そして男たちの意思だけで戦争が始まる怒りを共有するからだった。歴史の表舞台に現れない女たちの生活と思想を、資料の発掘のみならず小説的な想像力=創造力も駆使してリアルに立ち上がらせることこそ、わが使命。そう意気込む著者に偶然も味方する。マリーナの親族に直接のアプローチが叶うのだ。
物語のフェーズはここから変わる。マリーナの次男の証言によりディテールはより豊かになる。だが一方で、勇敢で神聖なマリーナ像が揺らぎ始めることにもなるのだ。義憤にかられてナチス将校に歯向かったのは、本当は誰だったのか。著者の筆により読者の脳内で躍動してきたマリーナの姿は、幻なのか。エビデンスに基づく実像と、そう信じたいフィクショナルなイメージのせめぎあいが著者を、そして読者をのみこんでいく。これは書くこと/表現することの原理的な暴力性の問題もはらむ。あるいは「ストーリー」の力が人々を熱狂させることの根本的な要因だ。著者が作家としての矜持とともに、マリーナの真の姿を悩みながらも追求する後半以降の展開は、スリリングであり、切実でもあり、たんなる謎解き以上の重みがある。〈過去をほじくり返せばほじくり返すほど、人が真実だと称するものが、最後に発言した人間の説にすぎないことがあきらかになる〉。
マリーナの物語を紡ぐことは、斬首刑になったとだけ記されて歴史の奥底に葬られたマリーナの「生」を取り戻すような営みだ。八〇年前には誰にも聞き取られなかった声を、時空を超えて聞き取るのである。それは文字通り、生々しい。完全無欠なヒーローなどいない。皮肉な運命に翻弄される情けない姿も受け止めることになるだろう。それでも、と著者は思う。彼女がむごたらしく死んだことよりもさらにむごいこととは、〈彼女の人生がこんなに早々と忘れられてしまったことだろう〉。
大文字の歴史にあらがう文学の力を著者は信じている。記号としてではなく血の通う人間として、歴史のある一点に生きた人々へ祈りをささげるかのごとく、筆をとめずに書き進めた著者の思いに心打たれる。
(えなみ・あみこ 書評家)
波 2025年6月号より
単行本刊行時掲載
短評
- ▼Kobayashi Erika 小林エリカ
-
今を生きるひとりの女と、かつて同じ街に生き殺された(しかも首を斬られて!)ひとりの女が、ブリュッセルの地でこんな風に手と手をとりあい共に闘いはじめることができるなんて。フェミニストでありアーティストでもあるミリアム・ルロワ。彼女自身がかつて学校や仕事場で受けた屈辱やハラスメントや抵抗の時間と、ナチス占領後にその将校を襲うに至ったマリーナ・マルターエフという女の一生が、並行するように物語が編みあげられ、刻まれてゆく。今ここに、長いこと「歴史」から無視されつづけてきた女たちの記念碑をうちたてようとする、スタイリッシュで切実で果敢な作品。
- ▼Slate スレイト
-
これはひとりの女性の生涯の物語であると同時に、それを書き上げるまでの道程を語った物語でもある。80年前に死んだ人物のたどった道を再構成しようとするとき、人は自分自身についてどんなことを発見することになるのだろう?
- ▼VOGUE ヴォーグ
-
この物語を通して社会を読み取ってほしい、と作者は考えているにちがいない。この殉教者の足跡を掘り起こす過程を舞台にのせることによって、この女性がどんなふうに黙殺され、えげつない扱いを受けてきたかを告発し、彼女に勇気を取り戻させる。と同時に、それを現代の女性の生活と対比させることを作者は躊躇しない。
- ▼西加奈子
-
「忘れない」という抵抗についての、驚くべき物語。
著者プロフィール
ミリアム・ルロワ
Leroy,Myriam
1982年生まれ。ジャーナリスト、作家。ベルギーの様々な雑誌に寄稿し、テレビやラジオへの出演も多数。インターネット上の女性に対する迫害をテーマにしたドキュメンタリー映画の製作にも携わる。デビュー小説『Ariane』はゴンクール賞の新人部門にノミネートされた。他の作品に『Les Yeux rouges』など。
村松潔
ムラマツ・キヨシ
1946年、東京生まれ。訳書にイアン・マキューアン『初夜』『ソーラー』『未成年』『恋するアダム』、シーグリッド・ヌーネス『友だち』、ジョン・バンヴィル『いにしえの光』、T・E・カーハート『パリ左岸のピアノ工房』、エクトール・マロ『家なき子』、ジュール・ヴェルヌ『海底二万里』、マリ=フィリップ・ジョンシュレー『あなたの迷宮のなかへ カフカへの失われた愛の手紙』など。