
死んでいる元カノとの旅
2,530円(税込)
発売日:2026/04/22
- 書籍
死んだはずの元恋人と一緒に旅に出る、アメリカのいまを描いたゾンビ小説。
心を病んでいた元恋人リリーが自殺を図ったらしい。僕は慌てて駆けつけるが、時すでに遅し、もう埋葬されたという。だが失意の僕が墓地に行くと、生前ほぼそのまま(ただし少し腐りかけ)のリリーが。彼女の願いは「死体農場」に行くこと──全米批評家協会賞受賞、トランプ時代のアメリカを映し出す不思議なロードノベル。
書誌情報
| 読み仮名 | シンデイルモトカノトノタビ |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
| 装幀 | Keita Minami/Illustration、新潮社装幀室/デザイン |
| 発行形態 | 書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 288ページ |
| ISBN | 978-4-10-590207-0 |
| C-CODE | 0397 |
| ジャンル | 文学・評論 |
| 定価 | 2,530円 |
書評
生きている人の側の小説
この小説の原題と日本語版のタイトルはずいぶんちがう。翻訳者の栩木玲子氏の解説によると、原題は直訳すれば『ここがウチ、でなきゃ私はホームレス』だ。魅力的なタイトルだけれど、採用された『死んでいる元カノとの旅』のほうがずっとわかりやすいことはたしかだ。これは本当に「死んでいる元カノ」と短い旅をするという内容の小説なのだから。
けれど、「死んでいる元カノ」もそんな元カノと旅をする人物もすぐには登場しない。
この小説には、死者と話す人物が二人いる。一人目は南北戦争の終結直後のテネシー州で下宿屋を営むエリザベスだ。彼女は死んだ彼女の妹に宛てた手紙の形式で、日記を綴っている。小説は、彼女のこの日記からはじまる。
二人目が「死んでいる元カノ」と旅をすることになる高校教師のフィンだ。彼が生きているのは2016年、ドナルド・トランプが大統領選挙に勝利する直前のアメリカだ。フィンは死を目前にしている兄を見舞いにニューヨークのホスピスを訪れる。兄のマックスとフィンの会話がはじまる。彼らは、32ページから74ページまで話し続けている。いや、話しているのはおもにフィンだ。話すのをやめたとたん、マックスが死ぬかのようにフィンは話す。
そのあと、元カノのリリーが自死したことを知ったフィンは、彼女が埋葬された墓地へ急ぐ。そこでは死んでいるリリーが死んだままの体で立ち、フィンを待っている。立つことができるばかりか、リリーは話すこともできる。ただちょっと肉体が朽ちかけてるだけ、といった様子だ。フィンとリリーは、リリーが生前に希望していた献体が叶えられる場所へと車で旅立つ。そしてやっぱり、フィンとリリーも話し続ける。話すことで、死が完成するのを先延ばしにできるかのように。
そんな二人の旅に、ときおりエリザベスの日記が挿入される。エリザベスは相変わらず死んだ妹に宛てて書き続けている。エリザベスに死んだ妹の声は聞こえず、彼女は死んだ妹に一方的に語りかけているだけだ。およそ150年のときを経てフィンが偶然彼女の日記を手にするとき、フィンは彼女の切なる願い──死者と対話すること──を叶えている。
エリザベスは、死者との対話を切望する女性といった人物像に対し私たちが抱きがちなイメージとはちょっとかけ離れているかもしれない。彼女には弱々しいところはなく、生活感に満ち、下宿屋で起こったとある問題に冷徹に対処する手腕をも持っている。
フィンとマックスの会話、あるいはフィンとリリーの会話は、とりとめのない、ときには相手をはぐらかすための、ときには気の利いた、ただただ会話を途切れさせないためだけの会話のようであり、そのいっぽうで一言一言がこの上なく重要で、実はすべてが緻密に絡み合っているにもかかわらず、読み進めるほどにその重要さを取り落としながらなすすべもなく先へ先へと進んでしまっているようにも感じさせる。
生きているエリザベスとフィンは、それぞれ言葉を尽くして死者をここにとどめようとしている。つくづくこれは、生きている人の側の小説だと思う。死者とともにあるエリザベスとフィンの日々はそれぞれ騒々しく賑やかで、必死で、あきらめを知らない。
この小説には、人生のめちゃくちゃさがそのまますくい取られているように思う。人生は決まりきっているようであっても実際に決まっているのは死ぬことだけで、そのさなかにいる者にとってはめちゃくちゃなことだらけだ。いろいろあるめちゃくちゃなことの中でも、大事な人の死はその代表例ではないか。
ここには、大事な人の死を受け入れることについては書かれていない。そんなことははじめからできるはずがない。そもそも私たちは、どのような人生のめちゃくちゃさであれ、突然襲来して自分を打ちのめすものを許すことなどできはしないのだ。でもこの小説を読んでいると、そんなめちゃくちゃさに対処しようとして必死になる自分を愛おしく思うことへの一歩を踏み出せるような気がしてくる。
(ふじの・かおり 小説家)
波 2026年5月号より
単行本刊行時掲載
短評
- ▼Fujino Kaori 藤野可織
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2016年、高校教師のフィンはずっと会話をしている。もうすぐ死ぬ兄と、それから死んでいる元カノと。150年前、下宿屋を営むエリザベスは、死んだ妹に宛てた手紙の形式で日記を書き続けている。生きている人は、言葉を尽くして死を遠ざけ、死者をここにとどめようとする。この小説は生きている人の側のものだから、騒々しく賑やかで、必死で、あきらめを知らない。人生は決まりきっているようでいてそのさなかにいる者にとってはめちゃくちゃだ。ここに書かれているのは、大事な人の死を受け入れるためのレッスンではない。私たちみんながすでに身を投じているめちゃくちゃさを許すためのレッスンだ。
- ▼New York Times ニューヨーク・タイムズ
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何かを失うこと、死者を死者と認めるまでの我慢と忍耐、そしてまとまりがなく多様な愛のかたちの、見事な物語。
- ▼Guardian ガーディアン
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ホラー小説でなくとも、死別による深い悲嘆と幽霊について書くことはできる。しかも説得力を保ちながら、ウィットたっぷりに。そのことをムーアは示してくれる。
著者プロフィール
ローリー・ムーア
Moore,Lorrie
1957年、ニューヨーク州生まれ。大学卒業後、弁護士事務所勤務を経て、コーネル大学大学院創作科に入学。修士論文として書いた短篇小説が認められ、Knopf社から短篇集『セルフ・ヘルプ』を刊行しデビュー。短篇小説の名手として知られる。他の著書に『あなたといた場所』『愛の生活』『アメリカの鳥たち』『Bark』『A Gate at the Stairs』など。
栩木玲子
トチギ・レイコ
1960年生まれ。法政大学名誉教授。専門はアメリカ文学・文化研究。著書に『現代作家ガイド ポール・オースター』『国境を越えるヒューマニズム』(ともに共著)など。訳書にアリス・マンロー『愛の深まり』、トム・マッカーシー『もう一度』、トマス・ピンチョン『LAヴァイス』『ブリーディング・エッジ』(ともに共訳)、アンナ・バーンズ『ミルクマン』、コラム・マッキャン『無限角形』など。


































