
青池保子 騒がしき男たちとマンガの冒険
2,200円(税込)
発売日:2025/01/29
- 書籍
胸いっぱいの愛を、美しきものたちに捧ぐ。
美麗な作画と精緻なプロット、個性あふれるキャラクターで描き出す「エロイカより愛をこめて」「アルカサル―王城―」「ケルン市警オド」……。少女マンガに新たな地平を切り拓いた現役レジェンド作家の傑作群に、アートと歴史、創作の方面から迫る1冊。初公開の秘蔵絵コンテにもご注目。いざ、疾風怒濤の青池ワールドへ!
〈第1部〉エロイカ篇
胸いっぱいの愛を、美しきものに捧ぐ
美術品泥棒と堅物少佐のハードボイルド・ワンダーランド
「エロイカより愛をこめて」
全員クセ強!
「エロイカ」キャラクター名鑑
至福の「エロイカ」妄想美術館
絵画室 有名無名にこだわりなし。狙った作品は逃さない
エロイカ初登場シーンを彩る妖しのブロンズィーノ
一目で恋に落ちた肖像画《紫を着る男》
出発点はジョルジョーネ
泥棒とスパイ、ミケランジェロで化かし合う
クラーナハを巡る大冒険
ルーベンス 豊満か三段腹か、それが問題だ
煌めくモザイク画のロマン
笑顔が多すぎる壁画に隠された謎を追え!
日本人画家イトー・タローのモデルは、あのひと
COLUMN
肖像画家ザイゼネガーとは何者?
エロイカ、アントワープへ行く
エロイカの守護聖人? 聖セバスティアヌス
コスプレの贋作者
彫刻室 彫像たちは誘惑する
理想美の体現者たち
石像と恋に落ちて……
メタボ犬、天使像を横取り
現代アートで危機一髪
チロルの如意輪観音円舞曲
工芸室 華麗なる職人技に食指が動く
宝冠と爆弾 女王も首相も唖然呆然
宝剣がもたらす至福と災厄
ケルトの黄金を我が身に
ビザンチン文様を完全再現! 瑠璃色絨毯
少佐から、まさかの贈り物!? マイセン食器
手稿本が導くご先祖さまの真実
再録エッセイ
ホイン「少佐」の肖像 文 青池保子
「エロイカ」アート・マップ
深読み青池ワールド(1)
“左向きのヨハネ”は何を語る? 文 浅野和生
〈第2部〉中世3部作篇
円熟のわざで紡ぐ、歴史悲劇と捕物帳
残酷王(エル・クルエル)と呼ばれた若者の愛と戦争の一代記
アルカサル―王城―
ドン・ペドロと12人の女たち
悩める剣豪修道士と修道院の愉快な仲間たち
修道士ファルコ
目じるしは赤マント まじめ役人の地道な推理劇
ケルン市警オド
海へ!荒野へ!躍動する青池流歴史ロマン
深読み青池ワールド(2)
青池作品にみる中世モード事情 文 伊藤亜紀
〈第3部〉創作のヒミツ篇
青池保子Interview
「エロイカ」そして、中世3部作の創りかた
初公開「アルカサル―王城―」のネームより
創る愉しさ、描く悦び
青池保子ヒストリー
秘蔵のスケッチ拝見! 構成+文 図書の家
書誌情報
読み仮名 | アオイケヤスコサワガシキオトコタチトマンガノボウケン |
---|---|
シリーズ名 | とんぼの本 |
装幀 | 「エロイカより愛をこめて」No.9「アラスカ最前線」SECT.6 扉絵原画 プリンセス1980年11月号/カバー、大久保裕文+深山貴世(ベター・デイズ)/ブックデザイン、nakaban/シンボルマーク |
雑誌から生まれた本 | 芸術新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | B5判変型 |
頁数 | 128ページ |
ISBN | 978-4-10-602307-1 |
C-CODE | 0379 |
ジャンル | コミック |
定価 | 2,200円 |
書評
語られざる作家を語る
青池保子は少女漫画家の枠を超えて漫画史に残る作家である。しかし、その業績や人気、実力のわりに語られることの少ない人でもあった。作家として不遇だったわけではない。が、萩尾望都や大島弓子など、いわゆる24年組のなかでも批評家の筆にあがる機会は少なかった。漫画評論に革命をもたらした橋本治でさえ青池について触れていた記憶はない。1980年に出版された漫画評論誌「ぱふ」での特集も、この雑誌にしては内容が浅かった。
なぜだろう。まずは彼女が徹底したエンターテイメント作家であったことがあげられよう。ギャグにせよシリアスにせよ、青池保子は読者を楽しませることにしか興味がない。“語られる作家”の条件である独特な表現、アカデミズムを刺激する哲学的嗜好や心理学的な考察。それらは娯楽には無用の夾雑物とばかりに切り捨てられる。早い話が「読めばわかる」から語る必要がなかったのだ。
そんな意味で評論家泣かせだった青池保子を新たに切り取った本が一冊にまとまった。もちろんふんだんなカラー原画をふくむ贅沢なヴィジュアル本の造りだ。が、それがただのイラスト集に終わらず、そこに込められた「意味」が解読できるようになっているのだ。知的エンタメ本としても読めるのが彼女のファンとしては嬉しい。
元になっているのは「芸術新潮」の特集で、これが予想を超えるヒットとなったため単行本化されたという経緯は興味深い。日本におけるアート誌の牙城が青池保子を取り上げたのは、もちろん画力の高さもあったろうが、彼女がしばしば作品内に芸術作品を登場させてきたからだろう。
思えば10代のころからいろんなことを青池漫画から教わった。わたしが最初に目から鱗を落としたのはシスティナ礼拝堂のフレスコ画にまつわるエピソード。ミケランジェロが完璧なるものとして出現させたキリストの姿を「全裸ゆえに破廉恥である」として後に坊さんが陰部を隠す腰布を描き足させたという逸話だ。青池の代表作『エロイカより愛をこめて』の主人公、天才的美術品泥棒のエロイカはその愚行を指して「気の毒に彼(引用者注:注文を受けた画工)は後世『ふんどし画家』とよばれたそうだが……」と憂う。
これはキリストのフレスコ画を勝手に修復してしまった近年の事件を思い出させる。もしわたしが『エロイカ…』を読んでいなければ、きっと老婆の蒙昧による笑えない笑い話として終わっていただろう。だが青池ファンならば神の名の下に件の坊さんがしでかした蒙昧に比べたら老婆の行為がいかに尊い信仰への愛情表現であるかに気づくことができる。
ことごとくエロイカに反目するNATO将校“鉄のクラウス”ことエーベルバッハ少佐や小銭にしか興味がないエロイカの部下ジェイムズ君、イギリス情報部おちゃらけエージェントのロレンス少尉などもいちいち己の価値観から好き放題に芸術を語るからたまらない。
そのたびに笑わされ、驚かされ、頷かされ、感心させられ、動揺させられ、まさに「騒がしき男たち」なのだ。青池保子は“語られる作家”でないかわりに“語る作家”なのかもしれないと、わたしはこの本のページを捲りながら考えた。幾人もの画工を雇い分業で大量生産したルーベンスの「価値」の在処を鮮やかに示し、ヴィーナスとキューピッドが接吻するブロンズィーノの名画「愛の寓意」を「まるで春画のようだ」と評するエロイカは、まさに彼女の視点で絵画を語っているといえよう。
それにしてもこうして改めて青池の芸術語りだけがピックアップされると、騒がしき男たちの台詞を通して彼女がいかに多彩で柔軟な視座を有しているかがわかる。ファンにとっては青池をより身近に感じるためのテクストだが、同時にまだこの作家の作品に馴染みのない人たちにとっては恰好の副読本であり美術鑑賞の目新しい手引きでもある。
価値観の変動もまた“語られる作家”の特徴だが、それには「芸術新潮」という語り部を待たねばならなかったということか。
本書ではまた伊藤亜紀による「青池作品にみる中世モード事情」がかなり最高だった。緻密な時代考証はときに画面を華やかにするためのポエティックジャスティスを織り込みながらも青池漫画を成り立たせる屋台骨となっているが、そのリアリティが読者を追体験に誘うという論評。僧衣の「色彩論争」の顛末などなかなかエキサイティング。
美術、衣服、装飾、建築、宗教、史実、恋愛観にいたるまで青池保子は読者を虜にするトラップを作品に張り巡らせている。願わくはこの本を通してより多くの人々が罠に引っかかってがんじがらめにならんことを。
(いりえ・あつひこ エッセイスト)
波 2025年2月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
青池保子
アオイケ・ヤスコ
1948年、山口県生れ。マンガ家。1963年、『りぼん』お正月大増刊号の「さよならナネット」にてデビュー。1976年に「イブの息子たち」でブレイク後、1977年より始まる「エロイカより愛をこめて」がさらに絶大な人気を呼び、ファンから愛されつづける長期シリーズに。1991年、「アルカサル─王城─」で第20回日本漫画家協会賞優秀賞受賞。2016年より『プリンセスGOLD』次いで『ミステリーボニータ』にて「ケルン市警オド」を連載中。2023~2025年には『漫画家60周年記念 青池保子展 Contrail 航跡のかがやき』を開催(神戸市立小磯記念美術館、下関市立美術館、弥生美術館)。