
身体の文学史
1,320円(税込)
発売日:2010/02/25
- 書籍
私が文学を語ると、こうならざるをえない――日本文学を読みかえる画期的論考。
三島由紀夫の割腹とホムンクルスの関係とは。芥川龍之介はなぜ中世に惹かれたのか。深沢七郎の真骨頂は一体なにか。日本文学の「転換期」とはいつなのか。他に、夏目漱石、森鴎外、小林秀雄、大岡昇平、石原慎太郎らの近現代文学の名作を、解剖学者ならではの「身体」という視点で読み直す、新たな歴史観を呈示する一冊。
加藤典洋氏との対談
書誌情報
読み仮名 | シンタイノブンガクシ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-603635-4 |
C-CODE | 0395 |
ジャンル | 評論・文学研究、ノンフィクション |
定価 | 1,320円 |
書評
波 2010年3月号より 「弱くて有限な身体」の取り柄
身体は弱く有限である。それが身体の取り柄でもある。手足も眼も耳もワンセットしかないし、骨も関節も細胞の数も有限である。切れば血が出るし、叩けば折れる。必ずいずれ病み、壊死し、腐ってゆく。私たちはそのような「ありもの」を使い回してしか生きられない。「手元の有限の資源をどう使い回すか」というのが身体問題の立て方である。
脳は人間的尺度を超えた荒誕な想念をいくらでも生み出すことができるが、脳が身体の一部である以上、それらの活動はほんらい身体固有の規矩に従うべきなのである。身体的自然を主とし、脳的人工を従とするマインドセットのことを養老先生は「身体主義――そんなものがあるとしたらの話だが」と呼ぶ。そして、日本の文化史を身体主義の没落と心理主義の勃興という大きな流れにおいてとらえようとする。
中世までの日本人は病み、傷つき、破壊されるおのれの生身という自然の切迫のうちで生きていた。だが、近世になって身体は組織的に社会から排除される。「なぜなら、身体とは人が持つ自然性であり、自然性の許容は、乱世を導くと考えられたからである。」
脳化傾向すなわち文明は必ず自然を馴致し、統制し、排除しようとする。江戸期に達成された「無身体」の直接的延長上に近代日本は成立し、近代日本文学もその無身体性を刻印される。
江戸にはまだ多少の自然が残っていた。「たえず災害が起こり、当時の技術は、それを統御するすべを持たなかった。そこではいわば、やむをえず、人々は実証的であるほかはなかったのである。」「実証的」というのはさきほどの言い方を使えば“やりくり”ということである。
しかし、明治・大正のテクノロジーは自然を都市の外へ放逐することについに成功してしまった。身体を排除した後、都市住民たちにはもう関心事としては「自分のこころ」だけしか残されていない。それゆえ、作家たちは自分のこころをモニタリングするようになったのである。
彼らはもっぱら自身の感情の起伏を、愛憎を、嫉妬や劣情を自然科学者のようにクールに観察し、記述することに精魂を傾けた。養老先生はこれを「心理主義」と呼ぶ。「要するにすべてを心理に還元し、解釈してしまおうとするやり方である。」
広義の心理主義は漱石に始まり、自然主義私小説から社会主義リアリズムに至るおよそ「心を主とし、身体を従とする」すべての文学に伏流している。それはついには政治イデオロギーの衣装さえまとった。軍事とはほんらい「腹が減ってはいくさができぬ」という身体的合理性とクールな算盤勘定の上に成立するもののはずだが、わが戦争指導部は最終的には「心理」(大和魂)という武器だけで戦えると思い込むところまで心理主義的に狂ってしまったのである。
そのような大づかみなスキームで養老先生は芥川龍之介、志賀直哉、徳田秋声から大岡昇平に至る近代文学史を、身体をとらえそこない続けてきた失敗の歴史として考察する。文学が身体をとらえ損なうのは、それが「暗黙の枠組み」、すなわち養老先生の言う「世間」(あるいは「バカの壁」)の問題だからである。「その枠組みのなかにすっぽり入れられてしまった相手には、もはやそれは説明のしようがない。」
養老先生はたまたま「世間の圧力」が希薄な時代、軍国主義が終焉し、それに代わるイデオロギーがまだ登場する前のイデオロギー的な「空隙」期に少年時代を送った。だから、先生の眼には文学者たちが嵌り込んでいる臆断の檻が見える。『身体の文学史』は三島由紀夫の自殺で筆を擱いているが、それからあとの半世紀の現代文学史についても養老先生の知見は引き続き妥当するだろうと私は思う。有限のものとしてのおのれの身体に対する(敬意を含んだ)対話的関係を作品のなかに構築しえた何人かの例外的な作家を除いて。
担当編集者のひとこと
身体の文学史
「私が文学を語ると、こうならざるをえない」 本書は、「新潮」での連載をまとめた単行本『身体の文学史』(平成9年刊)、その同名の文庫版(平成13年刊)を経て、読者からの途切れることのない根強い反響をいただき、このたび選書化の運びとなりました。文庫版のために寄せられた多田富雄氏のすばらしい解説はそのまま収録し、さらに加藤典洋氏と著者の興味深い対談をこの選書のために行い、巻末に追加しております。
また、『日本辺境論』(新潮新書)のような作品が売れる時代だからこそ、あらためて本書が読み直される時機なのではないかと考え、その著者である内田樹さんの推薦の言葉を選書版の帯に新たに頂戴した次第です。「史上最強の文芸評論。(養老先生に怖いものなし)」というものです。
現在72歳の著者が50代の頃に書いたこの作品は、まったく古びておらず、いま、この時代だからこそ読まれるべき一冊です! ぜひご一読いただき、新しい世界像を感じてみてください。
2016/04/27
著者プロフィール
養老孟司
ヨウロウ・タケシ
1937(昭和12)年、神奈川県鎌倉市生まれ。解剖学者。東京大学医学部卒。東京大学名誉教授。1989年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。2003年の『バカの壁』は450万部を超えるベストセラーとなった。ほか著書に『唯脳論』『ヒトの壁』など多数。