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靖国神社の祭神たち

秦郁彦/著

1,540円(税込)

発売日:2010/01/29

  • 書籍

合祀基準の変遷を追って初めて見えてきた「靖国」の真の姿――。

戊辰戦争の官軍戦没者から先の戦争のA級戦犯まで、祭神の数は二四六万余柱にものぼる。主神は一社に一人が原則の中、これほど異例の神社は他にないだろう……。今までほとんど論じられることのなかった合祀基準とその歴史的変遷に焦点をすえることによって、ヴェールに包まれた「靖国」の全体像を初めて顕わにする。

目次
第一章 東京招魂社の誕生――幕末・維新の殉難者
慰霊と顕彰の世界/戦没者と国事殉難者の系列/「昨日は賊軍、今日は官軍」/招魂祭と招魂社/靖国の「聖旨」とは/迷い子の米沢藩士/土佐勤王党が先頭/明治二十年代の大量合祀をめぐって
第二章 対外戦争の時代へ――日清・日露戦争
「招魂社へお嫁に」/八甲田山の遭難者は/拡大されていく合祀基準/贈位ラッシュの表裏/史談会と議会の合祀運動/浜田隊と赤報隊の始末/「特別を以て」の殉難者/女性の祭神たち(1)
第三章 変わりゆく合祀基準――第二次大戦期
「聖なる一瞬」の社頭/合祀の手順と基準/戦陣訓と捕虜/爆弾三勇士と空閑事件/靖国の捕虜事情/合祀の定型と非定型/ノモンハンの未合祀者たち
第四章 別格官幣社から宗教法人へ――終戦と占領
不死鳥のように/終戦と靖国の再出発/GHQとの攻防/主導は国か靖国か/ゼロ歳児も「戦闘参加者」へ/五百余人の責任自殺者/約千人のBC級戦犯
第五章 A級合祀の日――一九七八年十月
半年後のスクープ記事/相殿か鎮霊社か/松平永芳――靖国のゴーン?/「そちらの勉強不足だ」/残された謎/お節介がすぎた諫言癖/東京裁判と精神復興/「それが私の心だ」/「親の心子知らず」
第六章 「薄れゆく体験と関心」のなか――そして将来は
細っていった合祀の流れ/残務整理のあれこれ/合祀されなかった人たち/非定型の合祀者たち/女性の祭神たち(2)/苦境を切り抜けた護国神社/話題になった五つの護国神社/鎮霊社の春秋/A級分祀(廃祀)に先例?/不人気の国立追悼施設案/見えにくい将来像

付属資料
あとがき
図表索引
索引(人名、事項)

書誌情報

読み仮名 ヤスクニジンジャノサイジンタチ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-603654-5
C-CODE 0314
ジャンル 日本史
定価 1,540円

書評

A級戦犯合祀もするどく追及

松本健一

 数年まえ、小泉純一郎首相の靖国参拝をめぐって、日中間の外交が途絶えたことがあった。そのとき、EU25国の駐日大使や外交官がわたしに、靖国神社とはどんな神社か、また靖国問題とは何かについて講演してくれないか、といってきた。
 そんなことは外務省で教えてもらったらどうか、と答えた。すると、外務省では誰も教えられる人がいないということなので、あなたに話してもらいたい、という答えが返ってきたのである。そこで、会場に指定された、EU議長国のルクセンブルグの大使公邸に出かけてゆくことになった。
 わたしが講演のあとの質疑応答で、靖国神社には国事殉難者が祭られることになっているが、西郷隆盛は祭られていない、とのべた。すると一様に、信じられない、日本でいちばん尊敬されている国事殉難者なのに、という声があがったのだった。
 その声をききながら、これは靖国神社が祭っている殉難者の基準は何か、またそれはどう変わってきているのか、改めて調べてみる必要があるな、とおもったことだった。しかし、その後、わたしが昭和天皇に関する連載をはじめたこともあり、また靖国神社のA級戦犯合祀をめぐる昭和天皇の発言、いわゆる「富田メモ」の出現などもあって、じぶんでその調査をおこなうことはしなかった。
 こんど秦郁彦さんが『靖国神社の祭神たち』を著わしてくれたので、それを読むと、わたしが疑問におもって調べようとしていたことがほとんど解明されていた。その意味で、じつに有難い本であった。
 本書によれば、靖国神社の祭神には「カテゴリーを異にした二系列」がある。すなわち、数的には圧倒的多数を占める「対外戦争の戦没者」と、「維新前後の国事殉難者」とである。
 後者についていえば、靖国神社の前身が長州藩をはじめとする各藩が個別に設けた招魂社であることを考えれば、各藩によってその祭祀の基準が異なって当然であろう。ちなみに、その「最後の合祀者」が二本松藩士の三浦権太夫(32歳)で、じつに死後六十七年を経てからの認定であったという。また、戊辰戦争で「賊軍」とされた南部藩出身の原敬(当時、内相)が、大正四年の合祀に関して上奏書を出した理由も、おのずから納得できるだろう。
 しかし、靖国問題のより大きな、そして今後解決されるべきテーマが、前者のカテゴリーに入れられたA級戦犯の合祀であることは論をまたないだろう。この点に関する秦さんの追及は、かれが「富田メモ研究委員会」の一員となったこともあって、きわめて鋭く、明快である。
 A級戦犯の合祀は、昭和五十三年(一九七八年)、松平永芳(福井藩主・松平春嶽の孫)という新宮司の独断によって成された。このことが明らかになったとき、神社本庁の理論家で右翼にも影響力をもっていた葦津珍彦は、これに抗議した。
 本書は靖国問題をめぐる、現時点での最良の解説書といっていい。

(まつもと・けんいち 作家・評論家)
波 2010年2月号より

担当編集者のひとこと

合祀基準の変遷を追って初めて見えてきた「靖国」の真の姿――

 そもそも靖国の前身である東京招魂社は、明治二年に、幕末・維新前後、天皇と天皇の統率する軍隊のために忠節を尽くした死者、国事殉難者を祀るために建てられたものでした。具体的にどのような人物が祀られているか、ご存知でしょうか?
 古くは、吉田松陰に溯ります。そして坂本龍馬、高杉晋作、大村益次郎……。ただ意外に、祀られていそうで祀られていない著名な人物もたくさんいます。例えば、西郷隆盛、佐久間象山、江藤新平、等々。彼らは、その歴史的偉業はともかく、最終的に「賊軍」とされてしまったり、不名誉な死に方のせいで合祀の基準から外れてしまったのです。あるいは、こんな例もあります。幕末の蛤御門の役で「朝敵」となった長州の久坂玄瑞、来島又兵衛は祀られ、逆に御所を守った会津藩兵は、(当時は)誰一人祀られることはありませんでした。本来、祀られる側が祀られることなく、天皇に弓引いた側のみが祀られているのです。
 全ては、その時代ごとによって決められた合祀基準によってのことでした。戊辰戦争の国事殉難者から、先の戦争に至るまで、その合祀基準の変遷を追っていくと見えてきた、神社の全体像! それは、A級戦犯合祀のカラクリを明らかにし、また、その政治的論争の「ゴルディアスの結び目」を解く鍵ともなるはずです――。

2010/01/29

著者プロフィール

秦郁彦

ハタ・イクヒコ

1932(昭和7)年山口県生まれ。現代史家。第二次大戦を中心とする日本軍事史が専門。東京大学法学部卒。防衛大学校、プリンストン大学、拓殖大学、千葉大学、日本大学などで教鞭をとる。『陰謀史観』『慰安婦と戦場の性』『明と暗のノモンハン戦史』など著書多数。

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