私の日本古代史(上)―天皇とは何ものか――縄文から倭の五王まで―
1,650円(税込)
発売日:2012/12/21
- 書籍
- 電子書籍あり
「中国・朝鮮との関係を見つめ、記紀神話の敗者に寄りそう――弱い者の立場に立つ“上田史学”の集大成」梅原猛
古代史とは「日本」の深層を探ること――日本という国号はいつ成立したのか? 大王家はなぜ天皇へと変わったのか? 万世一系に断絶はなかったのか? そして最大の謎、『古事記』は果して偽書なのか? 縄文以前から国家としてのシステムが整う天武・持統朝まで、通史として俯瞰し見えてくる新たな歴史像!
第一章 列島文化のあけぼの
第一章 倭人の軌跡
第一章 ヤマト王権の展開
第一章 王族将軍の派遣
書誌情報
読み仮名 | ワタシノニホンコダイシ1テンノウトハナニモノカジョウモンカラワノゴオウマデ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 352ページ |
ISBN | 978-4-10-603720-7 |
C-CODE | 0321 |
ジャンル | 日本史 |
定価 | 1,650円 |
電子書籍 価格 | 1,320円 |
電子書籍 配信開始日 | 2013/06/28 |
書評
我も彼も生きるための「必生」の古代史
日本史の、それも古代史というサブジェクトに沿う叙述が、社会的に果たしうる役割、つまりは読む人々にもたらすものとは何であろうか。千年とか千五百年とかも前に起きた出来事で、起こったことへの好奇心、つまりは自分で確かめることのできない事象を知ることができたという満足のほかには、そこから暮らしに役立つ具体的な何かを学べるというわけでもない。
ではそれはただ過ぎ去ってしまった時間であり、我々とは無関係なのかというと、そうではない。著者が古代史研究に情熱を燃やし続けて現在にいたっている理由でもあるのだが、それは過ぎ去った古代を「生ける古代」として構築することである。ある意味楽でもある象牙の塔的世界に閉じこもることなく、得た成果の社会への還元をたえず目指して、本書は「列島文化のあけぼの」から「国家のシステムがととのう」八世紀ころまでを対象として叙述されている。たしかにこの時代ははるかなる古代ではあるが、それは「現在の日本国家のありようにつながっている」のであり、今の国家や社会の原点となっており、この時代を見極めることが現代・未来を築くためのエンジンになるという確信のもとでの執筆であるといえよう。
叙述の態度は、極めて実直かつ公平で、根拠のない推測、いわゆるロマンなどとはもとより一切無縁である。それは著者の終始一貫する研究態度であるが、本書に則して例示すれば、まずは国際的環境への広く深い視野があろう。今や常識だが、先鞭をつけたのはまぎれもなく著者であった。本書でも朝鮮・韓国史や中国史の成果が正確に吸収されており、周到な眼差しが注がれている。尽きることのない飽くなき探究心と知識欲がそうさせるのであろうが、よくもここまで国内外の調査・研究情報に目を配り得たと思えるほどである。日本の古代は海外、特に東アジア世界との豊かな交流・交渉のもとで形成されてきたが、それがただ理屈のみでいわれるのでなく、実証によって語られている。珠玉の古代史といってよい。
神話・伝承についても豊富な叙述がなされている。歴史研究者がともすれば避けがちなこの課題に著者が早くから取り組んだこともよく知られているが、それを史実の反映、あるいは逆に空想所産と単純に見るのでなく、透徹した史眼でもって神話・伝承と史実の行き交いの様相が分析される。
ところで著者はまたこの度の戦争に大きな負債感を持ち、戦後沖縄について「いったい幾人が、その痛みをわが痛みとしてうけとめることができたか」と述べ、終戦時の「十九歳の虚脱と懐疑をスタートとして」、つまりはその克服から始まった歴史研究であることを正直に告白している。古代にけっして沈潜・耽溺することなく、たえず現在におけるその社会化に渾身の力を今もささげ続けている著者の、我も彼もが必ず生きようとする覚悟をこめた文字通りに「必生」の作品であろう。
波 2013年1月号より
担当編集者のひとこと
現代にダイナミックにつながる千年、千五百年前のこと
日本史は、ドラマでも書籍でも人気のジャンルです。今年(2012年)のNHK大河ドラマこそ低視聴率に喘いでいたようですが、時代設定が戦国や幕末、あるいは近代史であれば手堅いようです。書籍の世界でも、歴史小説・時代小説が定番的なジャンルであるのはもちろんのこと、最近は「昭和史」「幕末史」「世界史」など、時代や地域を大括りに俯瞰してみる「教養書としての通史」も評判になっているようです。読者は四〇代、五〇代のサラリーマンが多勢とのこと。仕事や生活に生かせるヒントを歴史の中に見出そうとしているのかもしれません。日本人は本当に歴史好き、そして勉強好きなのですね。
ところが、古代史となるとどうでしょう? 「古代史ファン」がいらっしゃるのは確かですが、千年や千五百年も前に起きた出来事では史料も限られ、ドラマなどにはしづらいでしょう。書店で古代史のコーナーを覗いても、「邪馬台国はどこにあったか」「出雲王朝の謎」「日本人のルーツを探る」といった、ピンポイントのテーマに絞ったものが多いように見受けられます。漠然と「古代通史」では、仕事や暮らしに役に立つ何かを見つけにくく、「とりあえず無関係」と思われてしまうのかもしれません。
しかし、本当に古代史は現代の私たちと「無関係」なものなのでしょうか? 古代という遠く大きなスケールの時代をあらためて俯瞰し、その中に入り込んで精査してみることによって、現代の私たちが「当たり前」と思っている存在や事柄の根幹が見えてくることはないでしょうか。
たとえば、「天皇」について。そもそも天皇はいつから、どのような形で存在するようになったのか、なぜ万世一系なのか――。あるいは「日本という国家」の成り立ちについて。日本の国号はいつ、どのように成立したのか。日本が中国や朝鮮半島など近隣諸国との関係の中で国家として認められたのはいつのことか――。さらには私たちの身近にある「神社仏閣」について。日本人に根付いた宗教観はどのように形成されていったのか――。
著者の上田正昭さんは、『古事記』や『日本書紀』の神話研究をはじめ宗教学、民俗学、考古学を総合し、また広く東アジア全体をも見据えた幅広い視点から古代の本質を問い続けてきた歴史学者です。千年、千五百年前の時代が、いかにダイナミックに現代の生活につながっているか、本書をご一読くだされば、きっとわかっていただけるはずです。
2012/12/21
著者プロフィール
上田正昭
ウエダ・マサアキ
(1927-2016)1927年兵庫県生まれ、歴史学者。京都大学文学部史学科卒業。京都大学教授、大阪女子大学(現大阪府立大)学長、島根県立古代出雲歴史博物館名誉館長などを歴任。東アジア全体を視野に入れた古代史研究で知られる。著書に『日本神話』(岩波書店)、『上田正昭著作集 全八巻』(角川書店)、『私の日本古代史 上下』(新潮社)など多数。2016年没。