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新・幸福論―「近現代」の次に来るもの―

内山節/著

1,210円(税込)

発売日:2013/12/20

  • 書籍
  • 電子書籍あり

日本はなぜ「幸せでも不幸でもない社会」となってしまったのか?

政治、経済、思想――近現代の先進諸国は、常に「目標」に向かって突き進んできた。到達すれば、幸福な社会が待っている、と。が、たどり着いたのは、手ごたえのない、充足感の薄い成熟社会だった。18世紀のヨーロッパ、明治維新後の日本まで遡り、近現代の構造と宿命を解き明かし、歴史の転換を見据える大胆な論考。

目次
まえがき
第一章 こわれたイメージ
第二章 何が終わろうとしているのか
第三章 遠くに逃げていく
第四章 転換期の映像
第五章 新しい胎動
終章 振り返る先に
あとがき

書誌情報

読み仮名 シンコウフクロンキンゲンダイノツギニクルモノ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-603738-2
C-CODE 0395
ジャンル 社会学、ノンフィクション
定価 1,210円
電子書籍 価格 968円
電子書籍 配信開始日 2014/06/27

書評

「個」ではなく「関係」を生きる時代

藤原章生

 私が暮らす福島県郡山市には原発避難民の仮設住宅が幾つもある。狭い「長屋」には、突然故郷を奪われた人々の結束、親和がある。自然にまとまったのではない。ばらばらの個の結び目には必ず、人との「関係」を好む慈愛あふれる住人がいる。この「人との関係」こそが本書の鍵だ。
「私たちはどんな時代を生きているのか」。内山節氏はこう書き出す。「確かなものと感じられていたものが、次々に遠くに逃げていく」虚無の中に私たちは生きている。「大きな企業に勤めれば生涯安泰」「国家が私たちを守るという常識」は遠のき、代議制民主主義も経済成長も虚無となり、資本主義も「とりあえずその内部にいる他ないがゆえにかかわっている」にすぎず、人々はすでにそこにも「虚無をみいだしている」。
 日本に限った話ではない。世界の論壇では「価値観の転換」が大きなテーマだ。米国を除けば先進諸国は生産年齢人口が頭打ちで、いずれ生産は落ち、新興国、途上国と同レベルに収束していくいわゆる「コンバージェンス(収斂)」の時代。成長に頼らない生き方が模索される中、雇用を生まない企業優先の「成長戦略」は、「価値観の転換」を前にした最後のあらがいにも見える。
 内山氏は近代化が始まる18~19世紀の潮流、ロマン主義に着目する。詩人ワーズワース、作家ゲーテ、思想家ルソーらに共通する自然回帰。非合理を否定しない神秘主義。欧州思想に疑問を抱くオリエンタリズム――など近代化を疑う思想は今も脈打っていると言う。自分の哲学を「ロマン主義の流れ」と捉えながらも、氏はそれを踏襲しない。ロマン主義は、生産に結びついた労働をはじめ、人間性や自然と人との関係の「喪失」を問題視し、個の確立で克服しようとした。だが、内山氏は「喪失」ではなく、あくまでも遠くに逃げただけだとみる。つまり回復可能だと。
 さらに、解答を「個」に求めず、人と人との「関係」に目を向けよと説く。「(個に求める)かぎり人間の本質は抽象化され、現実との折り合いがつけられなくなる」「人間の本質は関係のなかにある」「私たちの社会は(略)幻想からようやく解き放たれはじめた(略)自由は個人のなかにあるという幻想から、個人を自由にする結び合いの模索へ」と。
 ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロスは2年半前、評者とのインタビューで現代を「未来の見えない最も不幸な時代」と語りながらも、近い将来「扉は開く」と予言し、こう結んだ。「経済取引が第一ではなく、人間同士の交わり(関係)がすべての基本となる世界を、私たちは想像できるだろうか」
 やはり「関係」を重んじる内山氏はさらに一歩踏み込み、どうしたら人同士の関係に「自分の生きる場」を見いだせるのか、それを探れと一人ひとりに呼びかけている。

(ふじわら・あきお 毎日新聞編集委員/郡山支局長)
波 2014年1月号より

担当編集者のひとこと

家族の風景

 最近、町を歩いていると、赤ちゃんをよく見かけませんか? 夫婦でベビーカーを押していたり、お父さんやお母さんが、懐にベイビーを抱えていたり。少子社会と言われているから、気のせいなんですかね。会社内や友人関係など自分の周辺で出産する女性も増えてきたような気もします。
 一昨年くらいでしょうか、東日本大震災が起きてから、結婚に踏み切り出産した人が増えたと、新聞記事で読んだことがあります。震災後、「家族を作りたい」「絆がほしい」という人が多くなったと、まことしやかにその記事はまとめられていました。
 本書の著者である内山さんと食事をしている時、その話になり、彼はこう言っていました。
「震災のせいで増えたわけではなく、そういった社会的な下地があったところに震災が起こり、それがトリガー(きっかけ)になったんだと思うんです」
 身の回りから「確かなもの」が、どんどんなくなっていってます。「確かなもの」というのは、手ごたえのある、信じることができる、幸せや生きている充実感、達成感を与えてくれる「他者との関係」です。
 政治も、会社も、胸躍る目的を提示できずに、“私たち”との距離をどんどん広げていってます。その関係には、温かいものがまったくと言っていいほど通いません。それが、成熟した先進国の宿命なのだと、内山さんは指摘しています。
 では、2014年の成熟社会に生きる私たちは、厭世的にしか毎日を過ごせないのでしょうか?
 いや、そうではないと思わせてくれるのが、町で見かける赤ちゃんの存在です。この本を読んでから、町で目にするそうした家族が少しちがって見えてきました。
 実際に生まれてくる赤ちゃんの数が増えているのではなく、連れ立って外出する家族が、私の目に入ってくるだけなのかもしれません。そうであったとしても、私には彼らがこう言っているような気がするのです。確かな関係と言えるものは、ここにしかない、と。

 先進国が到達する成熟社会とは、「あらゆるものが遠くに逃げてしまった」社会であると、内山さんは書きます。そうした社会で、幸福を感じる生き方ができるのは、「関係」を重んじる生き方しかないのだと言います。
 子連れ一家の光景は、新しい時代の予兆なのかもしれません。

2013/12/20

著者プロフィール

内山節

ウチヤマ・タカシ

哲学者。1950年、東京生まれ。群馬県上野村と東京を往復しながら暮らしている。著書に『「里」という思想』(新潮選書)、『文明の災禍』(新潮新書)、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)、『いのちの場所』(岩波書店)など。

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