戦争の日本中世史―「下剋上」は本当にあったのか―
1,650円(税込)
発売日:2014/01/24
- 書籍
- 電子書籍あり
源平合戦から応仁の乱まで、中世の二百年間ほど「死」が身近な時代はなかった――。
手柄より死を恐れた武士たち、悪人ばかりではなかった「悪党」、武家より勇ましいお公家さん、戦時立法だった一揆契状……「下剋上」の歴史観ばかりにとらわれず、今一度、史料をひもとき、現代の私たちの視点で捉え直してみれば、「戦争の時代」を生きた等身大の彼らの姿が見えてくる。注目の若手研究者が描く真の中世像。
あとがき
書誌情報
読み仮名 | センソウノニホンチュウセイシゲコクジョウハホントウニアッタノカ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 336ページ |
ISBN | 978-4-10-603739-9 |
C-CODE | 0321 |
ジャンル | 日本史 |
定価 | 1,650円 |
電子書籍 価格 | 1,320円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/07/25 |
書評
不勉強な者ほど観念に走る
〈著名人が薦める〉新潮選書「私の一冊」(6)
経緯は忘れたが高校生の頃、日本史の先生が水戸光圀の話を始め、「水戸黄門のTVドラマは欺瞞の最たるものだ。光圀は庶民を助けるが、そもそも庶民を困らせるような社会を作ったのは支配階級である武士たちだ」という意味のことを言った。
当時の僕は、その議論の新鮮さと視点の置き方の斬新さに「なるほどっ」と膝を打ったものである。だが、いまとなっては、「そうは言ってもあの当時はあれが限界で、黄門さんもその時代の中でできることをやったんじゃないっすか」と思い、その先生の話を「無理があったなあ」とたまに思い出すことがある。
この日本史の先生の歴史の捉え方は、本書でいう「マルクス主義の歴史観」あるいは「唯物史観」であろう。本文の言葉を要約すれば、搾取されている被支配階級が、支配階級に挑み社会を変革させていく、その階級闘争をもって歴史を評価するという歴史観である。
本書はこの「唯物史観」に加え、先の大戦後の「反戦平和主義」が歴史、とりわけ戦に対する解釈に影を落としていると指摘する。過去の研究を踏まえつつ、それらの史観と主義を排除しながら語られる本書の戦は、僕にとってストンと腑に落ちるものだった。
「そういや、何か変だと思ってたんだよ」と思いながらも言葉にできず、「でも日本史の本に書いてあるんだからそうなんだろう」と思って放っておいたあの合戦や事柄が、実に人情にかなった形で語られる。「蒙古襲来」について教科書で語られ印象深いのは、当時の鎌倉武士は一騎打ちが基本で、集団戦を基本とする蒙古軍に名乗りを上げているうちに討ち取られたということだろう。
この歴史を教えられた際、「何で鎌倉武士も集団で向かっていかなかったんだろう」と明確には思わなくても、「嘘でしょ」ときょとんとした覚えのある人は多いのではないか。でも教科書が言ってるんだから仕方がない。そんなものだったのかも知れんと首を傾げながら、授業は先に進んでいるという具合だったのではないだろうか。
周知の通り、蒙古軍は優勢にもかかわらず船に引き上げ、撤収の途中で嵐だか台風だかに遭い、壊滅的な被害を受ける。だが、優勢なのに撤退したのはなぜか。本書の回答は単純である。考証は本文が面白いので省くが、「鎌倉武士が強かったから」だ。では、なぜ鎌倉武士は弱いとされたのか。本書では「反戦平和主義」の影響から「鎌倉武士は強かった」「日本軍は強かった」と主張することが憚られる風潮が生まれたのではないか、と指摘する。
かといって本書の筆者は、日本人は唯物史観と反戦平和主義から脱却し、戦後レジーム(体制)から抜け出せと主張したいわけではない。このことは終章で語られるが、そのバランス感覚が絶妙で、具体を知る人の言葉だなと痛感した。不勉強な者ほど観念に走るものである。
(わだ・りょう 作家)
波 2014年2月号より
担当編集者のひとこと
唯物史観の「下剋上」を取り外して見えてくるもの
日本史の教科書で中世史を語る際、必ずと言っていいほど出てくる言葉に「下剋上」があります。「武士や民衆など、台頭する新興勢力が上の者に取って代わる」こと、それをもって長きにわたる既存の秩序が解体され、中世は後の戦国時代へとつながる、社会の変革期と位置づけられています。
そもそも「下剋上」の語源は、六世紀の中国、隋の時代の書物に溯るもの。それが日本に渡り、『源平盛衰記』の中に用例が見られるなど、十二世紀の初頭頃から使われ始めたようです。特に鎌倉幕府滅亡後の混乱期、京の二条河原に「下剋上する成出者(なりでもの)」との落書が描かれ、人口に膾炙するようになりました。農民は領主に反抗して一揆として蜂起し、武家の家臣は主家を滅ぼして守護、戦国大名に成り上がる――確かにそれはドラマチックな歴史観であり、乱世の社会風潮を表す分かりやすいキーワードなのかもしれません。ただ果して、この「下剋上」のみで中世という時代を見る尺度としてしまってよいのでしょうか?
どうやら、中世=「下剋上」の固定観念は、戦後に普及したもののようです。先の大戦への反省から、戦後の歴史学の主流は反戦平和主義の色濃い唯物史観が占めるようになりました。搾取されていた被支配者階級が支配者階級に戦いを挑む、いわゆる「階級闘争」を思わせる「変革期」「革命」などの言葉と「下剋上」が重ね合わさり、一気に中世の代名詞となっていったのでした。そしてその中世史観は、六十年以上経った今日でも未だに変わらず教科書で教えられる通説となったままというわけなのです。
本書は、この「下剋上」の“足枷”を一度完全に外してしまい、中世を「戦争の時代」として顧みようと試みた一冊です。二百年にわたる内乱期に行なわれた「戦」を変に捻じ曲げることなく、文献史料を虚心にひもとき、軍事軍略上の物理的な側面はもちろん、当時の人々がどのような意識、認識を持っていたのかまでも、丹念な検証を試みました。そしてそこには、今日の我々と少しも変わらぬ等身大の中世の人々の素顔が見えてきたのです……。
2016/04/27
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著者プロフィール
呉座勇一
ゴザ・ユウイチ
1980年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻は日本中世史。2022年10月現在、信州大学特任助教。主な著書に『戦争の日本中世史』(新潮選書、角川財団学芸賞受賞)、『応仁の乱』(中公新書、48万部突破のベストセラー)、『陰謀の日本中世史』『戦国武将、虚像と実像』(いずれも角川新書)、『頼朝と義時』(講談社現代新書)、『日本中世への招待』(朝日新書)、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)など。