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誤解学

西成活裕/著

1,320円(税込)

発売日:2014/05/23

  • 書籍
  • 電子書籍あり

あなたはなぜ他人から正しく理解されないのか?

人類が誕生して以来、国家間から男女の仲まで、「誤解」がもとでの悲喜劇は絶えることがない。それは恨み、嫉妬、断絶、争いを呼び、時には歴史を変え、芸術を生み、科学を発展させてもきた。人間とは切っても切り離せない「誤解」の、原因や種類からメカニズム、対策まで、気鋭の渋滞学者が系統立てて考察した前代未聞の書!

目次
まえがき
第一章 誤解とは何か
9つの典型/その1 世代間の会話/その2 説明不足/その3 聞き違い/その4 記載ミス/その5 異文化交流/その6 男と女/その7 インターネット/その8 詐欺/その9 健康に関する誤解/誤解と笑い/誤解が生み出す価値
第二章 誤解の理論
ミニマムモデルを考える/困難は分割せよ/真意のむずかしさ/誤解の定義と限界/コミュニケーションのモデル/再び誤解の定義とは/「合意する」とは何か/言った、言わない/交渉は先に切り出せ/伝える力と理解力/弟子は師匠を超えられない
第三章 誤解の原因
コミュニケーションの渋滞/伝え手側の問題/相手のことを知る/渋滞回避のための「間」/言語の持つ限界/ノンバーバルの重要性/受け手側の問題/先入観と一般化/曖昧さの排除/信頼関係の大切さ/難しいロジック/盲信は危険
第四章 誤解の後で
三つの分類/収束型/原因からの対策/誤解の解消と合意の違い/発散型/中立型/自己防衛と自己拡大/あきらめが肝心
第五章 誤解と社会
経済と平均値の誤解/相関と因果の誤解/資本主義と成長の誤解/無駄とゆとりの誤解/科学技術と便利さの誤解/渋滞における誤解/三つの合意形成と誤解
あとがき
参考文献

書誌情報

読み仮名 ゴカイガク
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 200ページ
ISBN 978-4-10-603746-7
C-CODE 0334
ジャンル 社会学
定価 1,320円
電子書籍 価格 1,056円
電子書籍 配信開始日 2014/11/28

書評

誤解する方程式

高橋秀実

 著者の西成活裕さんは「よく誤解される」人らしい。誤解されるがあまり「人間不信や、ひどい時には自暴自棄になって長い間自分自身を見失ってしまったこともあった」という。かなり深刻に悩まれた様子で、そういう人が「誤解」のメカニズムについて徹底的に研究したのだからリアルな誤解論にちがいないのだが、研究成果もまた誤解されそうである。実際、私も本書を誤解しているのではないかと心配になり、何度も繰り返し読み直した。しかし「誤解」を誤解するというのも妙な話で、誤解は誤解することで正解に転じるような気もしたのである。
 本書は古今東西の歴史的な誤解事例を紹介しつつ、そこから「誤解」のモデル化を試みる。名付けて「IMV分析」。世界初の誤解理論になるそうだ。
 私なりに要約させていただくと、まず情報の伝え手と受け手を設定する。伝え手は真意(I)を抱いており、その真意のもとでメッセージ(M)を発する。受け手はMを受け取り、その意味を解釈(V)する。流れとしてはI→M→Vとなり、最終的にVとIが一致するか否かを見る。V≠Iが「誤解」なのである。単純な組み合わせとしては8通りの可能性があるが、論理的にはI=MでかつM=Vであれば必ずV=Iになるので、実際に起こり得るのは次の5通りしかないらしい。

 1、I=M=V=I
 2、I=M≠V≠I
 3、I≠M=V≠I
 4、I≠M≠V=I
 5、I≠M≠V≠I

 1、は完全理解で、5、は酔っ払い同士のような意味不明なコミュニケーション。2、は「伝え手は素直に話をしているが、受け手がひねくれて受け取ってしまい」真意が伝わらないケースで、3、は例えば、伝え手が詐欺師で受け手が騙される場合に当てはまるという。4、は伝え手が詐欺師であっても受け手が真意を見破って騙されないことなどを示しているそうだ。現実のコミュニケーションはもっと複雑なので、それを反映させるべく、MからVに至る途中に理解(U)という因子が挿入される。M→U→Vとなるわけで、同じM≠VであってもM≠UとU≠Vのふたつの可能性が見いだされるわけだ。さらに受け手が伝え手となってIをフィードバックさせることがあるので、Iも変化するものととらえて、その変化の度合いを「頑固度(K)」という指標にし、VとIのズレを「伝達度(G)」で表わしたりする。こうした数式的処理から「交渉では最初に会話を切り出したほうが有利になる」「Kの値によって最終合意がどこに行きつくか予言できる」「KとGが1以外の値で一定ならお互いが真意合意することはない」などの定理が発見されたのである。
 なるほど、と感心したかったのだが、正直言えば、これは私の理解(U)を超えているようだった。数式的に表現するとM≠UでV≠Iの可能性が極めて高い。なぜそうなるかというと、因子の一つひとつが誤解を生みそうなのである。誤解を精緻にモデル化すると逆に誤解しそうな因子が増えていく。誤解を理解しようとするとますます誤解が増幅するような気がするのである。日常のコミュニケーションを振り返るに、そもそも私に真意(I)と呼べるようなものがあるのだろうか。真意とは誤解された時に「真意とは違います」という形で初めて現われるもので、実は真意も誤解の産物ではないだろうか。
 などと考えていたら、著者は最後にこう記していた。
「誤解とは、単一化を避け多様性を確保する人間社会のメカニズムであり、必要悪とも言えるものであろう。……誤解は社会安定のための重要な機能とも言えるのだ。人間社会でも、異質な考えを内包することで、それは人と人の間にひずみエネルギーを生みだす。それが社会の活力の源で、人は誤解を埋めようとして生きる。このひずみエネルギーのストレスが人の行動の原動力の源泉の一つだと思う」
 誤解は避けるべきものではなく、エネルギーの源泉として見つめ直すべきものだと著者は訴えていたのである。ということは数式の様々な因子も社会のエネルギーを増幅させるためのツールだったのか。誤解が多いほど真意(I)に近づけるということか。私などは常にI≒M≒Vのつもりでいるが、それも一種の誤解と考えたほうがよいのかもしれない。

(たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)
波 2014年6月号より

インタビュー/対談/エッセイ

どの部分で誤解が起こっているのか、微分するとわかります。

西成活裕

だいぶ誤解されてきた

――『渋滞学』『無駄学』に続く三作目の新潮選書ですね。三つの作品の関連性からお聞きしたいんですが?
 二〇〇六年が『渋滞学』、その二年後に『無駄学』、今回の『誤解学』はそれから六年たっています。間はあいているんですが、自分としては『渋滞学』を書き終えた頃から、ぼんやりと三部作が頭にありました。『渋滞学』を書きつつ、「無駄」の研究を進めていたので、まず二作目は『無駄学』だなと。
 二冊が出ると、ウェブ上でいろいろな批判を目にしました。「渋滞学は机上の空論である」とか「無駄学の本こそ無駄だ」など。おもしろおかしく書いてあるものは無視できたんですが、中には明らかに誤解している人がいた。
 本が出るとテレビなどからも声がかかるようになり、それがまた、誤解を生んだ。一部分しか切り取らないテレビ番組を観て、それがすべてだと思われる。『誤解学』の第一章にある「省略の誤解」ですね。相手が不特定多数だと、弁明するにも誰に言っていいかわからない。言えば言うほど火に油を注ぐことになるかもしれない。ずっと黙っていたのですが、やっぱり耐えられないようなコメントが二、三出る。そういう批判に対して弁明するチャンスが公式にほしいと思った。
 世の中、いろいろな人が誤解で苦しんでいるわけですよね。それで、冷静になって科学者として何ができるんだろうと考えた時、じゃあ理論を作ってやろうと思った。『無駄学』を書き終えた頃からかな、自分がどういう誤解をされているかをノートに書き溜めはじめた。結局、六年で六冊ほどになりましたね。
 まず、「渋滞学」の理論を世の中に広めたいと思った。でも、うまく伝わらないケースが間々ある。その時、何が障害になっているかというと「誤解」だったんですね。
 渋滞がなぜ気に入らないかというと、無駄だからなんです。じゃあ、無駄を避けるために渋滞学を社会に応用していこうと思った時に、なぜ西成の言うように社会は動いてくれないのか、逆に批判なんかされるわけですよ。既得権益などいろいろな問題もあるのだけれど、その根本は私の理論を誤解しているんですね。そうか、誤解さえ解ければ無駄もなくなるし、無駄がなくなれば渋滞もなくなる。ベースのところが見えたわけです。

――民主党政権時代、蓮舫議員の「なぜ二番じゃいけないんですか」発言への批判は誤解がもとだったとある本で読みました。ハードよりもソフトに金をかけろと言いたかったらしいですね。
結局、多いのはさっきも言った「省略の誤解」なんです。彼女の場合もそのフレーズだけが一般化しちゃった。そうした誤解は社会に蔓延していて、私が誤解されているのもほとんどがそう。テレビは限られた時間しかない。書籍だって、式の証明とかをきちんとしたら百万字くらいになってしまうものもあります。もちろん、すべて表現すれば面白くないし。

――講演会でも似たようなことが起こりがちですね。
 ええ。制限時間はあるわけだから、はしょる部分は必ずあるわけです。六十分ですべてを説明できるわけがありません。
 はしょったのはもちろん悪意からじゃないんです。それを読者やオーディエンスはわかってほしい。でも、やたらと怒る人がいる。自分の研究を無視されたとか、あなたの研究の幅は狭いとか。研究発表などは、氷山の一角なんですけどね。

交渉は先に切り出せ

――今回の『誤解学』は、前の二作よりも読者の幅が広いですよね。商談のテクニックなんかも載っています。
 ええ。ビジネスパーソンには有効でしょう。ものを伝えることが仕事の人、物書きや教師もそうですね。それと、誤解で悩んでいる人は数知れない。

――第四章「誤解の後で」にあった三つの分類、「収束型」「発散型」「中立型」を読んだ時、安心しました。誤解にはこういうジャンルがあって、自分は今、ここで悩んでいるのかと分かったような気がしましたから。
 本の後半の部分で一番言いたかったことです。私も日常で多くの会議に出ますが、必ず興奮する人がいる。そういう人と一緒にいると、ホント、この本を読んでほしいなと思いますよ。
 瞬間湯わかし器になる人は「発散型」。そうじゃない人もいるし、逆にへなへなというふうになってしまう人もいる。私は明らかに中立型です。

――第二章にある「交渉は先に切り出せ」も、非常に興味深かったです。
 あれ、実は式を解いている時に発見したんです。式を解くことでいいのは、先入観にとらわれず式変形できるんですね。想像範囲外のものがぽんと出てくる。
 私は、自分も主張したいし、相手の意見も尊重したいタイプなんです。そうすると、自己主張は半分ずつ。そういう人間って何が起こるのかなと、あの係数に2分の1と入れて計算してみたら、あれっという結果が出た。こっちが三万円と言い、あっちが九万円と主張すれば、どっちが先に言ってもその半分になるはずだろうと思ったらちがったんですね。絶対に同じにならない。よく考えれば、当たり前なんですけどね。種明かしは本に書いておきましたけど。

――読者にとって、他に興味深く読めそうなことは?
 やはり分類でしょうね。合意も、実はいろんな合意がある。「表面合意」「解釈合意」「真意合意」です。会議で、「ああ、それいいね」と真から合意しているケースと、TTP交渉みたいに、本音は嫌なんだけど仕方ないと、言葉だけで合意している場合は明らかにちがいますよね。
「誤解」にも真実を誤解しているのか、「言っていること」を誤解しているのかレベルがあります。つまり、今まで何気なく「合意」とか「誤解」という言葉を使っていたと思うんですが、それぞれに種類、段階がある。その対応の仕方もまたちがう。分類することで、視野が広がるんじゃないでしょうか。

――最終章に書いてありますが、「誤解は永遠に埋められない」のですか?
 不可能ですね。個々人の経験は異なるし、言葉だって不完全だし、コミュニケーションの中にはいろいろなところに地雷が埋まっている。どこに地雷が埋まっているかを知ることがすごく大事で、それを知るために「微分」が必要になる。つまり、細かく分けると見えてくるんですよ。今私が、しゃべっていて、聞き手がうなずいて返してくれる。私の脳からメッセージが出るとき、相手の頭に入る時、入って解釈して、相手から出る時、そしてまた私に入る時。これを細かくわけていくといろいろなところに関門があって、それをできる限り全部書いた。そうすると、誤解で悩んでいる人がどこで誤解したのか、それを冷静になって考えてもらえる。もしかしたらそれだけで解決しちゃう場合もあるかもしれない。誤解が「真意」なのか「言葉」なのか、自分の中の先入観なのか、と。
 実は、コミュニケーション以前から誤解が始まっているケースもあります。「教育」がそうです。たとえば、韓国、中国、日本の関係ってそうですよね。何か話そうと、首脳が集まった時に誤解が起きるのではなくて、それ以前の問題なんです。
 どこで誤解が起こっているのか、それを見極める。その誤解をうまく変えられるのだったら変えればいいし、そうじゃなかったら時間がかかるでしょう。

――原因の明確な究明ですよね。
ええ、細かく微分していくと必ずわかってきます。

あきらめる大切さ

――今回の本も、出版されるといろんな反響があるんでしょうね。
 怖いですね(笑)。

――その時に、もうカッカしませんか?
 どうなんでしょう、楽しみですね。『無駄学』を書いたときも、絶対にこういうレビューが出るだろうと予想したのが、さっきも言いましたが「この本自体が無駄である」。それはもうお約束で出るもんなんです。「この本自体が誤解である」と必ず誰か書きますよ。それが、どこを私が誤解しているのか、ちゃんと分析してくれていれば、いいんですけどね。そうじゃない批判もくるでしょうね。
 第四章「誤解の後で」でも書きましたが、私は中立型なんで、そんな時はあきらめる。これは、しょうがない、と。
 誤解の完全な解消のためにエネルギーを使うのは無駄の極致です。解消しようと思ったら、二人の人間の生まれた時までさかのぼって、全人生をお互いにすりあわせていかないと真の合意なんてできない。

――さきほど、「あきらめる」ことが大事だとおっしゃいましたが、本の最後の方で、仏教の教えの話が出てきます。仏教も、物に執着しないで「捨てろ」と言っています。そこが共通するんですかね。
 私も誤解されたと感じた時、プチ仏教じゃないですが、プライドとか意識して一時期捨てるんです。わざと三日くらい思考停止する。するとだいぶ楽になる。時には相手がなぜ誤解しているのか冷静に見られるようになる。一時的にあきらめることにより感情を抑制するんです。プチ悟りの境地ですね。

――この本をどんな風に読んでもらいたいですか?
 科学者ってスローモーションで観る癖があって、たとえば誰かが「野球のボールを投げる」とすると、それを観察する際、あらゆる動きと部位がスローモーションで見えるんです。それが、さっき言った「微分」なんです。わけてみると、誰にでもわかりやすくなる。だから、何かあった時に、瞬間湯わかし器みたいになるんじゃなくて、微分して考えてみる。それが科学者的な思考であって、そうすることによって、一般の人が「誤解」を二文字で表すところを、我々は十万字で表現するんですよ。「微分して考えると見えないものが見えてくる」というのが科学者としてのメッセージですね。
 誤解に関して困っている人にとっては、いろんなヒントがいろんな角度から入っている。たぶんここまで誤解に関連したものを集めた本はないと思いますよ。何せ六年かけて調べましたからね。

(にしなり・かつひろ 渋滞学者)
波 2014年6月号より

著者プロフィール

西成活裕

ニシナリ・カツヒロ

1967(昭和42)年、東京生れ。東京大学先端科学技術研究センター教授。東京大学卒。修士及び博士課程は航空宇宙工学を修了、専門は数理物理学、渋滞学。2007(平成19)年、『渋滞学』(新潮選書)で講談社科学出版賞と日経BP・BizTech図書賞を受賞。2013年に「科学技術への顕著な貢献 2013(ナイスステップな研究者)」に選ばれる。著書に『無駄学』『誤解学』(共に新潮選書)、『疑う力』(PHPビジネス新書)、『とんでもなく役に立つ数学』(角川ソフィア文庫)、『シゴトの渋滞学』(新潮文庫)など。

西成研究室のホームページ (外部リンク)

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