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「黒衣の女」とは誰か? プルーストが込めた芸術的野心と個人的な思慕とは?

謎とき『失われた時を求めて』

芳川泰久/著

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2015/05/29

読み仮名 ナゾトキウシナワレタトキヲモトメテ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 302ページ
ISBN 978-4-10-603770-2
C-CODE 0395
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 1,512円
電子書籍 価格 1,210円
電子書籍 配信開始日 2015/11/20

『源氏物語』にも比せられ、『ユリシーズ』と並ぶ二十世紀最大・最強の長篇小説。しかし一万枚を超す長さと、文章の複雑さゆえに読み通すのが容易でない本。その真の魅力と、作家が隠蔽しつつも書き残した謎を、ヌーヴェル・クリティックの第一人者が初めて説き明かす。プルーストの姿を追って旅したヴェネツィアで見たものとは?

著者プロフィール

芳川泰久 ヨシカワ・ヤスヒサ

1951年、埼玉県生まれ。早稲田大学大学院後期博士課程修了。早稲田大学文学学術院教授(フランス文学、文芸評論)。ヌーヴェル・クリティツク、テクスト論と呼ばれる批評ジャンルの第一人者。著書に『闘う小説家 バルザック』『金井美恵子の想像的世界』『村上春樹とハルキムラカミ―精神分析する作家―』、小説集『歓待』、翻訳にクロード・シモン『農耕詩』、バルザック『サラジーヌ 他三篇』、マルセル・プルースト『失われた時を求めて 全一冊』(角田光代氏と共編訳)など多数。

目次

はじめに
第一章 冒頭の一句について
第二章 「私」が窓辺にたたずむと……
第三章 《私》という形式、あるいは犬になること
第四章 モネを超える試み
第五章 メタモルフォーズ 隠喩的な錯視
第六章 小説という場所
第七章 描写のネットワークを読む
第八章 方法としての記憶
第九章 石への傾倒 小説を書く
第十章 死んでいる母と「ひとりの女」
第十一章 ヴェネツィア紀行
第十二章 知覚を宿す平面 プルーストとベルクソン
おわりに

参考文献一覧
あとがき

インタビュー/対談/エッセイ

私をヴェネツィアに連れ出した「私」のたくらみ

芳川泰久

 新潮文庫の創刊百年にあわせて、フローベールの『ボヴァリー夫人』を訳すことになった。打ち合わせの席で、プルーストの『失われた時を求めて』も訳してみたかったけど、すでに2つの文庫版に加えて新たに別の2つの文庫が出始めて、全一冊にでもしないかぎり翻訳はもうあり得ませんね、と何の気なしに私は口にした。それが次の打ち合わせのとき、全一冊を角田光代さんと共訳で、という企画に生まれ変わっていた。フローベールより先に訳してほしい、とも言われた。
 年が明け、2013年になると、私は『失われた時を求めて』の翻訳に没頭した。どう、400字・1000枚に切り出すか。文庫で10巻以上になるものを、ざっと10分の1にする。しかも、いわゆる超訳ではなく、説明を加えずに通読できるものにする。どこをとって、どうつなぐかを任され、主人公兼語り手「私」の恋愛を軸に据え、有名な場面はほとんど入れることにした。締め切りは、9月20日。以来、散歩と食事と風呂と睡眠以外は翻訳、という翻訳づけの日々に突入した。
 なんとか訳了して、データを渡し終わると、思いがけずも、プルースト論を書きませんか、と本書の誘いを受けたのだった。私にとって、プルーストは高校時代からいちばん好きな作家だった。仏文の大学院に進んだとき、研究対象にするには畏れ多い気がして、避けた。それでも、よろこんで提案を快諾した。畏れ多いという気持ちがとれていたのだ。
 以来、散歩と執筆に明け暮れた。散歩をすると、いい考えが浮かぶのだ。最初の3か月は、よく歩き、よく書いた。できた目次と原稿を担当者に見せると、『失われた時を求めて』を読んだことのない人にも分かるように、という指摘と書き込みのある原稿が返された。求めに応じて、必要な章を増やし、不必要な章を削り、読みやすく小見出しに区分し、何よりも分かりやすさを心がけた。そうして書き直した原稿を、担当者に見せる。このやりとりを三度ほど繰り返した。一種の真剣勝負だった。ひたすらさまざまな小説を読んできた自分にしか書けないようなプルースト論を目指した。翻訳を通して見えてきた視点を大切にし、専門家がかえって見落とすようなところを盛り込めたら、とも考えた。
 全体を流れる一本の筋がくっきり見え、同時に大きな疑問があぶりだされた。本書の題名にちなむ「謎」である。それは、7巻中の第6巻『消え去ったアルベルチーヌ』に出てくる文言である。「私」との同棲生活から逃げ出した恋人は、落馬事故で命を落とす。その傷から癒えたころ、「私」は母とともにヴェネツィアに旅行する。「私」はサン・マルコ洗礼堂を母とともに訪れ、冷気の降りてくるのもかまわず、モザイク画(ヨハネの洗礼図)に感銘し、じっと立ち尽くしている。母はこちらをいたわってショールを肩にかけてくれる。そこで、どうにも不可解な地の文に遭遇したのだ。
「頬を紅潮させ、悲しい目をし、黒い被い布に包まれたその女を、何がこれからあってももう二度と、ほのかに照らされたサン・マルコ寺院のこの聖域から外に連れ出すことは私にはできそうにないし、そのサン・マルコ寺院の聖域に、私はいまもその女を見いだせると確信している。というのも、その女はそこに自分の場所を確保し、まるでモザイク画のようにじっと動かないから」と形容される女である。女は誰なのか。やがて「その女こそ私の母なのだ」と結ばれるのだが。
「いまもその女を見いだせる」のひと言に、私はこの「いま」とは母とヴェネツィア旅行しているときではなく、もっとあとの「いま」ではないかと直観した。いっしょに旅行した母は「いま」はもう死んでいるのではないか。そんな気がした私は、その傍証を前後のページに探すと、この旅行には、母の死後の時間が混入していることがわかった。そのとたん、「この聖域から外に連れ出すことは私にはできそうにない」という文が妙に気になりだした。私は俄然、洗礼堂から「連れ出」せない女、「そこに自分の場所を確保し」た女、「モザイク画のようにじっと動かない」女に興味を覚えた。その女はサン・マルコ洗礼堂にいる、とこれまでの小説読みの経験が私に訴えてくる。
 そこから私の文献を漁る旅がはじまった。片っ端から関連本を読んだ。おまけに、サン・マルコ洗礼堂を見たくなった私は、急遽、ヴェネツィアに飛んだ。その顛末は本書にゆずるとして、私はその旅で天国と地獄を味わった。それにしても、分かりやすく書くことで、自分の批評スタイルまでが一皮むけた。これもまた、本書がくれた贈物かもしれない。

(よしかわ・やすひさ フランス文学者)
波 2015年6月号より

担当編集者のひとこと

『全1冊』プロジェクトから生まれた「新発見」

 本書の著者・芳川泰久さんには、まず角田光代さんとの『失われた時を求めて 全一冊』の共編訳をお願いしました。芳川さんの本職はバルザック研究家なのですが、角田さんは早稲田大学の文芸科の教え子(あるいはお二方ともフランス文学者・平岡篤頼さんの兄妹弟子)だという縁もありました。
 芳川さんがプルーストの一万枚におよぶ大長編から恋愛部分を中心に(有名なエピソードはできる限り残し、もちろん全体のストーリーは把握できるようにして)一千枚ほどの分量を切り出し、それを角田さんが現代日本の〈小説の言葉〉にリライトする、という流れでした(この作業の詳細は面白いので、「新潮」2015年9月号に載ったお二人の往復書簡をぜひお読みください)。
 プルーストを読み返し、場面を取捨選択しながら訳しているうちに、さまざまな発見があって、批評的アイディアがこんこんと湧き出てきた――芳川さんの訳があがってきた時、そう聞きました。ならば角田さんがリライトしている間に、本体の『全一冊』と対になる副読本、解説的批評本を書いていただき同時刊行しよう、とお願いしたのが本書というわけです。
 プルーストのあの大長編小説に「窓」が出てくると何が起きるのか。「錯視する」とは何か。隠喩とは何か。「石」とは何か。テキスト論と呼ばれる批評ジャンルの第一人者にふさわしい豊かで刺激的な解釈がなされていくのですが、原文をさらに読み込むうちにある「新発見」をした芳川さんは、テキスト論を超えて、「実証主義者のように」(本書252頁)ヴェネツィアへと向かいます。母恋いの物語でもある『失われた時を求めて』に隠されていた謎とは何か? 水の都で芳川さんが、そしてプルーストが見たものとは何だったのでしょうか?

2015/05/29

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