憲法改正とは何か―アメリカ改憲史から考える―
1,540円(税込)
発売日:2016/05/27
- 書籍
- 電子書籍あり
日本人が知らない「立憲主義」の意外な真実!
「憲法は〈国のかたち〉を表現している」「〈国のかたち〉は、改憲しても変わらないこともあれば、改憲しなくても変わってしまうこともある」―― 27回の改正を経てきたアメリカ合衆国憲法の歴史から、「立憲主義」の意外な奥深さが見えてくる。「憲法改正」「解釈改憲」をめぐる日本人の硬直した憲法観を解きほぐす快著。
第1章 憲法はどこから来たのか
第5章 「力ずく」の憲法改正
第7章 最高裁が憲法に挑むとき
補遺
註
書誌情報
読み仮名 | ケンポウカイセイトハナニカアメリカカイケンシカラカンガエル |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 320ページ |
ISBN | 978-4-10-603787-0 |
C-CODE | 0332 |
ジャンル | 法律 |
定価 | 1,540円 |
電子書籍 価格 | 1,232円 |
電子書籍 配信開始日 | 2016/11/11 |
書評
「修正」の歴史に学ぶ
〈著名人が薦める〉新潮選書「私の一冊」(11)
来る参議院選挙では、与党など改憲勢力が3分の2以上の議席を得るかどうかが一つの焦点だと言われている。衆参双方で憲法改正を発議するに足る議席を確保するからである。もちろん日本国憲法は成立後、改正されたことは一度もない。ここに改憲勢力が復古的な憲法草案を出せば、これを阻もうとする護憲勢力は立憲主義の破壊だと攻め立てるだろう。
そもそも憲法改正とは何かと阿川氏は問いかける。アメリカ合衆国は、建国後連邦憲法を制定してすぐに修正条項を制定し、その後も南北戦争後に南部を再建するために修正を進めた。最高裁判所による合憲・違憲の司法審査によって憲法解釈の変更がなされることもある。
200年を超える歴史から、阿川氏が引き出すのは、憲法秩序の大切さである。守るべきは憲法を運用する中で蓄積された秩序であり、そのために必要であれば憲法改正もありうるし、解釈変更も行われてよいはずだ。日本の与野党間の憲法改正論議は、憲法を全面的に刷新する改憲側と、一語たりとも変えさせないという護憲側との論争であった。ともにどうすれば憲法秩序を適正に保つかという視点を欠いている。
アメリカでは憲法制定後1万2千に近い憲法修正案が連邦議会で発議されたが、可決されたのはうち33に過ぎず、州の批准を経て発効したのは27であった。実際に修正が試みられても成功する可能性はきわめて低い。裁判所の違憲判断も、国民が支持しなければ大統領・議会は従わない。アメリカ憲法史を扱う文献は、三権が鋭く対立した上で、解釈変更も含めた憲法修正がなされた事例に焦点をあてがちだが、阿川氏が強調するのは、大統領・議会・裁判所が互譲することで対立を収束させる多数の例である。見ようによっては憲法修正の失敗だが、その蓄積によってアメリカ社会は憲法を尊重してきたのである。「憲法修正」の歴史から現れる叡智を、これからの日本も学ぶべきである。
(まきはら・いづる 東京大学教授・政治学者)
「読売新聞」2016年7月3日 「本よみうり堂」より
憲法はどう生かされているか
社会生活を送る人々に憲法が大きな意味を持つという点では、本書が対象とするアメリカは、日本を大きく凌駕することは間違いない。著者の言葉を借りれば「アメリカ人は憲法を大切にするが、神聖視はしない。それに対し日本人は憲法を神聖視するものの、それほど大切にはしない」のである。
そのため、憲法と社会の間には複雑な相互作用が起こる。憲法は政治をはじめとする社会のあり方に影響を与えるが、社会のあり方もまた憲法に影響を与える。
本書は後者の側面、すなわちアメリカにおいて社会のあり方が憲法にどのような影響を与えてきたかを、憲法改正という視点から考える著作である。著者には既に、憲法がアメリカ社会にどのような影響を与えてきたかを鮮やかに描き出した『憲法で読むアメリカ史』という作品があるが、本書はそれを逆方向から語り尽くしたともいえよう。
一八世紀後半の建国以来、アメリカは常に変転の激しい社会であった。イギリスが大西洋岸に形成した一三の植民地の連合体に過ぎず、工業力や軍事力においてヨーロッパ列強に大きく劣っていた建国期のアメリカは、領土の著しい拡大、南北戦争、産業革命などを経て、二〇世紀初頭までに世界の強国となる。さらに二度の世界大戦を経て超大国となるが、その後も国内の産業構造は重工業中心から金融や情報通信産業中心に変わり、人種や性別の間の関係も大きく変わった。同性婚の容認のように、そうした変化は現在も続いているし、今後も続くだろう。
にもかかわらず、今日まで合衆国憲法の全面的な書き換えはなされていない。新憲法制定に当たるのは、独立戦争中に制定された連合規約が一〇年足らずで合衆国憲法に変わっただけである。
社会の変化と憲法の連続性。この二つを矛盾なく支えてきたのが、本書が注目する憲法改正であった。改正は、条文の修正や追加が頻繁になされる時期と、解釈の変更によってなされる時期に分けられ、二〇世紀以降は条文の修正や追加は稀になったと、著者は指摘する。その大きな一因は、改正の対象が満場一致的なものから政治的・社会的な論争を呼び起こしかねないものへと変化し、条文の修正や追加に必要な手続きが充足されなくなったことに求められる。判例による解釈変更が条文の修正や追加を先取りした場合もある。
ただし、両者の違いをそれほど意識しすぎる必要はない。再び著者の言葉を借りれば、修正であれ解釈変更であれ、つまるところ憲法改正とは「どのような国のかたちが国民にとって必要であり、望ましいか、あるべきかという、大きな課題への取り組み」の結果なのである。だからこそ「どんな改正も国民の支持がなければ効果を発揮しない」。
それゆえに、憲法改正にかかわる人々には、先を見通す叡智と社会状況の変化への配慮が常に求められる。合衆国憲法の生みの親であるマディソン、司法審査権を確立したマーシャル、国家的危機に直面したリンカーンやフランクリン・ローズヴェルト。これらの偉人たちに対してはもちろん、南北戦争前夜に後から見れば誤った判断をした最高裁首席判事のトーニーに至るまで、人物を描く本書の筆致には、憲法と社会の関係に正面から取り組んだ人々への深い敬意がある。
著者はアメリカの法律家として出発したのであり、南北戦争後の憲法修正が持つ手続き的問題を語るときなどの論理性には、その凄味の一端が窺える。だが同時に、本書の根底に流れているのは、アメリカにおける憲法という法律文書と社会に生きる人々との相互作用に対する、著者の純粋な知的好奇心と暖かい視線である。それは、アメリカ社会と合衆国憲法への愛、と言い換えることさえできるかもしれない。
日本国憲法の改正については、本書はいくつかの含意を導くにとどまる。むしろその方が良い。憲法と社会の間にどのような相互作用があるのか、憲法改正にかかわる人々はどのような知的格闘を続けているのか。本書は、各人がそうしたことを考えるための、大切な手がかりを与えてくれる。
著者プロフィール
阿川尚之
アガワ・ナオユキ
1951年、東京都生まれ。同志社大学法学部特別客員教授。慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学法学部中退、ジョージタウン大学スクール・オブ・フォーリン・サーヴィスならびにロースクール卒業。ソニー、米国法律事務所勤務等を経て、慶應義塾大学総合政策学部教授。2002年から2005年まで在米日本国大使館公使。2016年から現職。主な著書に、『アメリカン・ロイヤーの誕生』、『海の友情』、『アメリカが嫌いですか』、『憲法で読むアメリカ史』(読売・吉野作造賞)。