修験道という生き方
1,320円(税込)
発売日:2019/03/29
- 書籍
- 電子書籍あり
静かなブームの理由とは? 日本人の深層に生きる自然信仰を解き放つ。
修験道に目を向ける人が増えている。彼らはなぜ山に惹きつけられるのか。修験者として山中を歩くと何が見えてくるのか。そもそも日本の信仰は自然とどう関わってきたのか。日本仏教の源流とは――。修験を代表する実践者であり理論家でもある二人の高僧と「里の思想家」内山節が、日本古来の山岳信仰の歴史と現在を語り尽くす。
書誌情報
読み仮名 | シュゲンドウトイウイキカタ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
装幀 | 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-603837-2 |
C-CODE | 0314 |
ジャンル | 宗教 |
定価 | 1,320円 |
電子書籍 価格 | 1,320円 |
電子書籍 配信開始日 | 2019/09/13 |
書評
縄文の世から生きる信仰
日本列島は七割方は山と森に覆われている。あとの二割が海に囲まれた浜辺だ。だからこの列島に住む人々は海と山のあいだの狭小な土地を拓いて暮してきた。原始古代、狩猟に生きる縄文人は、山と森を主な舞台に山人中心の社会をつくっていたのである。つぎの弥生時代、平地を耕す農業文化が出現し、里山や海辺に権力の集中がすすむ。ここで山の民と里の民の大転換がおこる。山と森は怪異の住む地に変貌し、富を手にした平地民の植民地と化す。
本書がとりあげる「修験」の歴史は、この変貌と転換の中からつむぎだされた悲劇の物語だ。その苦難の道を生き抜いてきた「山人」たちを浮き彫りにする、さわやかな歴史だ。
三者鼎談の形をとっているが、内容は濃い。一人は京都聖護院修験の総帥・宮城泰年師、もう一人が吉野
原始古代以降、山と森を主舞台にした「修験」と「山伏」の伝統は明治になって「神仏判然令」(明治元年)と「修験道廃止令」(同五年)によって解体に追いこまれた。だが行者たちのきびしい山林修行と根強い信者たちの支援と祈りの力によって今日まで生き長らえることができた。近代化の犠牲にさらされはしたが、むろんこの修験道には
その「山岳宗教」の魅力が今日ようやく見直され、山に入って巡り歩く人々が増えはじめている。修験をめぐる記憶や情報が新しい光を帯びて蘇りはじめている。「奥駈け」や「峯入り」に関心を寄せる若者の心を惹きつけるようになった。
修験道とはいったい何だったのか、それに答えるために本書の序章には、内山氏による概言的な説明が語られている。役行者(
平安期の「日本霊異記」や「源氏物語」、また中世期の「謡曲」や「説話集」などには、病気直しや悪霊払いの場によく山伏の姿があらわれる。神仏の加護を祈る修験道の霊威が生き生きと語られているのが印象的である。これについては後世の大和ごころの研究者・本居宣長がこんなことをいっている。――病いを直すには、まず神仏のしるしを仰ぎ、その加護を祈ることがもっとも重要なことで、それこそが「もののあわれ」をあらわす。ただちに薬師や薬餌に頼るのは「さかしらごと」である、と。まさに修験道の芯をいいあてている。
以前、出羽三山を登ったときのことだ。はじめ湯殿山にとりついたとき、行けども行けども森の中だった。山路はつけられていたけれども、まるで地を這うような気分に追いこまれていった。まさに迷路をさまよい歩いているようだった。その迷路をたどっているうちに、自分の意識がこころの内部に向けられていることに気がついた。大袈裟にいえば「自己」とは何かの問いの前に立たされていると思ったのだ。
ところが日を改めて、つぎに月山に登りはじめたときは登拝の印象がまるで違っていた。思ってもいなかった景観が展開しはじめたからである。山頂近くにたどりついたとき、眼前がにわかに開かれ、眼下に三六〇度に広がる明澄な大空間があらわれた。そこにはまさに「世界」そのものが宇宙的な輝きを放って展開していた。修験道の醍醐味はそんなところにもひそんでいるのではないかと想像されたのである。
(やまおり・てつお 宗教学者)
波 2019年4月号より
著者プロフィール
宮城泰年
ミヤギ・タイネン
聖護院門跡門主。京都仏教会常務理事、神仏霊場会会長。1931年、京都府生まれ。龍谷大学卒業後、新聞社に勤務、後に聖護院に奉職。2007年、門主に就任。著書に『動じない心』(講談社)など。
田中利典
タナカ・リテン
京都府綾部市の林南院住職。金峯山寺長臈、種智院大学客員教授。1955年、京都府生まれ。龍谷大学、叡山学院卒。著書に『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社新書)、『体を使って心をおさめる 修験道入門』(集英社新書)など。
内山節
ウチヤマ・タカシ
哲学者。1950年、東京生まれ。群馬県上野村と東京を往復しながら暮らしている。著書に『「里」という思想』(新潮選書)、『文明の災禍』(新潮新書)、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)、『いのちの場所』(岩波書店)など。